宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

思考をコントロールする ~ エックハルト・トール

2009年07月10日 | エックハルト・トール
         
われわれを悟りから妨げているものの正体は、「思考」であった。

ここでいう「思考」というのは、「数学の問題を解く」というような思考ではない。 もちろん、そういう意味での思考も含んでいるのだが、もっと広い意味。 「ああでもない、こうでもない・・・」と、われわれの頭の中を日常的に渦巻いているモノのすべてを指す。 「俺の人生、こんなはずじゃなかった・・・」 とか、「もっと売上を上げなくては・・・」 というようなのが、思考の代表例だ。
 
実のところ、この「思考」は、古来からインドの修行者たちの間で問題視されていた。 思考こそ、諸悪の根源。 これを止めることが、悟りへの最短距離なのだという。 お釈迦さまが出家して高名な師匠を訪ね歩いていた頃、インドの修行界では「一切の思考を止める瞑想」 が評判になっていたことが、仏典にも描かれている。

この古代インドの霊統は、現代インドの聖者・クリシュナムルティを通して、欧米人のエックハルト・トールにも流れ込んだ。

とはいっても、思考を止めるのは容易なことではない。 頭の中をカラッポにしても、5分もすれば 「腹が減ったな」とか、「こんなことやってる場合なのか、俺は・・・」といった思考が再開される。 それは、止めようと思って止められるものではない。

厄介なことには、「思考を止めよう」 というのも、思考の一種なのだ。 つまり、思考を止めるためには、まず 「思考を止めよう」 という思考を止める必要がある。 考えれば考えるほど、これは難しい。
 
インドの山奥で修行しているのならともかく、現代人には出来ない相談だ。

だが、幸いなことに、エックハルト・トールも、「思考を止めよ」 とまでは言っていない。 そうではなくて、「思考をコントロールする」 ということが重要だという。
 
思考が頭の中でグルグルと渦を巻いているとき、人は思考に飲み込まれてしまっている状態だ。 アルコール中毒に例えれば、「酒を飲んでいるつもりが、酒に飲まれてしまった」 という状態。 この中毒症状から、なんとか脱却しなければならない。

そのためには、まず「自分は思考中毒だ」 ということに気づく必要がある。

例えて言えば、アル中患者が、無意識のうちに一盃、一盃、また一盃。 手が震えて盃を取り落とし、「ガチャン」 と割れる音で、ふと我に返る。 「俺はいったい、何をやっているのか。 気がつけば、また酒を飲んでいたか・・・」 と、初めて自分のやっていることに気づく。
 
思考中毒も、それと同じようなものだ。 思考が常に垂れ流され続け、一瞬たりとも休まない状態。 それはまさに、無意識の状態だ。 まずは、無意識状態になっている自分に気づき、ハッと我に返る必要がある。  

「俺はいま、○○という思考に溺れているな」 と気づく自分。 それこそが、ほんとうの自分を取り戻した瞬間・・・。
    

スピリチュアルの宝庫 → にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
  

最新の画像もっと見る

コメントを投稿