理性のカタマリのような、近代ドイツの大哲学者・カント。
「神は存在するかどうか」、「魂は不死であるかどうか」・・・といった形而上的な問題を、「取りようによってはどちらとも取れる、回答不能な問題」として退けた。中世ヨーロッパから連綿と続く「神の存在証明」を、一刀両断に葬ってしまった。
同時代の大霊能者・スウェデンボルグの霊界日記を、「視霊者の夢」という著書でボロクソにコキ下ろしたことでも知られる。
いわく、「この著者の大著は、ナンセンスに満ち、完全に空で理性の一滴も含まない」。カント学者K・フィッシャーによれば、カントにとって形而上学とスウェデンボルグは「一撃でピシャリと殺されるべき二匹のハエ」だったそうな。
そんなカントも度肝を抜かれたのが、かの有名な「スウェデンボルグのストックホルム大火災事件」。
1759年7月19日、土曜の夕方のことであった。スウェデンボルグはイギリスから帆船に乗って、スウェーデン西海岸の年イエーテボリに到着した。そして同市の上人だった友人、ウィリアム・カーステルの夕食会に招かれた。
食事中、スウェデンボルグは極度に興奮し、顔面が蒼白となった。不安と焦燥に満ちた様子で、彼は幾度となく食卓を離れた。そして、騒然となった一同に向かって、「今、ストックホルムで大火災が猛威を振るっている」と、告げたのである。
そして落ち着きを失ったまま再び外へ出て行き、戻って来ると、ひとりの友人に向かって言った。「あなたの家は灰になった。私の家も危険だ。」
その番八時頃、もう一度外へ出て戻って来た彼は、大声で叫んだ。「ありがたい、火は私の家から三軒目で消えた」
同夜、来客の一人が州知事にこの話をしたため、知事の依頼に応じて翌日、スウェデンボルグは火事の詳細を話した。家事のあった二日後、通商局の使者がストックホルムからイエーテボリに到着した。両都市は、約480㎞も離れていたが、この使者の火災報告とスウェデンボルグの語った内容とは,薄気味悪いほど一致していたのである。
(高橋和夫著『スウェーデンボルグの思想』より)
この事件は、ヨーロッパ中に知れ渡った。カントも、ビックリしてしまい、夢中で関心を寄せたということだ。
もっとも、だからといって、不合理な「霊視」などを受け入れたわけでないところが、大哲学者たるゆえん・・・・・。