ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

遠隔ヒーリング

2006年07月02日 | Weblog
遠隔ヒーリング

☆ わたしがヒーラー(癒すことができる)となった大きな要因の一つは
心理療法はとてもエネルギーが要る仕事のため、自分をガードする術を必要と
したからです。最近約四年間わたしをサポートしてくれ、大切な戦力だった
アシスタントが「うつ病」になり、当分復帰できそうもありません。 
 あんなに明るくエネルギッシュだったのに、やはりネガティブな
エネルギーを受け続けたことで、心身に負担がかかったのでしょう。
 そんな彼女のために、わたしは毎日朝晩遠隔ヒーリングをしていますが
その他にも現在は四人の人に送り続けています。

 その一人は以前ヨーガのアシスタントでしたが、わたしはその結婚にも大きく
関わりました。今は二人の子どもを育てていますが、三年前に脳腫瘍になり
ました、手術はしましたが今はとても元気です。
 また先日外国へ行っていた友人にも、無事で帰れるよう送りましたが、彼も
無事に帰国しました。自己満足かもしれないし、見に見えるものでないので
実際に効果があるかどうかは定かではありません。

 でも目に見えない世界は必ずありますし、いろいろなことを学べば,ますます
その観が強くなるわたしです。
 想いや祈りは必ずその相手に影響を及ぼすと、信じてわたしはヒーラーに
なって以来、遠隔ヒーリングは一日も欠かしたことはありませんが、多分生き
ているうちは、毎日送り続けることでしょう。

☆ 情けは人のためならず?
 ヒーリングを研鑽しているとき知ったのは、「他人のために遠隔ヒーリングを
していたら、自分がすっかり元気になった」という、ヒーリングを勉強している
仲間達の報告でした。そのとき「そんなこともあるかもしれない」と、わたしは
そのとき感じました。そのお陰さまでしょうか、わたしはとても元気で、幸せで比較的ついているように思います。
 また送られている相手は、まったく気がつかなくて、もわたしの真心は見えない形で、きっと伝わっているのでしょう。

 前日はわたしの最も若い二十代のボーイフレンドと、深夜までおしゃべり
しながらかなり飲みましたが、二日酔いもしなく、翌朝はスタジオで自分の
ためのレッスンをし、ラインダンスの練習までしました。
 そしてその後地方からクライアントなど、三時間カウンセリングをしてから
夫と渋谷までコンサートへ行きました。
 そして帰る途中でようやく見つけた小魚を買い、帰って、夫に手伝って
もらって、から揚げにし南蛮漬けにしました。
 それから近くの本屋さんまで「ぴあ」を買いに行ったのです。

 さすがに「我ながら凄くエネルギッシュ!」と、感心してしまいましたが。
でも残念ながら、英語の勉強まではできませんでしたけれどーーー
 年齢のわりにこんなに元気に過ごせるのも、もしかして他人のために
(ご当人が気がついていなくても)朝晩習慣の遠隔ヒーリングのお陰かも
しれないとわたしは思っていますし、これからもズーッと続けるつもりです。
 そんなにハードに動いて、たくさん食べたわけではにのに、何と今日の体重は
300グラムも増えてるのです。もう知らない!
                               能里子

今まで生きてきた道 六

2006年07月01日 | 
☆ 新しいスタジオができた
  ダンスタジオをオープンしてから一年ほどして、我が家を立て替えること
になり、夫と相談してその二階を、ダンススタジオにすることに決めました。
 我が家は同じ梅丘商店街の駅前ですし、現在のダンススタジオとあまり
変わりません。夫は銀行から相当な額を借りて建てるので、妻とはいえ
わたしも相場の賃貸料を支払わなければなりませんが、以前のスタジオより
広いため家賃は上がりましたが、今までの実績から支払えるので安心でした。
 それはあくまで夫がオーナーで、わたしはただの借り手でしかなかった
のです。でもいつか必ず「スタジオは自分のものにしたい」と思いました。
またそのころから、ヨーガのブームがだんだん下火になり始めたので
四谷のヨーガ教室を閉じることにしました。

☆フラダンスを始めた 
 わたしはダンススタジオで、ソシアルダンスとデイスコダンスを教えて
いましたが、それらのダンスはいつまでも教えられるものでもありません。
 これから高齢者がだんだん増えるし、わたし自身も歳をとるため、年齢を
重ねても指導できるダンスはないかと、しきりに模索していました。
 そしてフラダンスならゆっくりだし、あまりハードでもないと気がつき
これを次のダンスの種目にしようと思いましたが、なかなか教えている
スタジオがありません。

 いろいろとアンテナを張っていましたら、池袋に指導してくれるスタジオ
があることが分かり、早速通い始めましたが、フラダンスは予想以上に、
見た目より難しいことがわかりました。でも始めたら一所懸命やるわたし
です。その頃大学生だった娘を連れ、その先生についてハワイにレッスン
に行き初めてハワイでレッスンを受けましたが、それから何度かフラダンス
のレッスンを受けるためにハワイへ通いました。
 フラダンスは腰を回すテクニックが必要ですが、その先生は「毎日LP盤
一枚分は、一日二回は必ず腰を回すように」と指示されたのです。

わたしは早くフラダンスの先生になりたくて、毎日先生の指示通りに
腰を回していました。ところがそれが原因か、ある日突然歩けなくなり
本当に驚きました。
 そのためすぐに針治療を受け、一度の治療ですぐに治りました。
でもその大分以前にも、ディスコダンスで膝を痛めているので、今でも
その後遺症は残っていて、ときどき苦められていますが、やはり無理を
していたのがいけなかったのですね。
 それからフラダンスを指導種目に加えましたが、その頃はまだあまり
知られていないためか、生徒さんが増えないので二年ほどで止めました。
 それから何年かして、フラダンスは普遍的になり、今では元気な高齢者
の間で大変な人気のようですが、何でも人より早すぎるのが、もしかして
わたしの習性かもしれません。
 
 忙しい合間を縫って好奇心旺盛のわたしは、その頃日本で初めて?できた
全身エステや、ネイルのお手入れ、歯のエステなど、まだほとんど人に知
られていない場所を、探検しては楽しんでいました。
 ◆ 次回は3年後に目標を設定し、それを実現したお話をいたしましょう。

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