ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

今まで生きてきた道 八

2006年07月06日 | 
今まで生きてきた道 七     

☆ 二冊目の本

 あれほど凄かったヨーガブームも去り、デイスコダンスもだんだん下火に
なってきました。そのため駅前にあったヨーガ教室を閉じて、能里ダンス
スタジオに移転し、そこでヨーガも一緒に教えることにしました。
 そして「能里ヨーガ&ダンススタジオ」と改名しましたが、ジャズダンスの
ブームはまだ続いていました。
 その後しばらくして二冊目の本を出したのですが、わたしがそうなった経緯を
少しお話したいと思います。
 その頃わたしは臨床催眠医学研究会の理事でしたが「イメージトレーニング」
を講演することになり、そのための資料を集めていました。
 そのときお会いしたY先生が、わたしを物書きとして育てて下さったのです。
その先生はたくさん本を出していて、そのジャンルではかなり有名でしたし
ルックスも良くとても素敵な方でした。

 お知り合いになってから、スタジオにダンスのレッスンに通ってこられ
たのがご縁となり、いろいろお話をするうち「あなたのように力がある人が
まだ著書が一冊しかないなんて」と、驚かれたようです。
 その後出版社や雑誌社、企業などを、毎日まわってわたしをご紹介して
くださったのです。そのお陰で婦人公論に連載して以来、初めての連載の
仕事が入りました。まだ書くことが未熟なわたしのために、連載原稿の
アドバイスをして下さったり、添削して下さったり、およそ二年間それは
本当に親切にしていただきました。
 そしてその先生の推薦により「リラックスで人生が変わる」が同文館出版
から刊行できました。
 時代を先取りした「リラックス」というネーミングのためか、お陰さまで
あちこちで紹介され、よく売れましたし、新宿紀伊国屋本店に長い間平積みに
していただきました。それがわたしのもの書きとしてのスタートでした。
そして何年か後に「セルフコントロール法」三笠書房の文庫本となり、確か
もう十五年以上ロングセラーとなっています。

 その頃Y先生の紹介で、ある大手企業の研修講師になりましたが、それ
以来他の企業からも、ときどき社員研修の依頼も入るようになりました。
 そして新入社員から社長研修まで、ときどきするようになりました。
バブルの頃でしたので、好景気のためか、遠くは沖縄から北海道まで企業
研修や婦人セミナーや、銀行など、ときどき地方に講演旅行に行きましたが
旅行の大好きなわたしでしたので、あの頃は本当に楽しかったです
 いずれにしてもわたしは何と幸運でしょう。いつも誰方かがわたしを強力に
サポートしてくださったのです。そのためにお陰様で少しづつですが、確実に
向上できたことを、今でも忘れられないくらい本当に感謝しています。

☆自己実現のために

 わたしは忙しい毎日でしたが、「これほどいろいろと勉強しているのだ
から自分でセミナーを開いてみたい」と、ある日突然ひらめきました。
わたし自身も講演活動もしていましたし、またその先生のアシスタント
としての経験もかなりあるので、絶対にできると確信したのです。
 心理療法のワークショップは、今まで何度も参加して経験がありますが
内面的なものなので、どうしても暗めのものが多いのです。
 わたしはダンス教師として、ダンスを上手に取り入れ明るい雰囲気で
そして有意義で、参加した方が楽しんでいただけるような構成で、開きたい
と思ったのです。
 わたしのキャリアを十分に活かし、他の方にできないような独自の内容に
しようと考えました。
 何しろ初めての経験ですので、そのための準備期間を三年間と決めまし
たが、またそれは自分自身の夢に賭けた、充実した三年間でもありました。
                             能里子





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