九州の風来坊

今は自由人で風来坊、何処までも突っ走る男は何処に行くのやら

大磯に集合

2014年02月10日 19時56分09秒 | Weblog

大雪で交通網がずたずたな状態の中茅ヶ崎目指して出発。

意外と雪の影響も無く3時には大磯到着。

300年続くうなぎ屋に到着。

16代目が俺たちの後輩宮代だ。

神谷明、山岳がとても強く宮田最強時代の一人。

最初は全然かないませんでした。ヤビツ峠の記録は今でも全然通用します。

ブー田中、お前痩せたな?俺たちの方がぶーじゃねーか?湘南平のシゴキきつかったろ。

そして101号、同部屋の輩吉田さん。

この先輩のお陰で今の自分があります。福島弁でなんだよいくぞと微妙なイントネーション、これに乗せられ1km8秒台、吉田さんは7秒台。

砂浜ランニングからウエートトレーニング、夜中の眠れない病の時も何時も一緒でした。

200mでは10秒台のまくりを1回もまくれなかった。ロードのゴール勝負も吉田さんには一度も勝てなかった。

だからこれから勝つまで勝負します。

写真の部屋、数々の著名人、吉田茂首相がうなぎを食べた部屋です。

夜中2時30分大阪に無事帰還しました。


30年前の俺の職場

2014年02月10日 14時12分20秒 | Weblog

俺がいた職場はロゴか新しくなり、モリタグループになっていた。

この建物の中は、石油コンビナートが爆発した時と同じ火災を再現できる実験室と、2階にはほんと小さな窓がある研究室がある。

ここで日々研究を重ねていた。

クワバラ、クワバラ。

炭酸ボンベ爆発試験で破裂、ボンベが弾丸となり、俺の机の目の前を爆音と共に飛び去り天井に穴が。空が見えた。

試験管を振りながら、実験の様子を見る窓を見ると真っ黒、、そのうち部屋の様子が薄暗い、もしかしてと階段のドアを開くと黒鉛で視界が無い。

どうする?セキリュテー解除しないと出ることは出来ない、解除する場所まで行っても番号が見えるか?

そこで俺の出番、一気に息を止めて、階段をおり、手探りでドアの前まで行き、6桁の解除ボタン押し脱出成功。全員無事退避。

火災の恐ろしさを実践で学んだ瞬間だった。

俺の仕事は劣化した消火剤を再生させる、全国の日本石油コンビナートの消火薬剤を一人で試験して管理していた。

そのドロドロの薬剤の匂いが臭い、最初は食欲もなくなったが、時代に慣れ、この臭いだけである程度の劣化を予測できるまでに、そしてここで飯も食えるようになった。

たまに森師匠が訪れる。劇薬が置かれた棚の横で、試験管やビーカーが熱殺菌されている、おもむろにビーカーを出し、お湯を沸かしてコーヒータイム。

師匠はこれ飲んでも大丈夫?もちろん大丈夫です。塩酸、純水で最後にアルコールで洗ってますから綺麗ですよ、沸かしたビーカーはどんな試薬を入れたかまでは覚えていませんが、、、、、、水は超純水です。

この場では研究はもちろんだが、機材を利用して自分の状態を知るために爪や皮膚を分析機にかけたりもした。

分析機が置かれたこの部屋は何時も室温20度で静か、外からは誰も入れない、そこで科学便覧を読むついでに食品科学やスポーツ生理学の本を読みあさり、どうしたら強くなれるのかと解析もした。

たまには白衣を着用して試験官になり試験の精度を見極める、ある日何処の出身と聞かれた、佐賀県ですと答えると、違う違う学校、高校ですと答えたら超驚かれた。

この世は実践です、試験の早さも実践で体で覚えてます、頭が悪いもんで、負けませんよ。

アミノ酸といえば。

バームが世に出る前に、明治の人と食品科学研究所に行った。

やー三浦君どうしたの?知り合いですか?そうです私アミノ酸研究してましたで知り合いですというと驚かれた。

途中入社。

途中入社の俺は、最初はフレームの溶接に従事、ある日、人事部に呼ばれ君は科学の知識があるのかと聞かれた。大塚製薬研究所に行くつもりが宮田、、、国立研究所でもアル、、、、そうか試験を受けろ、はーーーー数ヶ月勉強せんと無理ばい。

という事で川流し、宮田工業本社の裏の裏の川向にとらばーゆ。

そこで見た事もない泡系の消火薬剤の研究に回された。これって天職じゃん、超面白い、イラク戦争の時の科学消化器も手がけました。

よし目指すは薬剤師、その為には会社に勤めながら大学に行くしかないと夢見ていたら何故か自転車で世界に飛び出してしまった。

 

 

 


久しぶり

2014年02月08日 23時57分50秒 | Weblog

突然の来客でさらっとラウンジをオープンさせた。

ビールはもちろんシメーイとヒューガーデン。

所が今日はコック長がギターを弾きに百年村に出かけてる。

という訳で料理が出来ない、でも今はレトルトがあるから何とかなるご時世。

俺自身もう少し料理が出来るようになったが言いかなと思うが、やっぱり必要が無いか。

俺が料理作ったらコック長が悲しむ。

これからも料理頼むぜ。


自転車乗り始め5日目

2014年02月07日 12時32分35秒 | Weblog

 

これで5回目の自転車に乗り、尻も痛くなくなり、日々進歩している、でも体重は未だ79kg。

だいたい3ヶ月間、アバラと小指骨折で運動しなくなり、腹が大変な事になっていった。

その腹はもうヘコんでいる、一体何であそこまで膨れる?何が入ってる?

今は筋力不足もチキンラーメン法で一気に回復といきたいところだが、無理。

速く走ると大角膜あたりが苦しくダッシュなんか出来ない、坂は蚊の鳴くような速度で笑いがでる。

それでもほんの一瞬集中力を出し、ATPーPCトレーニングでレベルアップ。

そのおかげで今日は意外と走れるようになってきた。

4日前は坂道でカップルに抜かれ、その後又女性に抜かれた。

あの時の俺はもういない。

今日は寒い。

そういえば昔の事だが、先輩が寒い時は速く走ればいいんだよといった。

その通りです、一昔前の練習といえば平均時速が異常と言うべき速さだった。

お陰で強くなれた。

当時のように速く走れればいいだけど、体力不足で速度がでていない、今の体力に合わせて何とか速度アップ。

今日は切れそうになった瞬間集中して何とかついていった。

坂の頂上付近では目の焦点があってないほど追い込んだ。

そして2回目の坂は先頭がタレた瞬間にダッシュ、一体俺は何してるんだ?選手でもあるまいし。

でも自転車は速く走らないと面白くない。

 

 

 


年代物のセンターゲージ

2014年02月06日 11時03分40秒 | Weblog

年代物のバールのセンターゲージとニップル回し、(ニップル回しはバールではないオリジナル品)

35年前ナショナル自転車で研修中、五条にあったホイル工場であらゆるホイルが組めるようにと何ヶ月も特訓を受けた。

お陰で超高速で車輪を組めるようになったのだが、その手ほどきをしてくれたのは職人のおばさんだった。

最初、仮組みから調整までその速さに驚き出来るのかと思った。

ここで車輪組をマスターして本社に帰る時、おばさんが記念だと言って渡してくれたセンターゲージ。

今でもガンガン使ってます。

それにしてもカンパとか数個のセンターゲージがあるが、これしか使わないというか一番優れていてる。

同時に1本棒のニップル回し、何本組んでも疲れないからこればっかり、でもたまに普通のニップル回しも使います。

それにしてもセンターゲージ何年前のだろうか?


おーまたか

2014年02月06日 09時57分52秒 | Weblog

練習4日目にして進化が始まった。坂道が13kmでも体重は以前79kg。

北風が吹く中石川のサイクリングロードを北上中。

いるはずの奴がいない?小さいから見えないのか道路の下を見たが居ない。

いつたいどこいった?   何と数キロも前にパンクらしく、叫んだが風で俺たちに気づかれることなく置き去りに、そして少しして戻ってきたら、、、、、、、、

なんかブレーキをかけるとカンカンと音がします、どれ見せてみ、するとリムが完全に開いている。それもかなり大きく。

穴に落ちたんかzzzzzzzzzzzいや落ちてません、落ないとリムはこんな壊れ方はしません、鈍感すぎる、

しょうがないから原始的に石でリムを叩き走行可能にしてグリーンドード走破。

こうして昨年から車輪がどんどんなくなり前輪だけが生き残残っている状態。

新しい車輪組まねば。

その前に上手に走りなさい

 

 


いくぞ

2014年02月05日 09時21分31秒 | Weblog

ホテルハイアットで、株式会社あさひの式典と懇親会が行われ行ってきました。

参加人数1100人、役員席で見た光景は社員の若さと、これからどれだけでも伸びる気がした。

社員にはロードレーサーやMTB、BMXが好きな子もいて、色々な話しをさせてもらいました。

その意見は意外と皆同じこと、意見しかと受け止めました。皆の力があれば出来る、発想、発想、又発想だ突き進むぞ。

一般的には、あさひは普通の自転車とか子供車販売と言うイメージがある。

そのあさひの出だしはロードレーサーも扱う店だったのだ。

80年代頃は会長も北摂を走り回るサイクリストで、クラブチームでシマノ鈴鹿も走破してます。

社内に本格的なレーサーをあつかう事が出来る社員も多いので、これからが楽しみ。

不撓不屈の精神でいくぞ。

 

 

 

 


見ているだけで満足

2014年02月03日 17時21分04秒 | Weblog

今日は車で350kmほど走行。

それにしてもサル、回転がなさすぎ。

皆それなりに良い回転になっているので、気おつけなさい。

帰宅して1時間ほど自転車に乗った。

毎日ほんの少しずつ体が動くようになってきた。

それにしてもダンシングがきつい。

 


おれも昔は白衣着てました。

2014年02月02日 18時03分54秒 | Weblog

なんちゃら細胞を発見した子のコメントであなたは愚弄しているという言葉。

俺も一昔前にこのような言葉を浴びせられた事がある。

それはアミノ酸を再合成させる研究を20歳代にしていた時の事だ。

油が混入すると消火薬剤の性能が劣る、そこで簡単に油を取り除くことが出来ないかといった考えた。

この時頭が悪いから単純な発想で勝負、、、、、油を固まらせれば良いと思って会議で発表してみた。

すると当時研究所の所長からそんな事できるわけないだろ、君は高校しか出ていないんだか解るはずはないと言われた。

その1年後油を固まらせる商品が世の中に出た。

できるじゃーん、、、、、、ショック。