俺がいた職場はロゴか新しくなり、モリタグループになっていた。
この建物の中は、石油コンビナートが爆発した時と同じ火災を再現できる実験室と、2階にはほんと小さな窓がある研究室がある。
ここで日々研究を重ねていた。
クワバラ、クワバラ。
炭酸ボンベ爆発試験で破裂、ボンベが弾丸となり、俺の机の目の前を爆音と共に飛び去り天井に穴が。空が見えた。
試験管を振りながら、実験の様子を見る窓を見ると真っ黒、、そのうち部屋の様子が薄暗い、もしかしてと階段のドアを開くと黒鉛で視界が無い。
どうする?セキリュテー解除しないと出ることは出来ない、解除する場所まで行っても番号が見えるか?
そこで俺の出番、一気に息を止めて、階段をおり、手探りでドアの前まで行き、6桁の解除ボタン押し脱出成功。全員無事退避。
火災の恐ろしさを実践で学んだ瞬間だった。
俺の仕事は劣化した消火剤を再生させる、全国の日本石油コンビナートの消火薬剤を一人で試験して管理していた。
そのドロドロの薬剤の匂いが臭い、最初は食欲もなくなったが、時代に慣れ、この臭いだけである程度の劣化を予測できるまでに、そしてここで飯も食えるようになった。
たまに森師匠が訪れる。劇薬が置かれた棚の横で、試験管やビーカーが熱殺菌されている、おもむろにビーカーを出し、お湯を沸かしてコーヒータイム。
師匠はこれ飲んでも大丈夫?もちろん大丈夫です。塩酸、純水で最後にアルコールで洗ってますから綺麗ですよ、沸かしたビーカーはどんな試薬を入れたかまでは覚えていませんが、、、、、、水は超純水です。
この場では研究はもちろんだが、機材を利用して自分の状態を知るために爪や皮膚を分析機にかけたりもした。
分析機が置かれたこの部屋は何時も室温20度で静か、外からは誰も入れない、そこで科学便覧を読むついでに食品科学やスポーツ生理学の本を読みあさり、どうしたら強くなれるのかと解析もした。
たまには白衣を着用して試験官になり試験の精度を見極める、ある日何処の出身と聞かれた、佐賀県ですと答えると、違う違う学校、高校ですと答えたら超驚かれた。
この世は実践です、試験の早さも実践で体で覚えてます、頭が悪いもんで、負けませんよ。
アミノ酸といえば。
バームが世に出る前に、明治の人と食品科学研究所に行った。
やー三浦君どうしたの?知り合いですか?そうです私アミノ酸研究してましたで知り合いですというと驚かれた。
途中入社。
途中入社の俺は、最初はフレームの溶接に従事、ある日、人事部に呼ばれ君は科学の知識があるのかと聞かれた。大塚製薬研究所に行くつもりが宮田、、、国立研究所でもアル、、、、そうか試験を受けろ、はーーーー数ヶ月勉強せんと無理ばい。
という事で川流し、宮田工業本社の裏の裏の川向にとらばーゆ。
そこで見た事もない泡系の消火薬剤の研究に回された。これって天職じゃん、超面白い、イラク戦争の時の科学消化器も手がけました。
よし目指すは薬剤師、その為には会社に勤めながら大学に行くしかないと夢見ていたら何故か自転車で世界に飛び出してしまった。