九州の風来坊

今は自由人で風来坊、何処までも突っ走る男は何処に行くのやら

同部屋の柔道とマイナー競技

2008年08月16日 10時35分06秒 | Weblog
選手村で自転車と同じ部屋だった日本柔道。
銅メダルの中村選手は柔道の選手には全然見えない。
重量級の塚田、柔ちゃんも穏やかなに見え、格闘の選手には見えない。
柔道着を着ると変貌するのだろう。
柔ちゃんはアトランタの時に持ち上げさせて貰ったが重い、あの小ささから想像が出来ないぐらい重い、まるで石だ。
中村選手にはメカの鬼原さんが頑張ってと良く声をかけていたので、良く印象に残っている。俺は何の選手か帰国時まで判らなかった。
勝てなくて涙、ニコリともしなかった大和撫子、さすが本物秘めたるものが違う。
選手村に居ると余裕がある選手とそうで無い選手が何となく判る。競技によっては普段の生活にも厳しく団体行動。パソコンを使っている選手もほとんど居ない。

2年前のアジア大会で自転車でゲートに向かっていると、小椋選手から自転車いいですねと声をかけられた。何の競技ときくとバトミントンですと軽快に答え、バト応援してくださいと言われた。
そんな事もあつてバトミントンを見るようになったが以外と面白い。

重量挙の三宅義行さんとは何十年の付き合いで、娘さんが出るから見るようになった、フェンシングも同じだ。
意外と他の競技を見ることが出来ないが、見ると面白い。
自転車は中々放映しないから他の競技を見るしかない、今日は飯島が走るから見たい、放映しろ。




帰国して気がついた

2008年08月16日 00時57分15秒 | Weblog
十三陵、ロードの練習場でトライアスロンの大会会場、
八送怜(漢字が少し違う)がロードレースの会場だった。
昨年北京オリンピツクの会場はどんな所で、道はどんな感じが聞いたところ、以前走った事が有る所だよと言われたが記憶似無かった。
中国、北京近郊は何度もレースを走っているし、万里の頂上付近でも練習は行った事があるからどれがどれか解らない。
選手村に着いて最初に行った十三陵も何処かで見た景色だが、でも同じような景色は何処にでもある。
オリンピックのコースに行く時も別府が下見して簡単にいけるから高速道路で見にいった。その時選手にこの辺で走った事があるんだよねと言いながら試走。
車で補給地点に行く時に良く見ると、やはり走ったことが有るような無いような、記憶がまばら、でも高速道路は無かったし、道はぼろぼろだったしな。
帰国して何となく気になって写真を探してみると、2001年8月1日にこのこのオリンピックコースの頂上で記念撮影をしていではないか。
そしてここで俺は優勝をかましていた。
確かこの直後に北京でオリンピック開催と決定したと思われる。
高速道路と道の改装で気がつかなかったのだろう。
この時の思いでは北京市でのレースで4人の逃げに追いつき、残り20kmを独走、しかし目が痛くて目が開けられない、何度もボトルの水で目を洗いながらゴールを目指す物の残り2kmで集団に捕まり最悪の思い出だけが残り、その後優勝したのも完全に忘れていた。
オリンピックコースは坂の中腹でばらばらになり独走で逃げ切りでした。
この時も気温と湿度が高かった。