九州の風来坊

今は自由人で風来坊、何処までも突っ走る男は何処に行くのやら

恐怖の救急車

2008年05月17日 19時14分58秒 | Weblog
名誉の負傷に倒れた窪木2等兵。
落車後一度は脅威の追い上げで復帰したものの、筋肉が動かなくなり救急車で帰還。
強く脹脛を打ったもようで痛を薬で抑えるが歩行が出来ない。
レース後救急車でテヘランの病院に搬送されるが、足の痛みより救急車の運転が恐怖。
急発進急停車、車線変更、反対車線暴走はまるで映画なみ、想像を絶する運転で後部乗っている俺はただつかまれる物につかまるのみ、窪木は揺れるたびに痛みが走る模様で歯を食いしばる。
一緒に乗ったカタールの選手は恐怖と車酔いで顔が青い。
全身筋肉痛になり無事病院に到着したが余りの揺れで車から降りても歩行が困難。
病院の処置はレントゲン、異常なし、いまだに窪木の足に入る鉄板とボルト数本がくっきり映し出される、〔今年の冬に抜いとけよ、又折れるぞ。〕
その他の傷はまったく処置なし。
ホテル帰宅後三浦ドクターが怪我の処置をした。色々と薬関係を日本から持ってきていて良かった。

標高2600m

2008年05月17日 18時50分56秒 | Weblog
後ろにそびえる山は4000m、日本を代表する若者と通訳のイラージと記念撮影。
この地点でスイカとメロンをたらふく食べ練習終了、それにしても苦しい。
空気が薄いというか、減圧され肺が開かず苦しいという表現がいいだろう。
メタボの俺は数回車につかまりこの2600m地点にたどり着いた。
少しずつ標高をあげこの日は2600mの頂上まで向かった、ここにはモスクがあり多くの信者がこの聖地を目指して登っていた。
1週間練習して行った俺は初日100mで千切れ去りほとんどを車を利用、2日目は一気に1000m地点まで着いていく、2日目は2000mまで追撃、なんと3日目は結構着いていける、選手より体が慣れるのは早い、ただ単におっさんになって居るのと違うぞ、マッスルメモリーの心臓版と循環器版を搭載しているんだから。
人間は一度経験すると危機管理を覚えこむシステムが脳にある、俺はそれを最大限に使っているだけ、だから調整はすべて俺流で調整していく、走りながらアドバイスをするが苦しくて言葉になっていない、標高が上がるにつれ肺が小さくなるような感覚が体にある、力も入らないし頭に酸素がいかないために朦朧としてくる、体は酸素をとりいれようと懸命だ。
調整が失敗すると走れなくなるので慎重に調整を進めていく、来期はこの地で練習するか?

窪木と魔法の箱

2008年05月17日 18時16分32秒 | Weblog
イランで各チームに渡されたアイスボックス。〔ハッポースチロール〕
自分達はアイスボックスを持っていっているので不要。
帰国時に窪木が大学の寮に持って帰ると言い出した。
寮で冷蔵庫の変わりにするらしい、良い考えだ、タンスにもなるし何でも収納が出来て超軽い、でもホテルを出るときにメカにのんなの持って帰ったらぼろぼろになるぞ、空港からどうやって持って帰るんだとさんざ言われて断念。
ホテルで捨てた所、ホテルのボーイが貰ってもいいかと聞くからどうぞと言ったら嬉しそうに運び出した。
多分考えは窪木と一緒で冷蔵庫にするんだろう。
それを見た窪木は本当に残念そうだった、窪木の寮は電気製品が使えないから白くて軽い箱が魔法の箱だったのだ。もうすぐ暑い夏が来るのに。

旧友

2008年05月17日 18時01分28秒 | Weblog
1987年ソールアジア大会ポイントレース金メダルのモハメドと再開した。
初めて大会で会ったのが1985年、その後イラン、イラク戦争が激戦して大会にこなくなったが忽然と参加してイランの強さを見せ付けた。
モハメドは今は自転車界には顔をださず、スポーツ団体で働いている、今回もわざわざレース会場まで足をはこんでくれた、それにしてもお互い年とったものだ。
イランはアジア最強時代が続いたが戦争でその力は衰えた、今も戦争の影響が残っているイラン、国境近くに行くと警察より第一線で戦った市民のほうが強い、この国を俺達が守ったんだという男達の集団がいまでも居る。
そして今は少し豊かになり自転車競技はアジアでも最強の部類に入る、競技人口の比率から行くと日本など目ではない。コンチネンタルチームも数チームとクラブチーム、そこで走る選手に弱い選手は居ない。


観察日記

2008年05月17日 00時35分32秒 | Weblog

窪木一茂日記、右見て左向いて右を向く、道路を渡るときにそのように幼稚園で教えられたのだろうか?
アジア選手権のTTでも10数回振り向いて減速、とまけにゴールを間違えメダルの色まで間違えて取ってしまった。予定では銀色だったのに。
右左を向くのは道路を渡るだけにしようぜ。
ロードレースでは逃げが決まっているのにUターンの場所を4人で間違えてしまう大失態、しかし窪木は速度域が違う超高速走行が可能な男で現在日本のロードレース界では最高峰だ、だから何とか先頭集団に追いついた。〔残り2人は集団復帰ならず〕その後吉田の優勝に貢献。
水筒を腹に多く入れすぎバランスを崩し吉田の横で落車、この時は集団復帰無理と判断して、ゴールまでの弁当を渡すがマレーシアの大地で置いていかれる恐怖からエンジン全開、なんと40分後に集団復帰、本当に一人で追いついてきたの?お前強すぎ。
カナダで溝にはまり落車、その数日後吉田が優勝したのをきっかけに、自分も勝ちたい、どうしたら勝てますかと聞いてきた。そして俺は勝つ手ほどきを与えたらまさしく逃げ切り力で優勝をもぎ取る。やはり強い。
インターハイでも馬鹿正直な走りで4位、じだんだを踏みながら俺はやりました、でも皆が全然引きませんと悔しさをあらわに姿が印象に残る、そしてアジア選手権にいくぞと言ったら死ぬ気で戦うと宣言。お前旧日本兵?
毎回レースに行くと何かをやらかす男、日本チームトラブル発生と無線が入る、窪木と違うかとメカと話すとやはり窪木だ、それも後輪、お前何回パンクしたら良いんだお前の車輪使用禁止命令。なぜかメカトラ多い。
スタート前に顔色が変であせっている、どうしたと聞くとレーサーパンツ忘れましただと、早く言え、俺はメタボの腹を抱え猛ダッシュ、他のチームからパンツ借りてきた。無かったらジャージで走る所だつた。
大学に行き色々と鍛えられているが良くへまやらかす、返事は良いが何をどうして良いかわからない、それも修行だ。今回の遠征でミスして丸ボーズらしいが、良く似合ってるぞ。やはり旧日本兵、それも陸軍2等兵。
イランでは2日目の落車で道路で立ったり座ったり、状況が判らない俺は無線で骨に異常がなかればスタートしろと伝えるが痛みでそれど頃では無いらしい、大変だと車から降り近づくとスピードメーターを気にしている、何処かに飛んでいっていて紛失しているからメーター、メーターと叫ぶ窪木、ぼけさっさと行けと激を飛ばしたら走り始めた。血で染まる自転車とハンドルが痛々しい、大丈夫かと聞くと大丈夫ですと答えた窪木は又しても数十分後集団復帰、この男凄い潜在能力を備えている。
だがここまでで怪我には勝てず救急車で病院送りになった。
痛みを忘れたらしい、リミッター解除機能を18歳にして備えている。
その次の日に吉田が優勝、仲間の優勝に嬉しさと俺も走りたいと思う悔しさ。
ベットに横たわる窪木に悔しいかと聞くと、ハイ悔しいですと答えた、選手として最高の精神を持つ男が燃える瞬間を俺は見たぞ。
良いぞ、燃えろ燃えて優勝をもぎ取れ、どれだけ時間がかかるか判らないがやるしかないのだ。
何か言うとアイコンタクト送る癖がある、ゴール後ドーピングがあるのを知らずにトイレに行ったせいでコントロールに時間がかかる、飲めと言われて2Lを飲み干し1時間半でドーピングを終える、しかし飲みすぎで腹痛を起こしダウン。
寒い福島で練習も出来ない状況で初のエリートレースに参加。日本のプロチームを置き去りに逃げを決め、最終日まで総合6位で走る、最終日はさすがに崩れたが未だ高校在学中、プロの見本になれる?
この最高の速度域を備えた窪木の能力はまだ未知数、パワー走行が可能になれば凄い走りを見せる事間違いなしだ、強くなるか駄目になるかは自分しだいだ。
全日本は怪我でどうなるかが少し心配だ。