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「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

東日本大震災・福島原発事故9年 教訓なき原子力政策

2020-03-24 15:27:13 | 原子力発電・放射能汚染・自然エネルギー
東日本大震災・福島原発事故9年 教訓なき原子力政策
東京電力福島第1原発事故から9年。いまだ収束の道筋も見えないなか、政府は原発再稼働を進めています。「事故の教訓が原子力政策に生かされていない。このまま無責任体制が続けば“第二の福島事故”が起こるに違いない」と警鐘を鳴らす、核・エネルギー問題情報センターの舘野淳事務局長(核燃料化学)に聞きました。(中村秀生)

核・エネルギー問題情報センター事務局長 舘野淳さん

すでに10年近くがたつというのに、事故の教訓を現実の原子力政策にどう反映させるのかーという総合的な検討がされていません。
事故現場は、1~3号機の溶け落ちた核燃料デブリが取り出せず四苦八苦しています。当然、重大な事故が発生した場合、万一の炉心溶融に備えなければいけません。
溶けたものが原子炉格納容器の底に落下するとコンクリートと反応してガスが発生し、爆発を起こす可能性が指摘されています。大量の水の中に落ちた場合には水蒸気爆発の可能性があります。
たとえ炉心が溶けても、耐熱性の材料で受けとめる設備「コアキャッチャー」を設置すれば、ある程度は制御できます。これを設置した原発が、欧州などで開発されています。
しかし日本では、これだけ福島の事故で苦労しているのに、規制基準でコアキャッチャーは必要ないということになっています。



原子力規制委員会が再稼働の前提となる審査でOKを出した東海第2原発。自治体が避難計画を策定することになっている30キロ圏内には約96万人が居住=2月19日、茨城県東海村(本紙チャーター機から山形将史撮影)

【妥協】
原子力規制委員会では個々の原発の技術的検討は行っています。ただ実現可能な工事は求める一方、本格的改造を伴う困難な工事やコストが高い工事については口をつぐんでいます。局所的な安全性だけに帰着させた「現実妥協的な審査」で、再稼働が進められているのが現状です。
事故時の避難計画も規制対象外だとして、目をつぶっています。福島では、お年寄りや入院患者が避難のときに亡くなりました。事故の最大の教訓の一つですが、生かされていません。周辺の人口が多い東海第2原発(茨城県)では、事故時の避難などとても不可能ですが、再稼働に“OK”を出しています。

【幻想】
過去の原子力政策の問題点が次々と明らかになっています。
核燃料サイクル、プルサーマル、高レベル放射性廃棄物の地層処分など、政府は幻想を振りまいてきました。
しかし高速増殖炉もんじゅは安全に運転できず、計画はつぶれました。再処理工場は先がみえず、蓄積するプルトニウムをどうするのかという問題もあります。核燃料サイクル計画のお粗末さは明らかになっています。
福島の事故をみれば汚染土さえどこにも受け入れてもらえないのが現実です。各原発から出る使用済み核燃料はどうするつもりなのか…。当面は「中間貯蔵施設」に置くとしても、問題の先送り以外の何でもありません。全国で廃炉が進みますが廃棄物の後始末問題は残されたままです。
ところが、政府のエネルギー政策をみると「原子力はべースロード」という位置づけは変わっていません。再稼働や輸出など、原子力の体制や産業を維持することしか考えていない。エネルギー政策をどうするか、国民合意をどうつくるか、事故の教訓を踏まえた全面的な見直しが必要で、す。現在の原発システム(軽水炉)そのものの欠陥も、ほとんど議論されていません。
こうした総合的な検討がされずに、無責任状態で再稼働が進んでいます。いつか来た道を歩いているのではないでしょうか。

「しんぶん赤旗」日刊紙 2020年3月23日付掲載


原子力規制委員会は、実現可能な工事は求める一方、本格的改造を伴う困難な工事やコストが高い工事は求めていない。
東海第2原発などは、事故時の避難などとても無理なのに再稼働OKだとか。
日本のエネルギー政策を抜本的に改めるときです。
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安保改定60年 第二部⑤ 鹿児島 馬毛島「米軍基地化」 買収前から基本設計 ひろがる怒り

2020-03-23 07:48:06 | 平和・憲法・歴史問題について
安保改定60年 第二部⑤ 鹿児島 馬毛島「米軍基地化」 買収前から基本設計 ひろがる怒り

「約160億円で買収合意」。馬毛島(まげしま)(鹿児島県西之表市)への米空母艦載機離着陸訓練(FCLP)移転をめぐり、安倍政権はだまし討ちのように地権者と用地買収で大筋合意しました。住民に爆音被害をもたらす「米軍基地化」に住民・自治体は反発を強めています。

「馬毛島周辺は豊かな漁場で、地元では『宝の島』とよく呼びます。基地のある島ではなく昔のままの島を返してほしい」。小中学校の約9年間を馬毛島で暮らした漁師の日高薫さん(71)は水平線上に見える島影を指さし、声を震わせます。



種子島の海岸から馬毛島を指さす日高薫さん=3月14日、鹿児島県西之表市




馬毛島(西之表市のホームページから)

荒涼とした風景
島では、教科書を風呂敷に包み、はだしで通学しました。両親が開拓した畑や田んぼでは米や麦、サツマイモなどを栽培。学校から帰宅した後に麦踏みの手伝いもしました。「兄弟で磯釣りをしたのが思い出です。ブダイやクロダイがよく釣れたんです」と笑みを浮かべます。
種子島から西方12キロの沖合に浮かぶ馬毛島は、戦後に入植が進められ、最盛期の59年には113世帯528人が暮らしました。しかし、バブル経済に突き進み、銀行による土地買い占めの波に巻き込まれ、80年には無人島に。当時、東京に本社を置く立石建設が「馬毛島開発」を買収し、「タストン・エアポート」に社名を変更。同社は島の99%を保有し、県の許可をとらず伐根など違法開発を進め、滑走路などを建設しました。緑豊かだった島は今、砂漠のような荒涼とした風景が広がっています。
昨年11月に政府は、当初鑑定額の3倍超とされる160億円で買収合意を結んだと発表。同年12月に訓練計画を発表し、今年1月から施設整備の検討に必要な調査を実施しています。西之表市は、買収価格の根拠や違法開発された土地を国が買収する問題について質問書を提出しましたが、防衛省はゼロ回答。同省は飛行場などの関連施設工事を2022年度に着手し、25年度からFCLPの運用を可能とする方針を固めたと報じられています。(「読売」19年12月30日付)



タストン社が建設した滑走路(2019年1月30日撮影=提供写真)

防衛相に抗議文
さらに日本共産党の田村貴昭議員の質問(2月18日、衆院予算委員会)で、土地の買収前に馬毛島基地の基本設計を委託していたことが発覚しました。同20日、市は河野太郎防衛相に抗議文を提出。地元に「現時点で移転候補地」と説明しながら設計作業を行、ったことに対し、「甚だ遺憾だ」と抗議。馬毛島を担当する市職員も「設計は整備ありきの話だ。ありえない」と不満を漏らします。
現地では観光業などへの影響を心配する声も上がっています。西之表市で民宿を営む70代の女性は「お客は『癒やし』を求めて種子島に来ます。ダイビングやカヤックを楽しむお客の上を米軍機が飛べば、『また行きたい』と思うでしょうか」と声を落としました。


「米軍訓練 年20日」根拠なし 馬毛島基地建設 米軍制御できぬ日本政府
FCLPは空母の出港直前、艦載機が地上の滑走路を空母の甲板に見立てて、離着陸(タッチ・アンド・ゴー)を繰り返す訓練です。1973年10月の横須賀基地(神奈川県)への米空母配備に伴い、米海軍厚木基地(神奈川県)などで行われていましたが、住宅地の真上を深夜まで飛行し、爆音被害が深刻化。住民の中止を求める声が高まり、89年に厚木から約1200キロ離れた硫黄島(東京都)でFCLPを「暫定的」に行うことで日米が合意しました。
2006年5月の米軍再編ロードマップで、空母艦載機部隊を厚木から岩国基地(山口県)に移転することで合意し、18年3月に移転。岩国から硫黄島までの距離が約1400キロに伸びたことから、防衛省は「パイロットの安全性向上」を理由に、馬毛島への移転を進めました。しかし、太平洋上に浮かぶ硫黄島とは異なり、馬毛島と住民が暮らす種子島とは12キロしか離れていません。米軍最優先で住民に犠牲を強いるものです。





爆音をたてて厚木基地で離看陸を繰り返す米海軍FA18戦闘攻撃機=2007年5月14日午後6時50分、神奈川県大和市

「予定ない」
防衛省は馬毛島の基地について「自衛隊馬毛島基地(仮称)」だと説明。西之表市に提出した説明資料には、▽F35ステルス戦闘機などの「機動展開訓練」▽空てい降下訓練▽C130輸送機などの「不整地着陸訓練」▽輸送機による「物料投下訓練」―など、自衛隊による大規模訓練が想定されています。「大半の時期を自衛隊が使用」し、米軍の使用は年間20日程度としています。
しかし、「FCLPを年20日間程度に制限する取り決めを米軍と交わすのか」との本紙の質問に対し、防衛省は「取り決めを行う予定はない」と回答。年20日間に限定される根拠はありません。
そもそも馬毛島が候補地となった発端は、島の大半を所有する開発会社が同島を国に売り込んだことです。防衛省の資料には「アジア太平洋地域における米空母の活動を確保し、日米同盟の抑止力・対処力を維持・強化」するために自衛隊施設が必要だと明記。馬毛島以外にFCLP移転先が見つからず、「自衛隊基地」としての機能は後付けしたのが真相といえます。



種子島空港の滑走路と同じ方向で米軍が訓練した場合の飛行航路(中種子町作成資料)

地位協定で
防衛省は民主党政権時代の11年にFCLPの飛行ルートを示しました。想定ルートは滑走路を北北西の向きに設定し、飛行経路や70デシベル以上の騒音が種子島に及ばないと説明しました。しかし、種子島周辺の風向きは、冬場に北西から強い季節風が吹くため、現在の種子島空港の滑走路も北西を向いています。馬毛島で滑走路を北西方向に設定すると西之表市や中種子町に飛行ルートが重なるため(図)、「住民を欺くために意図的にルートをずらした」と批判を浴びました。
昨年12月の防衛省資料ではルートすら示さず、「可能な限り種子島及び屋久島の上空を飛行しない」などと説明。事実上、種子島の上空を米軍機が飛行する可能性を認めています。
「防衛省は“基地負担は少ない”と住民が誤解するように情報を開示している」と市議会の馬毛島対策特別委員長で無所属の長野広美市議は指摘します。「説明資料には、米軍の行動を日本政府が制御できないという日米地位協定の問題が一切書かれていない。無責任な説明で地元軽視だ」と語気を強めます。元西之表市議会議長の榎元一已さんも「米軍の訓練は際限なく広がり、自由勝手に種子島の空を飛ぶだろう。それが日米地位協定の実態だ」と述べます。



商店街で掲げられた、馬毛島へのFCLP移設反対を訴える看板=3月14日、鹿児島県西之表市

絶対止める
防衛省は基地交付金などの“アメ”をちらつかせて、住民に分断を持ち込んでいます。基地賛成派の宣伝車が市内を走り、「国に貢献することで、人口減少や借金まみれの市に子どもや孫が暮らし続けるためのチャンスをいただいた」と連呼します。榎元さんは指摘します。「基地交付金というおこぼれをもらっても島に未来はない。住民自らの力で島を発展させるべきだ。市長も含め基地反対の意思を明確に示す時です」
「馬毛島への米軍施設に反対する市民・団体連絡会」はFCLP反対の署名を約20日間で1000人以上集めました。西之表市の人口の過半数約8000人を目指しています。三宅公人会長は「かつてFCLP候補地だった三宅島(東京都)や広島の大黒神島でも住民の反対で移転を阻止した。今度も絶対にとめる。7月の鹿児島県知事選を『FCLPノー』と国に言える県政を問う選挙にしたい」と意気込みます。

「しんぶん赤旗」日刊紙 2020年3月22日付掲載


陸上空母離着陸訓練は、今まで夜間に行われるNLPが問題視されてきた。今は、夜も昼間も関係なしに行うのでFCLPという。
住民の根強い反対運動によって、硫黄島で行われるようになったが、空母艦載機が厚木から岩国に移転にともなって、鹿児島県の馬毛島でのFCLPが狙われている。
種子島からわずか12キロの距離での訓練は許されない。
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いのち守る くらしの防災③ 必要なものを知る 近未来「明日」に備えて

2020-03-22 07:37:29 | 震災・災害・復興・地震&災害対策など
いのち守る くらしの防災③ 必要なものを知る 近未来「明日」に備えて
坂本佳奈

災害が起きたら、避難所に行って、避難所でなんとかなる…。身体の安全という意味では正解ですが、まず避難所には入れないかもしれません。
そして避難所に入れても、食料その他が回ってくるとは限りません。
例えば、わが神戸市では、現在約20万人分の備蓄をしています。十分でしょうか。神戸市の人口は2019年で約153万人、人口に対して備蓄量を考えると非常に少ないといわざるを得ません。これは都市部では特に備蓄場所の確保が難しく、どんなに頑張っても全員の分を賄うだけの備蓄はできません。個人個人である程度備えておく必要があります。




避難袋3段階
また災害がいつ来るか、台風や水害の時はあらかじめ、ある程度の予測がつきますが、突発的に起こる地震などは、いつ、どこで、どんなふうに起こるかはわかりません。新聞を読んでいる今この時に起こるかもしれない。今すぐ避難してくださいといわれて、家に取りに帰るわけにはいきません。
「避難袋その1」は、普段持っているかばんです。私のかばんには、財布などの他に、持病の薬、リップクリーム、小さな水筒、アメかチョコレートが入っています(図1)。移動中、電車が止まって動けなくなったとしても、水も食べ物も少しあるので数時間は問題ありません。他にも自分の生活にすぐ必要だと思うものを持っておくといいでしょう。たくさん持っておく必要はなく「今使っているものを、少しだけ」でかまいません。
そして、いわゆる一般的に避難袋と呼ばれるのが「避難袋その2」。リュックサックに3~5日程度必要な準備をしておき、津波等で家を出る必要がある時はそれを持って出ます。それから「避難袋その3」、家全体を備蓄の場所と考え、買い物に行かなくても1~2週間食べつなげるだけの準備をしています。支援物資などがいき渡るのは遅くとも1週間から10日後なので、最初の1週間を食べつなぐ準備をしておけばよいのです。
具体的な備蓄の仕方は、まず先週1週間分の献立を書き出してみましょう。覚えていないなら、今日から1週間、家族全員、間食も含めて何を食べたのか記録してみます。この記録を元にすれば、必要な食品がわかるでしょう。そしてその普段食べているものを、切らさず置いておくようにしましょう。
防災の手始めは「明日、買いに行けないかもしれないから、明日の分は家に置いておこう」から始まります。毎日毎日来るか来ないかわからないことを考えるよりも、少し手前の未来に備えておくだけで十分です。



◆尿・便・紙と三つに分別し、ふたつきの大きな箱に大きなポリ袋を入れたものに貯めておき、衛生上心配ない所に置き、個別に回収することで衛生上の安全を保てる。
便は新聞紙を箱型に折った物を利用しポリ袋へ。尿はペットポトルの上部分をカットしてボトル部分にポリ袋をかぶせ、上部をじょうごの形にして尿を取る。
口を結んでポリ袋に入れるようにすると清潔に処理できる。汚染源となる便と清潔な尿を混ぜると発酵も起きやすい。
(※)ペットポトルシャワー…ふたに5~6個穴を開けてキャップして使う



神戸市中央区のポートアイランド。URの分譲団地では、エレベーターチェアーと称して、非常時に必要な物を備えています。



ごみ対策準備
備蓄というと、食べる方にばかり目がいってしまいますが、出す方の準備も大事です。北極や砂漠など、流す水もなければ、ごみを持っていってもくれない場所ではどうしているのかというと、ごみが回収されるまで貯めておきます。
その時に大事なのが、出すもの全てをひとまとめにするのではなく、水分は水分、固形物は固形物、身体に触れた紙は紙として分けておくことです。一番厄介なのは固形物ですが、ここに尿や紙を混ぜてしまうと全てが不衛生になります。そこで排せつごみを3分別します。(図2)
(食文化・料理研究家、「まなぼうさいラボ」代表)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2020年3月20日付掲載


通勤バックにも、最低限のものを備えていないといけないのですね。
血圧の薬も数日分を。小さいペットボトルも。そして、おくすり手帳も。
レジ袋NO!のために常備しているビニール袋も、いざという時には役に立つ。
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いのち守る くらしの防災② 平時に実践 「ない」を想定で暮らす

2020-03-21 09:22:21 | 震災・災害・復興・地震&災害対策など
いのち守る くらしの防災② 平時に実践 「ない」を想定で暮らす
坂本佳奈

日本列島を見渡せば、2000年代以降、ほぼ毎年のように規模の大きな地震や水害に見舞われています。日本で生活する以上、いつかどこかで被災すると想定して準備をしておかねばなりません。
そうは言っても、いつ災害が起こるかと緊張しながら毎日生きるのも難しいことです。神戸では震災後「陶器の器が割れてしまうから毎回箱にしまって、シートに包んで食器棚にしまいます」「地震がもう一度起こってもいいように靴を枕元に置いています」という体験談もありました。



電気やガスが止まった時にも使える卓上コンロ(右)や、電気だけが復旧した時に便利な卓上IHヒーター


子どもが持ち運びできるLEDランプ。普段使い出来る明かりを一人ひとつづつ

日常を眺める
25年たって、今そんな生活をしている人がいるかというと、そんな非常時に焦点を合わせた暮らしをしている人はいません。半分以上が地震を知らない世代になってきたこともありますが、人間には普通の生活があります。朝起きてご飯を食べ、会社や学校に行き、帰ってきてご飯を食べて、風呂に入って寝るという、変わらない日常生活があります。大きな変化なく積み重なる日常こそが、心の安定の元であり、生きていくということでもあります。
普通の日常生活を生きる点から眺めると、防災に必要なものが分かります。朝起きてから寝るまで、何をしますか。持病がありますか。ペットは飼っていますか。ひとりひとり、防災の準備は変わります。
さて災害が起こると何が起こるかというと、電気・ガス・水道が止まり、電気を利用した電話・携帯電話などが使用できなくなります。あなたの生活の中で、これらのものはどう使っているでしょうか。代用品はあるでしょうか。想像するよりも、実際に止めたり使わない状態にしてみると必要な物が分かります。



アルミ缶を使ってランプを作る
①アルミの空き缶を図のように切り開き、ふたの部分は取っ手(持つ部分)として、胴体の開いた部分は切り広げて反射板として使う。
②底の部分に油(サラダオイルなどの液体油)を入れ、そこに灯心(ティッシュをこより状にして作っても)を二つつけたW型のアルミホイルの灯心を置くと、持って移動できるランプができる。底の部分にろうそくを立てても。
◆注意◆…火の上に燃えるものが来ないように。換気や燃え移りに気を付ける

携帯の充電は
災害のない平和な時に、ライフラインを止めてみましょう。厳密なものではありません。冷蔵庫の物が腐ったりすると大変ですから、元の電気は落とさずにいても構いません。「ない」と想定して、実際に使うのをやめてみます。途中で嫌になったり、調子が悪くなったりすれば、すぐ止めましょう。
できれば、朝起きてから寝るまで丸一日家族で生活して、あったらいい物をメモしていきます。明かりがどれだけあればいいか、冷蔵庫はどのぐらい使うのか、携帯電話の充電はどうできるのか、などなど、想像していた通りになるかもしれませんし、想像以上に困ったことが出てくるかもしれません。家の中にいて、野外キャンプのような状態になるので「おうちキャンプ」と呼んでいます。
わが家で、おうちキャンプをしてみたところ、真っ暗だと何となく不安になることがわかりました。猫と暮らしており、ろうそくだと倒されて危険なので、LED電球のランプを用意しました。ろうそくのような小さな明かりをひとり一つ、スマートフォンなどが充電できる蓄電池機能付きのものを一つ用意しました。ろうそくのようなランプは、夜にトイレなどに行く時に使っています。
阪神・淡路大震災では電気が7日後、ガスと水道は3カ月後に戻ってきました。電気は地上にある分、比較的早く回復しやすいようです。
(食文化・料理研究家、「まなぼうさいラボ」代表)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2020年3月13日付掲載


「防災訓練」で「おうちでキャンプ」って最近よく聞きますね。
ライフラインが止まったと仮定して、一日お家で暮らしてみます。
「あったらいいな」ものをメモしていく。懐中電灯などは複数用意。ラジオ付きがいいかな。
カセットコンロはガスボンベがすぐになくなるので、IHヒーターがあると便利かな。
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いのちを守る くらしの防災① 何を備えるか 命救われた経験と共に

2020-03-20 11:42:05 | 震災・災害・復興・地震&災害対策など
いのちを守る くらしの防災① 何を備えるか 命救われた経験と共に
坂本佳奈
さかもとかな
食文化・料理研究家。大阪市立大学院生活科学部前期博士課程修了。子どもからの防災教育のスペシャリストとして「まなぼうさいラボ」設立。科学の視点からの防災の食を研究、米粉の推進普及を行う

「防災」と聞くと、どのようなことを思い浮かべるでしょうか。避難所を確かめておく、家の補強をしておく、食料を買っておく、いろいろな事が浮かんでくるでしょう。災害が起こった時のための準備。を引っくるめて“防災”と呼んでいます。その防災、今できていますか?
1995年1月17日午前5時46分、阪神・淡路大震災が起こりました。第2次世界大戦後、初めての都市部直下型地震でした。当時、関西には地震が来ないと言われていました。東京など関東は関東大震災のような大きな地震に襲われると思われていました。

突然の大地震
ところが、本当に突然、大きな地震がやってきたのです。幸いにしで津波はありませんでした。わが家はまさに活断層のすぐそばにあり、震度7の場所にありました。家は無事だったものの、本棚が崩れ、私はその下敷きになりました。朝、陽が昇る前の真っ暗な時間帯で、かぶっていた布団を顔にかけてしまい、それで顔を圧迫して窒息しました。
暗闇で「これは夢を見ているに違いない、早く起きなくては」と焦りました。いくら目を覚まそうと思っても、身体を起こそうと思ってもビクともしませんでした。動けないでいたまま、意識がなくなりました。
気がつくと、隣の部屋にいた両親が私を掘り起こしてくれ、ほとんど止まっていた息を習いたての心肺蘇生法で吹き返してくれました。大きな地震があったのだと分かったのは日も高くなってからで、情報源はラジオのみ、どこで何が起こっているかはほとんど分かりませんでした。
いまと違うのはインターネットがまだなく、携帯電話も普及が始まったばかりの頃で、情報の量が格段に少なかったのです。避難所には支援物資や情報が来ました。避難所に人が殺到し、救援活動をしていたり、足が悪かったり、なんらかの理由で先に入れなかった人たちは、家または別の場所に行かざるを得ませんでした。


マスクは震災時の粉じんから命を守る大切なもの。伸縮性のあるキッチンペーパーで、ぴったりしたマスクが簡単に作れます
マスクの作り方


①三角に折って切り込みを入れる

②サイドに当たる所を折り込む

③下を折る

④上を折る。三層安心フィルターマスクができる

⑤切り込みを耳にかける

⑥赤ちゃんにも

避難生活では
その日から、自宅にいての避難生活が始まりました。電気なし、水道なし、ガスなし。まるで野外キャンプのようでした。台所にあるビニールや、アルミホイル、キッチンペーパーが生活の役に立ちました。
あれから25年たっても、つい1週間ほど前の出来事のように当時を思い出します。「あの時、心肺蘇生法を知っていてよかった。あなたを救えてよかった」と母は亡くなるまでよく言っていました。
大きな災害では、一瞬にして平穏な暮らしがなくなります。どんなに不便で困難な時でも、人間は食べて、出して、寝て、その基本的な暮らしを止めることはできません。いつものように買い物に行き、いつものように苦労することなくご飯を作る、ゆっくりお風呂に入って休める暮らし、復興とは、そんな日々の暮らしが戻って来ることでもあります。
では、復興するために何を備えていたらよいのか、それは毎日の生活の中に答えがあります。日常に全く必要を感じないものは、実は災害時もいらないものが多いのです。物の準備の後は、いくつか知っておくと便利なことがあります。例えば心肺蘇生法を父母が知らなかったら、私は、ここに居ないでしょう。
(金曜掲載)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2020年3月6日付掲載


坂本さんのおうちは倒壊しなかったのですね。それは良かったですね。
僕の住んでいた文化住宅は、倒壊もまぬがれて、電気も早く復旧しました。水道も近くの烏原浄水場からの水で止まることはありませんでした。
食事はともかく、トイレやお風呂に困りましたね。
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