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「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

シリーズ 原発の深層  第二部・米戦略のもとで⑨ 英国式を抑えたのは

2011-10-12 21:45:59 | 原子力発電・放射能汚染・自然エネルギー
シリーズ 原発の深層  第二部・米戦略のもとで⑨ 英国式を抑えたのは

 「当時、官邸まで出かけて正力さんに(英国の)コールダーホール型原子炉の問題点を指摘して再考を促した。耐震設計が弱い、採算性が悪い。しかし『木っ端役人は黙っておれ』と一蹴された」
 元科学技術事務次官の伊原義徳氏はこう述懐します。

“手柄づくり”
 1956年1月、正力松太郎氏は初代原子力委員長への就任直後、「5年以内の原発建設・米国との動力協定締結」を表明しました。首相の座につく野望を果たすための政治的アピールでした。
 ところが、わずか数カ月後、原発建設の“手柄づくり”にはやる正力氏は、米国が開発中の濃縮ウラン型原子炉の完成を待っていられないとして、当時、最も実用化が進んでいた英国のコールダーホール型原子炉(天然ウラン黒鉛型)の導入に突き進みます。
 こうした動きに強い危機感を抱いたのは言うまでもなく米国です。早速、強烈な巻き返しに出ます。
 外務省が57年2月に作成した内部文書(極秘)は、当時の状況について「(米国は)日本が英国式動力炉(天然ウラン黒鉛型)購入のため英国と動力協定を結び、原子力発電に関し英国の陣営に投ずることを警戒し、陰に陽に、米国の濃縮ウラン式発電炉の長所を日本に宣伝」したと指摘しています。
 56年10月、コールダーホール型原子炉導入の是非を検討するため、日本から英国原子力調査団(団長=石川一郎原子力委員会委員・経団連会長)が派遣されます。
 前出の外務省文書は、米国がこの時、「訪英使節団長として英国に赴いた石川委員を特に米国に招いて、米国式発電炉の優越性を誇示し、右動力炉購入を可能ならしめる一般協定案に関し石川委員と再三折衝した」と明かしています。



日本初の商用軽水炉・敦賀原発1号機=1999年7月撮影、福井県敦賀市


訪米報告書で
 訪英調査団は翌57年1月、報告書を原子力委員会に提出。英国のコールダーホール型原子炉について「日本に導入するに適するものの一つ」と結論付けます。
 一方で、米国を訪れた石川氏らは別に視察報告書を提出し、「米国の原子力に関する蓄積された知識と経験」は「世界をリードする」と強調。米国から実用大型炉を直ちに導入するのは「尚早」としつつ、「近い将来においてこれをわが国に導入する時代が来る」と断定しました。
 コールダーホール型原子炉が導入されたのは、日本初の商業用原発となった東海発電所のみ。それ以降はすべて、米国が開発した濃縮ウラン型原子炉(軽水炉)が採用されたのです。コールダーホール型は98年に営業運転を停止しました。
 原子力の力で日本の頂点を目指した正力氏。しかし、原子力の力で世界を支配しようとした米国にあらがうことはできませんでした。(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2011年10月9日付掲載



原子力発電で主導権を握りたかった正力氏。でも、さすがにアメリカの圧力にはかなわなかったようですね。
現在の原発の燃料のウランはほとんどをアメリカに依存しています。その原発から撤退して自然エネルギーへ計画的に移行して行く為には、アメリカに正面から物の言える政府をつくって行かないといけないのでしょうね。

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