巨大電通の漆黒⑤ 「赤旗」の告発報道
「お得意さんに一生懸命奉仕するんですよ。一つのプロジェクトを担当すると、自分がそのプロジェクトの社長のようになるんです」
大手メーカーを担当していた電通OBの言葉です。
絶大な影響力
プロジェクトの責任者になれば、クライアント(広告主)への「愛社精神」をもって、資金面から企画立案、メディア対策を含むすべてを仕切って業務に打ち込むといいます。
クライアントのためなら、どんなことでもする「便利屋」の力は、日本を動かす政財官に対し威力を発揮するのです。
電通とライバル関係にある博報堂OBは、電通を「底知れない会社」だと言います。「幅広い人脈をもち、全業種・全企業を網羅している。電通がくしゃみをすると、メディアは風邪をひくといわれるほどメディアへの影響力は強い」と、その絶大な影響力に舌を巻きます。
メディア関係者は朝3時、4時まで接待漬けにあうことも。企画案を出させれば、トラックいっぱいになる―。業界の間では、電通に関してこんな逸話すらあります。
創業以来119年の歴史を持つ電通には、かつて、メディアへの“工作機関”が存在しました。
以前、電通の雑誌局次長だったF氏にちなみ「F機関」と呼ばれていました。電通のクライアントの不祥事をもみ消す目的で、週刊誌に別の情報を報道させ、不祥事から世論の目をそらすといいます。雑誌社には協力に対する見返りも用意されていました。
「半世紀以上前の話だよ。(F氏のような人が)仮に今も存在していれば、電通の不祥事がメディアにさらされることはない」と、電通OBは言い切ります。
超高層の電通本社ビル=東京都港区
背後に独占体
電通の「メディア支配力」に屈せず、露骨な圧力をメディアにかけた事実をスクープしたのが「赤旗」でした。
1971年2月7日付の「赤旗」日刊紙1面に「『公害・物価』報道に電通が圧力」という見出しが躍りました。電通の新聞雑誌局長だった小暮剛平(こぐれ・ごうへい)氏が、公害や欠陥製品などを追及する被害者・消費者運動を敵視し、これに関する報道に圧力をかけたとする内容です。
「消費者運動に関する報道をセンセーショナルなものから“理性的”に取扱わせるため、働きかけをすすめてきたが、読売、毎日については功を奏した」とされる小暮氏本人の発言を暴露。
アメリカの消費者運動の活動家だったラルフ・ネーダー氏を読売新聞が日本に招いた際、電通が「読売」に圧力をかけ、ネーダー氏の特集計画を「変更」させました。毎日新聞にいたっては、同紙の常務が役員会で公害について言及し、電通が「記事の扱いを注意した」といいます。
これに対し「赤旗」は「独占資本の意向代弁」(71年2月15日付)とキャンペーンを張りました。
「スポンサーのイメージダウンにつながることは一切報道させない―原稿そのものをボツにさせる。ボツにできなければ社名を出さないように“工作”する」と、電通の企業体質を鋭く告発。
当時、マスコミ関連産業労働組合共闘会議副議長だった故・荒川恒行氏(元電通社員)は「赤旗」(71年2月7日付)に語っています。
「電通の背後にいるものはスポンサーである独占体です。このような干渉、介入に慣れっこになることは危険です」
大手メディアは独占体であるスポンサーの不興を招かぬよう忖度(そんたく)報道をしている、といわれています。半世紀を過ぎた今、荒川氏のいう「危険」が現実となっているとすれば、国民には悲劇です。
(おわり)(新井水和、金子豊弘、小村優、清水渡が担当しました)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2020年9月19日付掲載
巨大広告代理店「電通」でも、広告主(それは日本の電機産業、鉄鋼産業、自動車産業などの巨大企業)の意向に背くことはできない。
その関係をスクープできたのは「しんぶん赤旗」だけだった。
「お得意さんに一生懸命奉仕するんですよ。一つのプロジェクトを担当すると、自分がそのプロジェクトの社長のようになるんです」
大手メーカーを担当していた電通OBの言葉です。
絶大な影響力
プロジェクトの責任者になれば、クライアント(広告主)への「愛社精神」をもって、資金面から企画立案、メディア対策を含むすべてを仕切って業務に打ち込むといいます。
クライアントのためなら、どんなことでもする「便利屋」の力は、日本を動かす政財官に対し威力を発揮するのです。
電通とライバル関係にある博報堂OBは、電通を「底知れない会社」だと言います。「幅広い人脈をもち、全業種・全企業を網羅している。電通がくしゃみをすると、メディアは風邪をひくといわれるほどメディアへの影響力は強い」と、その絶大な影響力に舌を巻きます。
メディア関係者は朝3時、4時まで接待漬けにあうことも。企画案を出させれば、トラックいっぱいになる―。業界の間では、電通に関してこんな逸話すらあります。
創業以来119年の歴史を持つ電通には、かつて、メディアへの“工作機関”が存在しました。
以前、電通の雑誌局次長だったF氏にちなみ「F機関」と呼ばれていました。電通のクライアントの不祥事をもみ消す目的で、週刊誌に別の情報を報道させ、不祥事から世論の目をそらすといいます。雑誌社には協力に対する見返りも用意されていました。
「半世紀以上前の話だよ。(F氏のような人が)仮に今も存在していれば、電通の不祥事がメディアにさらされることはない」と、電通OBは言い切ります。
超高層の電通本社ビル=東京都港区
背後に独占体
電通の「メディア支配力」に屈せず、露骨な圧力をメディアにかけた事実をスクープしたのが「赤旗」でした。
1971年2月7日付の「赤旗」日刊紙1面に「『公害・物価』報道に電通が圧力」という見出しが躍りました。電通の新聞雑誌局長だった小暮剛平(こぐれ・ごうへい)氏が、公害や欠陥製品などを追及する被害者・消費者運動を敵視し、これに関する報道に圧力をかけたとする内容です。
「消費者運動に関する報道をセンセーショナルなものから“理性的”に取扱わせるため、働きかけをすすめてきたが、読売、毎日については功を奏した」とされる小暮氏本人の発言を暴露。
アメリカの消費者運動の活動家だったラルフ・ネーダー氏を読売新聞が日本に招いた際、電通が「読売」に圧力をかけ、ネーダー氏の特集計画を「変更」させました。毎日新聞にいたっては、同紙の常務が役員会で公害について言及し、電通が「記事の扱いを注意した」といいます。
これに対し「赤旗」は「独占資本の意向代弁」(71年2月15日付)とキャンペーンを張りました。
「スポンサーのイメージダウンにつながることは一切報道させない―原稿そのものをボツにさせる。ボツにできなければ社名を出さないように“工作”する」と、電通の企業体質を鋭く告発。
当時、マスコミ関連産業労働組合共闘会議副議長だった故・荒川恒行氏(元電通社員)は「赤旗」(71年2月7日付)に語っています。
「電通の背後にいるものはスポンサーである独占体です。このような干渉、介入に慣れっこになることは危険です」
大手メディアは独占体であるスポンサーの不興を招かぬよう忖度(そんたく)報道をしている、といわれています。半世紀を過ぎた今、荒川氏のいう「危険」が現実となっているとすれば、国民には悲劇です。
(おわり)(新井水和、金子豊弘、小村優、清水渡が担当しました)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2020年9月19日付掲載
巨大広告代理店「電通」でも、広告主(それは日本の電機産業、鉄鋼産業、自動車産業などの巨大企業)の意向に背くことはできない。
その関係をスクープできたのは「しんぶん赤旗」だけだった。
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