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「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

ドキュメンタリー映画「ヒロシマへの誓い―サーロー節子とともに」を見て 被爆者のメッセージ ぶれずに伝え続け

2021-04-08 07:18:20 | 国際政治
ドキュメンタリー映画「ヒロシマへの誓い―サーロー節子とともに」を見て 被爆者のメッセージ ぶれずに伝え続け
=高草木 博=

カナダ在住の広島被爆者、サーロー節子さんの半生と核兵器禁止条約の成立・発効への歩みを描いた映画「ヒロシマへの誓い―サーロー節子とともに」を見た。

体験と家族史重なり合って
制作を企画した竹内道さんは、広島の日赤病院(原爆病院)の初代院長、竹内釼(けん)さんの孫で、被爆2世でもある。
2人は、同じ広島女学院の卒業生だ。道さんはニューヨークに住み、節子さんが平和グループに招かれ、現地で被爆体験を語ったとき、通訳を務めて知り合った。その時、道さんは「節子さんには自分に欠けているものがある」と感じた。それは「ヒロシマを語ろうとする態度」だったという。2015年、NPT(核不拡散条約)再検討会議の頃のことだ。
話は、節子さんの体験と、それに触発され掘り起こした竹内さんの祖父と、見つめ直した母親孝子さんとの「家族史」が重なり合って進んでいく。
節子さんは13歳の時、軍の暗号解読の作業に学徒動員で駆り出され、被爆した。崩れ落ちた建物の瓦礫から必死の思いで這い出たが、多くの友は生きたまま、焼かれた。
映画では、その体験が生徒たちを前に、節子さん自身の口で語られ、当時の写真や占領当局に没収され、軍の機密とされた映像、被爆者が記憶で描いた絵などでつづられていく。一面に広がる瓦礫も、爆心から1・5キロの赤十字病院での治療の様子も生々しく、人々の無表情さがなおさら見る者の心をえぐる。



同窓の犠牲者351人の名前を記した横断幕とともに国際会議で訴えるサーロー節子さん
©21Not Just a Survivor Film,LLC

活動の原動力倫理的な信念
核兵器の廃絶は世界の流れとなった。ことし1月には、50を超える国々の批准で核兵器禁止条約が発効した。だが、被爆者にとりその道のりは苦難に満ちたものだった。米軍は日本を占領するとただちに、「死ぬべきものはすべて死に、すでに広島に放射能に苦しむものはいない」と宣言し、原爆報道を禁じた。被爆者は食べ物も住まいも身寄りも失い、もっとも必要なときに救援の道が閉ざされた。
だが、節子さんは、「ヒロシマを語る」ことをやめなかった。ビキニ事件が起こった1954年、留学したアメリカで記者の問いに、水爆実験をやめるよう主張し、ヘイトの手紙が殺到した。まだ、広島、長崎の被爆を「当然の報い」といい、「パールハーバーを忘れるな」という反応が当たり前のように返された時代だ。
その自身の活動について彼女は、キリスト教が自分の活動の原動力であり、土台だと語っている。師と仰ぐ牧師の谷本清から受け継いだ「行動を伴わない信仰は、真の信仰ではない」という倫理的信念が、その核心だ。

条約参加迫り行動を訴える
「核兵器のない世界」の実現が合意された2010年のNPT再検討会議以後、核兵器の非人道性を告発した3度の国際会議でも、2017年の核兵器禁止条約交渉会議、同年12月のノーベル平和賞受賞演説でも彼女は、「苦しみをわかってほしいのでも、同情してほしいのでもない、あなたも行動してほしいのだ」と、ぶれることなく被爆者のメッセージを伝え続けた。
節子さんは、いま、日本政府に条約への参加を求める署名運動のよびかけ人の1人だ。
画面に、条約発効のニュースと批准した50力国のリスト、それに「核兵器廃絶の日までリストは増え続ける」という節子さんの言葉が流れる。日本政府もこの思いを汲まなければならない。
(たかくさき・ひろし 原水爆禁止日本協議会代表理事)



アメリカ映画。スーザン・ストリックラー監督。16日から広島・八丁座で、17日から東京・ユーロスペースほかで公開、順次全国で

「しんぶん赤旗」日刊紙 2021年4月7日付掲載


キリスト教徒として「行動を伴わない信仰は、真の信仰ではない」という倫理的信念で、核兵器廃絶を求め続けたサーロー節子さん。
核兵器禁止条約の発効は感慨無量の事と思います。
「同情するのではなく、行動して欲しい」
まさにその通りです。
映画は、兵庫県では5月1日から元町映画館で上映開始です。
コメント
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