なくそう戦争法
障害者は人間の尊厳踏みにじられ 戦争、人生の困難強いた
アジア・太平洋戦争下で、厳しい生活を送らざるを得なかった障害者。教育を受ける機会を阻まれた聴覚障害者は、戦後も困難の中を生きることを強いられ続けました。
(岩井亜紀)
「人に知られたくないこともしてきました。生きるためには仕方がなかった」―。
黒時安さん(86)=兵庫県洲本市=は、こう話します。
幼少時、父親は「耳の聞こえない子を産んだ」と母親を責め、暴力を振るっていました。家にお金を入れなかったため母親はお好み焼きやたこ焼きを売り、生活の足しにしていました。心労で母親は亡くなりました。

年末の行事で「安」を書く黒さん=2015年12月、兵庫県洲本市

夫が断種させられたときの話をする勝楽さん=2015年12月、兵庫県洲本市
空襲で逃げ惑い
大阪のろう学校に通っていた黒さん。学ぶために必要なお金をやむなく盗んだことが発覚し、学校に行けなくなりました。11、12歳のころでした。
大阪大空襲(1945年3月13日)では、燃え盛る火の中を逃げ惑いました。食べ物を求めて歩きまわり、土手のヨモギを取って口に入れたりしました。1カ月余り墓場の隅に寝泊まりし、供物で空腹をしのぎました。
「読み書きができない者は教えられない」と、求職した工場に断られました。名古屋の少年刑務所や大阪・堺の刑務所に収監された経験も。27歳のころ、大阪で靴磨きをするろうの夫妻と出会いました。黒さんも靴磨きで生計を立てるようになりましたが、客が減り廃品回収で食いつないでいきました。
黒さんは昨年末、入所するろうあ者専門の特養ホーム「淡路ふくろうの郷」(兵庫県洲本市)の行事で「安らかに過ごせますように」との願いを込め、自身の名前にある「安」を書きました。
特養ホームの大矢遅施設長は「入所者約40人のうち黒さん含め11人が義務教育の機会を得られていません。ろうあ者であるがために経済的貧困に加え孤立や文化的・社会的貧困も重なり壮絶な生活を送らざるを得なかった人が少なくない」と強調します。
勝楽佐代子さん(86)は「ふくろうの郷」が開所した2006年4月、夫の進さん(故人)と二人分の荷物を軽トラック2台に積んできました。その中には、50体もの手づくりの人形が。「私たちは二人ともろうあ者で、子どもをつくることが許されなかったのです。人形は私たちの子どもです」
55年に結婚した勝楽さん夫妻。親の意思で進さんは断種手術を受けさせられました。「私たちの思いは尊重されませんでした」
日本では40年に、国民優生法で遺伝性疾患をもつ患者に対する断種が規定されました。48年に制定された優生保護法では、96年の母体保護法に変更されるまで、遺伝性疾患に加えハンセン病や精神・知的障害者に対する断種も定められました。
優生思想で断種
大矢さんは言います。「“障害者は不要”とする優生思想から、障害者は断種を強制され、人としての尊厳を踏みにじられてきました。戦後50年以上たってやっと、この考えが改められ始めたのです。戦争への道に進めば社会保障費が削減され、障害者が尊厳を持って暮らすことができません。戦争法は廃止しかありません」
「しんぶん赤旗」日刊紙 2016年3月3日付掲載
障害をもっているだけで、役立たずもの扱いされる社会。許されませんね。
やはり戦争法はキッパリ廃止を!
障害者は人間の尊厳踏みにじられ 戦争、人生の困難強いた
アジア・太平洋戦争下で、厳しい生活を送らざるを得なかった障害者。教育を受ける機会を阻まれた聴覚障害者は、戦後も困難の中を生きることを強いられ続けました。
(岩井亜紀)
「人に知られたくないこともしてきました。生きるためには仕方がなかった」―。
黒時安さん(86)=兵庫県洲本市=は、こう話します。
幼少時、父親は「耳の聞こえない子を産んだ」と母親を責め、暴力を振るっていました。家にお金を入れなかったため母親はお好み焼きやたこ焼きを売り、生活の足しにしていました。心労で母親は亡くなりました。

年末の行事で「安」を書く黒さん=2015年12月、兵庫県洲本市

夫が断種させられたときの話をする勝楽さん=2015年12月、兵庫県洲本市
空襲で逃げ惑い
大阪のろう学校に通っていた黒さん。学ぶために必要なお金をやむなく盗んだことが発覚し、学校に行けなくなりました。11、12歳のころでした。
大阪大空襲(1945年3月13日)では、燃え盛る火の中を逃げ惑いました。食べ物を求めて歩きまわり、土手のヨモギを取って口に入れたりしました。1カ月余り墓場の隅に寝泊まりし、供物で空腹をしのぎました。
「読み書きができない者は教えられない」と、求職した工場に断られました。名古屋の少年刑務所や大阪・堺の刑務所に収監された経験も。27歳のころ、大阪で靴磨きをするろうの夫妻と出会いました。黒さんも靴磨きで生計を立てるようになりましたが、客が減り廃品回収で食いつないでいきました。
黒さんは昨年末、入所するろうあ者専門の特養ホーム「淡路ふくろうの郷」(兵庫県洲本市)の行事で「安らかに過ごせますように」との願いを込め、自身の名前にある「安」を書きました。
特養ホームの大矢遅施設長は「入所者約40人のうち黒さん含め11人が義務教育の機会を得られていません。ろうあ者であるがために経済的貧困に加え孤立や文化的・社会的貧困も重なり壮絶な生活を送らざるを得なかった人が少なくない」と強調します。
勝楽佐代子さん(86)は「ふくろうの郷」が開所した2006年4月、夫の進さん(故人)と二人分の荷物を軽トラック2台に積んできました。その中には、50体もの手づくりの人形が。「私たちは二人ともろうあ者で、子どもをつくることが許されなかったのです。人形は私たちの子どもです」
55年に結婚した勝楽さん夫妻。親の意思で進さんは断種手術を受けさせられました。「私たちの思いは尊重されませんでした」
日本では40年に、国民優生法で遺伝性疾患をもつ患者に対する断種が規定されました。48年に制定された優生保護法では、96年の母体保護法に変更されるまで、遺伝性疾患に加えハンセン病や精神・知的障害者に対する断種も定められました。
優生思想で断種
大矢さんは言います。「“障害者は不要”とする優生思想から、障害者は断種を強制され、人としての尊厳を踏みにじられてきました。戦後50年以上たってやっと、この考えが改められ始めたのです。戦争への道に進めば社会保障費が削減され、障害者が尊厳を持って暮らすことができません。戦争法は廃止しかありません」
「しんぶん赤旗」日刊紙 2016年3月3日付掲載
障害をもっているだけで、役立たずもの扱いされる社会。許されませんね。
やはり戦争法はキッパリ廃止を!