仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

思う:阪神淡路大震災から自然もろもろ

2007-01-18 05:46:39 | 生きる犬韜
ここ数日、最後の講義の準備をしながら、卒論をチェックする日々が続いています(歴博の仕事はちょっと中断)。メモを書き入れるためにコピーした紙面が、みるみるうちに赤字だらけ。この作業をしていると、自分には加虐趣味があるんじゃないかと悩んでしまいます(いや、ないですよ、実際は)。

15日(月)で2年間お世話になった早稲田の非常勤も終了、今年度はあまり自分の思うように授業が進められませんでしたね。演習の場合、昼間仕事をしている学生の割合が多いと、どこまで彼らに準備を要求できるか、判断が難しい。いうべきことはいいますが、どうしても舌鋒が鈍ってしまう。他の参加者の質問に答えられない報告が多かったため、こちら側が補足修正に時間を費やし、半ば講義のような状態に陥ることもままありました。それでも、何人かとは打ち解けて意見交換する機会を持てたので、多少は責任を果たせたかと考えています(どうかな?)。

17日(水)は、全学共通日本史の最後の講義。120人の学生が(まあだんだんと減ってはゆきましたが…)、不思議なことと驚くべきか感謝すべきか、ヒソヒソ話もせずに聞いてくれ、毎回の感想・質問も活発で好評でした。レポートの方も楽しみです(1週間でチェックし、採点しなければいけないのはキツイですが…)。今回は木鎮めと大木の秘密を対比的に論じていったため、どうしても「樹木に対する想像力が衰退する」という方向へ落とさざるをえなかったのですが、来年度は木霊婚姻の問題を中心に扱い、人間と樹木の心の交流をもう少し丹念に追ってゆきたいと考えています。木霊婚姻の形成過程については、自分のなかでもいまひとつ確証が掴めていません。やはり『三宝絵』周辺が最初の画期でしょうが、その後はどう展開してゆくのか。遅ればせながら「三十三間堂棟由来」関係の資料を収集し(なんか芸能史の方向へ進んでゆきそうですよ)、近世からの遡及的ベクトルでも追究を始めているところです。山形の阿古屋の松へ、中将姫的な木霊婚姻譚がいつ頃付与されるのかも注意したい。木遣り歌の展開にも関心が出て来ました。もう古代史じゃありませんね。
ところで講義の最後は、阪神淡路大震災13回忌の話題でしめくくりました。12年前の3月、極めて短い期間だったものの、ぼくもボランティア活動に参加、郊外に作られた仮設住宅へ救援物資を運搬する作業に従事しました。自分自身の〈物語り〉を整然と編集しようとは思いませんし、うまく論理づけることもできないのですが、自然環境と人間の心性との関係を強烈に意識し、研究がそちらの方向へ傾いていったのは明らかにこの時期以降です。自然に傷つけられた人の心、自然を傷つけてゆく人の心…。問題提起を終えて研究室に帰り、その日のリアクションに目を通すと、北海道出身の学生から「奥尻島も忘れないでください」とのコメントが。〈物語り〉の排除の機能に、今さらながらハッとした一日でした。

左は、以前紹介した中村生雄さんの文章にも引かれていた、小林照幸『ドリームボックス―殺されてゆくペットたち―』(毎日新聞社、2006-06)と、谷口ジロー『犬を飼う』(小学館、1992-10)。ともに、これからペットを飼おうと思っている人には、ぜひ読んでもらいたい好著です。後者の、「かれらは私たち人間に身をゆだねなければ生きていけない。だから私たちの身勝手さを許してくれる」という一文には、はからずも一方的な生殺与奪の関係を築いてしまっていたことに気づく、飼い主の戸惑いと驚愕が表れています(岡部さんと飼い犬チビとの関係も参照。例えばこちら)。例の坂東真砂子に感じる違和感は、そのジレンマを「大切なこと」と受けとめて生きているかどうか、でしょうね。
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