仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

書物文化論終了:届いたかいなか?

2007-07-07 02:11:31 | 議論の豹韜
今週の月曜で、2週間続いた「書物文化論」の担当分が終了した。論題は「マジカル・アイテムとしての書物―〈太公兵法〉をめぐるモノと言説―」。紀元前11世紀、周に仕えた軍師太公望呂尚は、殷の紂王(帝辛)打倒して周王朝の樹立を実現する。以降、正統的革命として歴代王朝に利用されるこの物語に仮託し、戦国末期には『六韜』、漢代には『三略』、宋代には『素書』といった兵法書が生み出される。当初、仁徳による国家経営、戦争における兵士統率、謀略などについて書かれていた内容は、次第に老荘思想に偏り、『素書』において魔術書化の画期を迎える。同書の序文には歴代の偉人たちが列挙、彼らの説いた思想よりも『素書』の内容の優れていることが喧伝され、愚かなものへ相伝されれば祟咎が下るという制戒が書き添えられているのである。古代日本では、中臣鎌足の伝記『藤氏家伝』大織冠伝に、鎌足が『六韜』を暗誦し乙巳の変を成功させたことが書かれている。『家伝』を編纂した藤原仲麻呂には、彼の権勢を「歴史的に必然のもの」として正当化する目論見があったと考えられ、彼が「恵美押勝」の名を賜った詔勅のなかでも、鎌足は伊尹や太公望に比肩する忠臣として語られる。その後は、9世紀末の『日本国見在書目録』に「六韜」「三略」の名が現れるが、その躍動が見受けられるのは院政期末期の九条兼実の日記、『玉葉』においてである。兼実は『素書』を入手して歓喜し、大江匡房や藤原実資らの登場する伝来過程にも言及する。そこには大江氏/藤原氏の、正統性の根拠をめぐる〈表象の闘争〉があるようだ。また、兼実が起請して相伝を受けているさまは、『素書』の制戒が生きていることをうかがわせる。その後も伝説は拡大し、『義経記』は太公望から平将門までを〈太公兵法〉相伝者の超人的英雄として描き出し(ここにはもちろん、源義経も加わる)、もはや内容も完全に呪術書となった『兵法秘術一巻書』では、歴代天皇までもが相伝者の列に加えられる。ひとつの兵法に関わる言説を核に、古代中国から中世日本を貫く神話大系が創出されてゆく……。言説がモノを生みだし、モノが言説を生み出す。書物文化としては、極めてユニークな事例といえるだろう。

以前、早稲田古代史研究会や上智史学会で報告した内容を補足したものだが、史料をあらためて読み込むことで、様々の新しい発見があった。いつか、ちゃんと論文化しなければならないだろう。学生たちは、面白がって聞いてくれただろうか? 初日のリアクションにはいろいろ感想が書かれていたが、2回目はまばら。ま、6限なので、みんな早く帰りたいという気持ちが強かったのかも知れないが…。こちらのメッセージは、ちゃんと届いているかどうか。

太公望とずっと付き合っていたら、気になっていた横山光輝の『殷周伝説』がどうしても読みたくなった。そこで講義終了の翌日、amazonで古本を探して全巻大人買い。さっそくペラペラとめくってみたが、『三国志』と同様の風俗描写に思いきり違和感がある(ま、原作の『封神演義』自体は明代だからなあ)。どちらかというと、これは諸星大二郎的な題材なんだろう。白川静の漢字研究をベースに歴史小説として描ききった、宮城谷昌光『太公望』もよかったな(案外宗教的だし)。酒見賢一『周公旦』の、ダークな謀略家というイメージも面白かった(周公旦の儀式シーンが、シャーマニックで圧巻だった)。古代的要素をきちんと描いた中国モノ、もう出ないかな。
Comment    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 夜明け:動き出す/消える | TOP | 瘠せた?といわれる:Tomy\'s... »
最新の画像もっと見る

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Recent Entries | 議論の豹韜