仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

2010年度、始まる

2010-04-06 04:33:08 | 生きる犬韜
さて、ようやく卒業生を送り出したと思ったら、休む間もなく新年度が始まった。1・2日の学部入学式・大学院入学式と来て、3・4日は箱根でオリエンテーション・キャンプ。例年同じことを繰り返しているのだが、何だか最近疲れが溜まるようになってきた。気がついたら、来月にはもう40歳になるわけで、新1年生など息子・娘といってもまったくおかしくない。以前は学生も「後輩」という印象だったが、この頃は大きな距離を感じることもしばしばある。歳をとった証拠なのだろう。

授業開始は12日。それまではちょっと時間があるので、引っ越し荷物の整理もそこそこに原稿執筆に勤しんでいる。25日の御柱シンポは、地元ではテレビ中継をするらしいとの情報が入ったが、まだまるで準備できていない。早く現在の原稿を切り上げて取り組みたいところだが、細々した校務もあってなかなか集中できない情況である(『上智史学』の編集作業も動き出したし、久しぶりにHPも更新した。数年来関わっている初年次教育も、文学部共通・史学科科目とも正規カリキュラムとして構築できそうな気配で、嬉しいことだが忙しい。図書館運営委員、教授会書記の仕事も回ってきた)。相変わらず、玉稿をお送りいただいた皆さんにも不義理をしてしまっている。順々に対応してゆくしかない。
ここ数日の(すいぶんと短くなった)出勤・帰宅車内では、前エントリーにコメントいただいた八戒さんの「民国初期の武術と内丹―呼吸法の近代化をめぐって―」を拝読。民国初期における近代科学の摂取と西洋的体育の構築のなかで、前近代的な内丹の考え方がどのように捉え返されてゆくか。「古き迷妄」として全否定されてしまうものと考えがちだが、武術の体験を通じてその真実性に気付かされたり、逆に科学を証明のツールとしたりする場合もあるという。武術の人文学的研究はまったく進んでいないが、身体論との関係から注目される場合も増えてきた。記憶に新しいところでは、神奈川大学のCOEプログラムが、身体技法やナンバあるきに注目して詳細な報告書を作成している。八戒さん自身も八卦掌の使い手なので、研究にも武術修練における身体感覚が活かされているようだ。ぼくも禅行と物語との関係を身体論的視点から追いかけているし、5月には(これも日本史研究においては立ち後れている)兵法の論文を書かなければいけないので、大いに参考にさせていただきたい(その後、前エントリーの問題については、新たに「儒教の現代性はどのように語った方がよいか?―「孝」の思想、性善説、アーキテクチャ―」なる高論を送っていただいたので、またあらためて論じることにしよう。まずは御礼申し上げます)。
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1 Comments

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姉妹編ももうすぐ (八戒)
2010-04-08 15:51:58
分野を渡るのが下手で先行研究の参照が甘々なのが恥ずかしいですが、懲りずに姉妹編で武術と中国哲学の関係を論じた論文ももうすぐ出ますので、ご批正いただければさいわいです(^^ゞ
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