11月最後の日は、特講を終えたあと、「異界からのぞく歴史」の企画会議。
特講では、学生たちに易の実践をしてもらうべく竹ひごの準備をしたが(前もって確保しておいたものの、当日朝に数が足りないことに気づき、出勤前に慌てて買い足した)、概説と模範実践をみせただけでタイムアウトとなってしまった。残念。しかし、出勤直後の研究室で、試しに久しぶりに易を立ててみて驚いた。なんと出てきた卦は「困(くるしむ)」。上と下から責められ、鼻削ぎの刑と足切りの刑を受けている状態だが、やがては福徳の兆がみえるという。自分の今の〈激務〉を考えると、確かに思い当たる節は多い。実際、片付けても片付けても降って湧く厖大な仕事を前に、身心ともにかなりストレスが蓄積しているのを感じる。とくに、時間があればできることを、時間がないためにできないのがいちばん神経を逆なでする。いろいろなことが滞っているのに、将来的にも、それらを抜本的に解消しうる見通しが立たないのだ。福徳の兆がみえてくるというのが救いだが、どこからそんなものが現れるのか、今の自分にはまったく分からない(ゆえに「困」なのだろう)。しかし、二年前に上智就職を予言した?「革」といい、今度の「困」といい、ぼくには易の才能があるのかも知れない(これが福徳だったりして)。
「異界からのぞく歴史」の方は、海のものとも山のものともつかなかったが、さすがに、ぼくが絶対的に信頼を寄せる研究者が集まっただけあって、トントン拍子に話が進み、あっという間に形がみえてきた(幻想かもしれないが)。まずは組織神学専攻の佐藤さんが、イグナチオ教会を題材に、キリスト教教会の成立と死者との関係を、ローマ以来の歴史を踏まえて論じる(つまり、死者の集積のうえに教会が構築されるという現象について)。続いてぼくが、食違坂に現れる江戸の境界と怪談の発生についてアプローチ。工藤さんには、若葉町に墓のある幕末の刀匠源清麿をめぐって、一種狂気を伴った職人の世界を開示してもらう。土居さんには、江戸と武蔵野の境界である青山付近について、やはり墓地を対象に考察してもらう予定。最終日の疑似フィールドワークは、イグナチオから食違へ抜けて、鮫ヶ橋から若葉町へ入ってゆく感じだろうか。あとは、受講者が集まるかどうかだが、そこがいちばんの問題かも知れない。気合いを入れて宣伝せねば。
会議のあとの飲み会では、〈痛み〉について、珍しく真面目な会話をした。そのおかげもあってか、帰りの電車のなかで、混迷していた来年度モノケン・シンポ報告の方向性が、なんとなく固まってきた。「言語論的転回後の歴史学で捉えた〈亡霊〉」という大変に難解なお題なので、今までまったく内容が思い浮かばなかったのである。コーディネーターの高木信さんは、王権や国家による鎮魂ではなく、近親者による供養に亡霊の救済を見出してゆく。しかし、そもそも祟りなす神霊の源流をなす中国の孝思想、家制度では、家の祭祀を継承せずに死んだ夭折者や異常死者を〈祖霊〉から排除してしまう。彼らは祟りなす鬼霊となり、祭祀を求めて災禍をもたらす。しかし、それらを祭祀することは祖霊への不孝となるため、対抗儀礼を行って撃退することが求められる。『論語』にも、「その鬼神に非ずして祭るは諂うなり。義をみてせざるは勇なきなり」との言葉がある。この矛盾を合理的に解決しようとしたのが鄭の宰相子産で、彼は政変に敗れて死んだ伯有の祟りに対し、その継嗣を定め祭祀を行わせることで鎮静化を図ったのである。つまり古代中国では、近親者が亡霊の無念を再生産し、為政者がそれを解消しようとする構造が見出されるのだ。もちろんここには、子産を単なる為政者として扱ってよいのか、前近代の日本と単純に比較することが可能なのかなど、さまざまな問題が横たわっている。しかしこの子産の行為が、『左氏伝』を通じて後の時代にも継承され、祟り神を宥める際の究極的手段になってゆくことは確かなのだ。このねじれのようなものを鍵にして、近親者は本当に亡霊を鎮魂しうるのか、それは死という衝撃を無化しようとする、個人による死者の物語りの搾取ではないのか……そういった視点でセルフの問題に迫れれば、もしかすると与えられた課題に答えることができるかも知れない。もう少し思索を深めてみたい。
翌日、12/1(土)は千代田学入門の麹町周辺遺跡散策に参加(とにかく紅葉がきれいだった)、/2(日)は金沢文庫特別展「鎌倉北条氏の興亡」を見学した。ともに得るところがあったが、その報告はまた折をみて。/3(月)は疲労のため集中力を欠いたものの、千代田学入門の小冊子の編集を少し進めることができた。ソフトのトラブルなどがあり、もはや秋季開講中に完成するのは難しくなってきたが、とにかくできるだけ早く仕上げることにしよう。諸原稿にとりかかるのはその後になってしまうだろうが、/25以上には延ばせない原稿もあるので、また徹夜続きの毎日になるだろう。今週は健康診断だが、前後に会議や奨学金の面接が入っているので、診断のあること自体がストレスになっている。ま、そのこと自体、診断を必要とする情況にはなっているわけだが。
特講では、学生たちに易の実践をしてもらうべく竹ひごの準備をしたが(前もって確保しておいたものの、当日朝に数が足りないことに気づき、出勤前に慌てて買い足した)、概説と模範実践をみせただけでタイムアウトとなってしまった。残念。しかし、出勤直後の研究室で、試しに久しぶりに易を立ててみて驚いた。なんと出てきた卦は「困(くるしむ)」。上と下から責められ、鼻削ぎの刑と足切りの刑を受けている状態だが、やがては福徳の兆がみえるという。自分の今の〈激務〉を考えると、確かに思い当たる節は多い。実際、片付けても片付けても降って湧く厖大な仕事を前に、身心ともにかなりストレスが蓄積しているのを感じる。とくに、時間があればできることを、時間がないためにできないのがいちばん神経を逆なでする。いろいろなことが滞っているのに、将来的にも、それらを抜本的に解消しうる見通しが立たないのだ。福徳の兆がみえてくるというのが救いだが、どこからそんなものが現れるのか、今の自分にはまったく分からない(ゆえに「困」なのだろう)。しかし、二年前に上智就職を予言した?「革」といい、今度の「困」といい、ぼくには易の才能があるのかも知れない(これが福徳だったりして)。
「異界からのぞく歴史」の方は、海のものとも山のものともつかなかったが、さすがに、ぼくが絶対的に信頼を寄せる研究者が集まっただけあって、トントン拍子に話が進み、あっという間に形がみえてきた(幻想かもしれないが)。まずは組織神学専攻の佐藤さんが、イグナチオ教会を題材に、キリスト教教会の成立と死者との関係を、ローマ以来の歴史を踏まえて論じる(つまり、死者の集積のうえに教会が構築されるという現象について)。続いてぼくが、食違坂に現れる江戸の境界と怪談の発生についてアプローチ。工藤さんには、若葉町に墓のある幕末の刀匠源清麿をめぐって、一種狂気を伴った職人の世界を開示してもらう。土居さんには、江戸と武蔵野の境界である青山付近について、やはり墓地を対象に考察してもらう予定。最終日の疑似フィールドワークは、イグナチオから食違へ抜けて、鮫ヶ橋から若葉町へ入ってゆく感じだろうか。あとは、受講者が集まるかどうかだが、そこがいちばんの問題かも知れない。気合いを入れて宣伝せねば。
会議のあとの飲み会では、〈痛み〉について、珍しく真面目な会話をした。そのおかげもあってか、帰りの電車のなかで、混迷していた来年度モノケン・シンポ報告の方向性が、なんとなく固まってきた。「言語論的転回後の歴史学で捉えた〈亡霊〉」という大変に難解なお題なので、今までまったく内容が思い浮かばなかったのである。コーディネーターの高木信さんは、王権や国家による鎮魂ではなく、近親者による供養に亡霊の救済を見出してゆく。しかし、そもそも祟りなす神霊の源流をなす中国の孝思想、家制度では、家の祭祀を継承せずに死んだ夭折者や異常死者を〈祖霊〉から排除してしまう。彼らは祟りなす鬼霊となり、祭祀を求めて災禍をもたらす。しかし、それらを祭祀することは祖霊への不孝となるため、対抗儀礼を行って撃退することが求められる。『論語』にも、「その鬼神に非ずして祭るは諂うなり。義をみてせざるは勇なきなり」との言葉がある。この矛盾を合理的に解決しようとしたのが鄭の宰相子産で、彼は政変に敗れて死んだ伯有の祟りに対し、その継嗣を定め祭祀を行わせることで鎮静化を図ったのである。つまり古代中国では、近親者が亡霊の無念を再生産し、為政者がそれを解消しようとする構造が見出されるのだ。もちろんここには、子産を単なる為政者として扱ってよいのか、前近代の日本と単純に比較することが可能なのかなど、さまざまな問題が横たわっている。しかしこの子産の行為が、『左氏伝』を通じて後の時代にも継承され、祟り神を宥める際の究極的手段になってゆくことは確かなのだ。このねじれのようなものを鍵にして、近親者は本当に亡霊を鎮魂しうるのか、それは死という衝撃を無化しようとする、個人による死者の物語りの搾取ではないのか……そういった視点でセルフの問題に迫れれば、もしかすると与えられた課題に答えることができるかも知れない。もう少し思索を深めてみたい。
翌日、12/1(土)は千代田学入門の麹町周辺遺跡散策に参加(とにかく紅葉がきれいだった)、/2(日)は金沢文庫特別展「鎌倉北条氏の興亡」を見学した。ともに得るところがあったが、その報告はまた折をみて。/3(月)は疲労のため集中力を欠いたものの、千代田学入門の小冊子の編集を少し進めることができた。ソフトのトラブルなどがあり、もはや秋季開講中に完成するのは難しくなってきたが、とにかくできるだけ早く仕上げることにしよう。諸原稿にとりかかるのはその後になってしまうだろうが、/25以上には延ばせない原稿もあるので、また徹夜続きの毎日になるだろう。今週は健康診断だが、前後に会議や奨学金の面接が入っているので、診断のあること自体がストレスになっている。ま、そのこと自体、診断を必要とする情況にはなっているわけだが。