【苑池主要部分の全容が判明、今後復元へ】
国内初の本格的な宮廷庭園といわれる奈良県明日香村の「飛鳥京跡苑池」。その北池から北側に延びる石組みの溝と幅約6mの水路跡が見つかり、奈良県立橿原考古学研究所が12月4~5日現地説明会を開いた。この苑池の存在が初めて分かったのは1999年。以来断続的に発掘調査を続けてきたが、今回の第15次調査までに遺跡の主要部分に当たる南池や北池、水路の規模や構造などがほぼ判明した。「飛鳥・藤原」は世界遺産の登録を目指しており、今後の課題は埋め戻した後にどう復元整備していくかに移っていく。
同苑池は飛鳥川右岸(東側)の河岸段丘にあり、7世紀に天皇の宮殿があった飛鳥宮跡の北西に隣接する。斉明天皇の時代に造営が始まり、7世紀後半の天武天皇の時代に改修されたとみられる。遺跡の範囲は東西約100m、南北約280mに及ぶ。その中心に位置するのが渡堤を挟んで南北にあった2つの池。南池(東西63m・南北53m)には中島が浮かび、噴水のような巨大な石造物も出土した。主に外国使節の接遇などを目的に観賞用の庭園として整備されたとみられる。一方、北池(東西36m・南北52m)には祭祀用とみられる流水施設が設けられていた。
今回の調査では北池北側から水路と水路周辺の石積み、南北方向の石組み溝の北側延長部などが新たに見つかった。水路は南・東・西の3面で石積みの護岸が垂直に築かれていた。高さは1~1.2m。北池との間で水路の南護岸と砂利敷きが検出されたことで、北池と水路が直接つながる構造ではなく、北池から延びる石組みの溝によって水路の南西隅でつながっていることが分かった。溝は長さが約14mで、幅(内法)は約0.6m。北池の水面の高さが一定以上になると、余った水がこの溝を通って水路に排水される構造だった。
水路は過去の発掘調査と合わせると、北側に100m以上延びて飛鳥川方向に向かっていたとみられる。同苑池では南池から17点、北池から1点の木簡が出土しているが、水路からは今回の9点も含めこれまでに154点も見つかっている。現在も整理作業中のため最終的にはさらに増えそうとのこと。内容は7世紀後半の荷札木簡、薬に関する木簡、米を請求した木簡など。宮殿が飛鳥から藤原宮に移った後のものとみられる木簡も出土しており、藤原宮の時代になっても同苑池が使われていたことが伺えるそうだ。水路内の堆積土中からは土器類も出土しており、現地説明会の会場にもその一部が展示されていた。(上の写真は飛鳥宮跡)