【銅鏡など出土品の重要文化財指定を記念して】
奈良県立橿原考古学研究所付属博物館(橿原市)で特別陳列「ホケノ山古墳―ヤマト王権の成立へ」が開かれている。出土品が一括して重要文化財に指定されることになった(3月に国の文化審議会が答申)のを記念したもの。纒向遺跡や纒向古墳群の出土品も併せて展示している。7月15日まで。
ホケノ山古墳(桜井市箸中)は「卑弥呼墓説」もある箸墓古墳のすぐ東側に位置する。墳丘は全長約80mの前方後円墳(後円部径約60m)。築造時期は出土品などから箸墓古墳に先行する3世紀中頃と推定され、最古級の古墳として注目を集めている。
埋葬施設は内部の木槨と外側の石槨からなる二重構造の“石囲い木槨”。中央に安置された棺はコウヤマキ製の舟形木棺(長さ約5.3m)だったとみられる(写真は推定復元模型)。
木棺内からは銅鏡3面、刀剣や矢じりの銅鏃⋅鉄鏃、農工具類などの副葬品が見つかった。ただ古墳時代前期の有力古墳から多く出土する三角縁神獣鏡はなく、玉類などの装身具もなかった。銅鏡3面のうち画文帯神獣鏡の2面は中国⋅三国時代(200~280年)の鏡とみられる。
刀は中国系の素環頭大刀など2本出土、剣⋅槍は6本以上見つかった。銅鏃と鉄鏃はそれぞれ70点以上に上る。それらの形態は「古墳時代の始まり頃を示す時期的特徴とともに、ヤマト独自の副葬武器類の祖型的特徴も併せ持つ」。
木槨内からは壷形土器11個と小型丸底土器4個も出土した。壷形土器は装飾が施された二重口縁壷。もともと木槨の上に設置されていた土器が、蓋材の腐朽に伴って落ち込んだものとみられる。
では、この古墳の被葬者は? 橿考研の発掘担当者は「箸墓被葬者の先代の有力者や、大王を支える立場の人物だった可能性も」と類推する。
ホケノ山古墳は築造から350年ほどたった6世紀末から7世紀にかけて、首長墓として再利用された。横穴式石室(全長約13.5m)からは家形石棺(写真)が見つかった。石室からは多くの須恵器や土師器も出土した。
興味深いのは横穴式石室が設けられた場所。後円部の中心に位置する埋葬施設を避けるように造られていた。古墳の本来の主を尊重したとみられ、「系譜的関係性を示すためにあえて墳丘を再利用した可能性も考えられる」という。