く~にゃん雑記帳

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<発掘速報展 平城2012>朱雀門のすぐ南東に平城京造営のための鉄鍛冶工房!

2013年04月18日 | 考古・歴史

【大型の建物群跡も発見、工房の資材置き場?】

 奈良文化財研究所の平城宮跡資料館(奈良市)で、「発掘速報展 平城2012」(6月2日まで)が開かれている。奈文研は国が建設を計画している「平城宮跡展示館」の予定地を、2010年度から昨年秋まで5次(延べ約17カ月)にわたって発掘調査してきた。対象地は平城宮の正門、朱雀門のすぐ南東側で、メーンストリート朱雀大路の東側に面した1等地。それだけに調査前まで広場のようなスペースで遺構はあまりないだろうと予測していたが、意外にも巨大な井戸や鉄鍛冶工房、大型建物群の跡などが見つかった。そうした発掘の成果を写真やパネルなどで紹介している。

  

 井戸跡(上の写真の右下)は最初の調査で見つかった。上段は正方形、下段は六角形の二重構造で、上段内側の幅は2.4m。平城京最大とされた西大寺食堂院の井戸(幅2.3m)を超える規模だった。井戸の中からは木簡や櫛、人形(ひとがた)などの木製品、土器、金属製品などが出てきた。この井戸ができたのは奈良時代後半とみられる。

 鍛冶工房は井戸の西側で見つかった。これまでに工房跡が4カ所発見され、炉跡(下の写真㊧)の周囲からは鉄滓や鉄釘などが出土した。4つ目の工房が見つかったのは昨年6~10月に発掘調査した朱雀門に最も近い場所(写真㊨)。このことから朱雀門が面する二条大路のすぐ南側まで工房群が広がっていたことが分かった。5次のうち2次の調査に携わった川畑純研究員(都城調査部第3研究室)は「炉の構造や規模から小型の鉄製品や工具類などを作っていたようだ。この遺構は奈良時代前半のもので、平城京造営に関わる工房と判明した」と話す。

     

 工房南側からは複数の大型建物群の遺構が見つかった。長い特殊な形の建物だったらしく、地盤が軟弱なのに十分な地盤改良も行っていない。建物の重みに耐え切れなかったのか、柱の穴から沈下した柱根(根っこ部分)も出土している。急ごしらえで建てられ、短期間だけ存続したとみられる。「鍛冶工房のための資材置き場だったのだろうか。関係者が寝泊まりした場所かもしれない」(川畑研究員)。

 調査地域は工房や大型建物が役割を終えて取り壊された後に道路が造られ、奈良時代後半には広場のようになったとみられる。2013年度にはさらに東側一帯を調査する予定。巨大な井戸がどういう目的で造られたのか、分かるかもしれない。速報展では12年度に発掘調査した薬師寺食堂跡などについても写真などで紹介している。


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