く~にゃん雑記帳

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<津山散策㊥城東> 出雲街道沿いは重伝建保存地区

2019年11月17日 | 旅・想い出写真館

【作州城東屋敷、箕作阮甫旧宅、洋学資料館…】

 岡山県内には国選定の重要伝統的建造物群保存地区が3カ所ある。倉敷市の倉敷川畔、高梁市の吹屋ベンガラの町、そしてこの城東地区だ。津山城を築いた初代津山城主森忠政は城下町づくりの際、城の周囲や北部を武家町、南側の東西に走る出雲街道沿いを商家町とした。商家町には作州(美作国)一円から商人を集めた。その城東の出雲街道沿い、東西約1050m(約8ヘクタール)が重伝建保存地区になっている。

 保存地区内には道路が折れ曲がる枡形が2カ所あり、江戸~明治時代に建てられた商家などが今も多く残る。特徴は二階部分が低く、左右に〝袖壁〟と呼ばれるうだつのような白い壁が立つ建物が多いこと。出格子や虫籠窓、なまこ壁も多く見られた。シンボル的な建物が町家の白壁と高い火の見櫓が目を引く「作州城東屋敷」。そばに「寅さんロケ地」という石碑が立ち、津山まつりに曳き出されるだんじり4台を飾る「だんじり展示館」もあった。

 

 東に進むと国指定史跡の「箕作阮甫(みのさくげんぽ)旧宅」がある。江戸後期の蘭方医・洋学者で、幕末の米使節ペリーやロシア使節プチャーチンの来航時に外交文書の翻訳などで活躍したことで知られる。その箕作が生まれ育った場所に家屋が忠実に再現されている。その隣には箕作をはじめ美作地域出身の洋学者の功績を紹介する洋風建物「津山洋学資料館」、その先には江戸時代の商家を保存した「城東むかし町家(旧梶村家住宅)」もあった。

   

 保存地区の西側を流れる宮川沿いの左岸を北上していると「十一面観世音菩薩像」と書かれた木柱が目に留まった。その菩薩像は慈恩寺の本尊で、大観音堂に祀られていた。高さ約4.6m。樹齢約2000年の木曽桧の一木造りという。脇仏の四天王像の高さも約3mある。いずれも仏師の竹内勝山氏(1865~1937)が大正時代初期に6年がかりで制作した。階段を上がって菩薩のお顔と対面できるようになっていた。

 

【旧津山藩別邸庭園「衆楽園」は国指定名勝】

 津山城から北側へ徒歩15分ほどの距離にある「衆楽園」は旧津山藩別邸の池泉回遊式庭園。国指定の名勝になっている。津山藩主森長継が1650年代に京都から小堀遠州流の作庭師を招いて築いた。当時の広さは今の3倍近い約2万4000坪もあったが、明治4年の廃藩後、大半の建物が取り壊された。津山藩では防衛の観点から城内に他藩の使者を入れず、この庭園内の御殿で対応したことから「御対面所」と呼ばれていたそうだ。

 

 庭園は京都の仙洞御所を模したもので、南北に長い池の中に蓬莱島など大小4つの島を配し、様々な形の橋で結ぶ。北側には幅2mほどの曲水が二つ並行し涼しげに流れるなど、あちこちに大名庭園の面影を残していた。真っ赤に映える紅葉も美しい。北西側の松の巨木が林立する下には「絲桜水にも地にも枝を垂れ」と刻まれた山口誓子の歌碑。その近くで七五三のお参りの帰途だろう、正装した家族に連れられた赤い晴れ着姿の女の子が記念写真に納まっていた。


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