く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<京都地名研究会> 講演「『京都』とは何か~地名『京都』の成立とその背景」

2016年04月25日 | メモ

【井上氏「『きょうと』と読まれ今の京都を指すようになったのは平安後期」】

 京都地名研究会(網本逸雄会長)の総会・講演会が24日、龍谷大学大宮学舎で開かれ、立命館大学名誉教授の川嶋将生氏(写真㊧)が「上杉本洛中洛外図屏風と地名」、京都市歴史資料館館長で京都産業大学名誉教授の井上満郎氏(写真㊨)が「『京都』とは何か~地名『京都』の成立とその背景」と題して講演した。井上氏は「みやこ」を指す一般用語だった「京都」が「きょうと」と読まれ今の京都を指すようになったのは「平安時代の後半、12世紀になってからだろう」などと話した。

  

 井上氏によると、京都という単語はもともと漢語で、「大漢和辞典」の「京都」の項にはまず「天子の都。京師に同じ」とあり、2番目に「京都府にある市。古の平安京」と続く。日本書紀の景行天皇17年3月条には「京都而歌之曰」とあり、万葉集には志貴皇子の有名な歌「婇女乃 袖吹反 明日香風 京都乎遠見 無用爾布久」(原文)がある。これらに出てくる「京都」の読みはいずれも「みやこ」であり、それはもちろん今の京都ではなく大和の都を指した。

 その後、平安時代前半の「日本三代実録」貞観7年12月条(865年)や「尾張国郡司百姓(ひゃくせい)等解」(988年)などの古文書では「京都」や「京」の表現が混在する。井上氏は「混在するということはまだ京都という表現が定着していなかったことの表れ」「京の一字ですむところをわざわざ京都と2字表現にしたのは文調を整えるためだろう」とみる。そして京都が「きょうと」と読まれ今の京都を指す地名として明確に登場するのは経典「倶舎論記」(1135年)巻29の中に見える「於京都宮處」という表現が初見ではなかろうかと指摘した。

 井上氏に先立ち登壇した川嶋氏によると、洛中洛外図屏風はこれまでに約170点(うち海外10点余)の所在が確認され、うち4点が江戸時代より以前のもの。狩野永徳作の上杉本はその1つで、1574年に織田信長から上杉謙信に贈られたといわれる。洛中洛外図屏風の中で唯一の国宝でもある。井上氏が詳細にチェックしたところ、上杉本に記された地名や寺社名などは132カ所にも上る。それらを当時の古文書や神事、風俗などと比較照合した結果から「かなり正確に当時の姿を写しているといえる」などと話した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする