く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<「湯布院」点景> 冬の風物詩! 盆地をすっぽり包む幻想的な朝霧

2014年11月24日 | 旅・想い出写真館

【観光スポット金鱗湖も紅葉真っ盛り】

 目を覚ますと、窓の外は靄(もや)がかかったような生憎の天候。これじゃ、冬の風物詩の朝霧も期待薄か。そこへ友人が感激の面持ちで戻ってきた。「上は快晴。絶景だったぞ」。えっ、まさか! 朝食を早めにすませ、登山姿に着替えた彼とタクシーで展望スポット、狭霧台(さぎりだい)へ。間に合った。湯布院の町並みが朝霧ですっぽり包み込まれていた。後ろを振り返ると、すぐそこには朝日を浴びる由布岳(1584m)。友人はタクシーでそのまま登山口に向かった。

 湯布院を最後に訪れたのはもうふた昔以上前のことか。前回は車だったが、今回は電車。だから前日、JR由布院駅の駅頭から望む由布岳の存在感には圧倒された。「由布見通り」の名の通り、由布岳はその通りの奥に借景のように悠然と聳えていた。まさに秀峰。金鱗湖はちょうど紅葉真っ盛り。真っ赤に燃えるモミジを背にした橋の上が絶好の撮影ポイントとあって、観光客が順番待ちしていた。

  

 大杵社(おおごしゃ)の大杉(写真㊧)は国指定の天然記念物だけあって圧巻だった。大分県内最大の杉で、樹齢は800年とも1000年ともいわれる。幹の裏側には大きな空洞があった。中は畳を3枚ほど敷ける広さがあるという。境内の一画に由布岳を詠んだ万葉歌碑が立っていた。「よしえやし恋ひじとすれど木綿間山(ゆふまやま) 越えにし君が思ほゆらくに」(作者不詳)。由布岳を詠んだ万葉歌はほかに3首あるそうだ。

 

 大杵社の本社、宇奈岐日女(うなぎひめ)神社の拝殿右側にで~んと居並ぶ杉の切り株3体(写真㊨)の存在感にも圧倒された。1991年9月の台風19号で144本もの杉の木が参道や社殿などに倒伏した。そのうちの大きなものを「御神木の切り株」として鎮座していただいているというわけだ。今でも境内は多くの樹木に囲まれているが、台風被害の前はもっと鬱蒼として昼なお暗く怖いほどだったといわれる。

 この神社は祭神として6柱をお祀りしているが、当初の祭神は宇奈岐日女と考えられている。では宇奈岐日女とは? 諸説の1つに『日本書紀』や『豊後国風土記』に景行天皇とともに登場する速津媛(はやつひめ)ではないかとの説がある。事前に読んだ藤井綏子(やすこ)さんの『古代幻想 旅人の湯布院』には、速津媛は「速見地方の女首長だった」「古い神社はごくしばしば古代の豪族の墓だという事実がある。そのことも、わたしに宇奈岐日女神社=速津媛の墓、との思いを深くさせる」と書いてあった。速見郡にはかつての湯布院町も属していた。

 

 湯布院にはもう1カ所、訪ねたい所があった。興禅院。耶馬溪の「青の洞門」を掘り、菊池寛の『恩讐の彼方へ』のモデルとなった禅海和尚が得度したお寺。かつては一時キリスト教の教会が置かれていたともいわれる。境内に真新しい禅海の像と妻お弓の古い像が並んで立てられていた。その向かい側に「キリシタンの墓」として数体の像が今なお大切に祀られていた。その立て札には「境内にキリシタン教会堂があったのではないかと言われています」と書かれていた。キリシタン大名大友宗麟の下で寺が教会になり、豊臣秀吉によるキリスト教弾圧で再び寺に戻ったのだろう。

 

 

上段㊧由布見通り㊨下ん湯、下段㊧湯布院フローラル・ビレッジ㊨香椎荘=2.26事件のとき戒厳令司令官として反乱軍を鎮圧した陸軍中将香椎浩平の別荘

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする