く~にゃん雑記帳

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<作家・玄侑宗久氏> 『「両行」と「不二」の国』と題し講演

2013年12月06日 | メモ

【南都二六会主催の仏教セミナー「いのちのおしえ」で】

 作家で臨済宗妙心寺派福聚寺(福島県三春町)の住職、玄侑宗久氏の講演会が5日、奈良市のならまちセンターで開かれた。奈良の中堅寺院でつくる南都三六会(岡崎良昭会長)主催で、演題は『「両行(りょうこう)」と「不二(ふに)」の国』。柔軟な思考で物事に対処してきた日本人特有の心のかたちを「両行」と「不二」という2つのキーワードを基に分析した。

   

 玄侑氏はまずルース・ベネディクト著の「菊と刀」を取り上げながら、「日本人は相対する一方を選ぶのではなく、両方とも認めてきた」と話す。その例として長く権威を保ったサムライと貴族、わび・さびに対する婆娑羅・伊達、さらに相反する多くの諺を並べた。「善は急げ」と「急がば回れ」、「栴檀は二葉より香ばし」と「大器晩成」、「二兎を追うもの一兎をも得ず」と「一石二鳥」……。漢字が中国から入ってくると、それに固執せず仮名も作り出した。

 「とにかく日本には正反対のものがいっぱいある。両極端のものを並べ、その時々に直感で決めてきた。〝両行〟は日本人の心そのもの」。日本人特有の正座は主君のためいつでも立ち上がれる武士座りと膝を組む安座の中間の座り方として「発明された」。「正座によって日本人の心は育まれたのではないか。正座しなくなったら中国人や韓国人と同じになってしまう。何とかして(正座というしきたりを)守りたい」とも話す。

 日本人はあえて対抗するものを作り上げ両方を認めてきた。その一方で2つを1つにまとめ上げる「不二」の思想も大切にした。「和」のこころである。「不二」は仏教の経典「唯摩経(ゆいまきょう)」に出てくる根本思想で「互いに相反する2つのものは別々に存在するものではなく、もとは1つのもの」と説く。物事を考える際も良い・悪いという二元論ではなく、まず〝無分別〟になることが全体を俯瞰して考えることにつながるという。

 「徳川家康はこの不二の考えを全国統一に生かそうとした」。関ケ原に勝利した家康はまず富士山浅間神社を武田信玄が植樹した桜の木を残して全面的に改修した。御用絵師・狩野探幽は「不二」や「不尽」とも呼ばれた富士山を理想郷として多く描いた。玄侑氏は「漆器を作る工程こそ、まさに両行と不二」とも言う。木地に漆を塗り乾燥させ炭で研ぐ。その作業を何回も続ける。玄侑氏は最初見ていて「徒労ではないか」と思ったそうだ。だが作業が繰り返されるうちに〝ほのかな輝き〟が出てきた。「日本人が求めてきた輝きがそこにあった」。

 玄侑氏は最後に柿本人麻呂が詠んだ歌1首を紹介した。「玉かぎるきのふの夕(ゆふべ)見しものを けふの朝(あした)に恋(こ)ふべきものか」。「また会いたいけど会えない。2つの気持ちがせめぎ合う中で出てくるほのかな輝きがここに歌われている」。古くから培われてきた日本人の心のかたちがこの歌に集約されているということだろう。

コメント (3)
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