ハトとたんぽぽ

和子の気まま日記

2016年11月23日(水)、45年の結婚記念日

2016年11月23日 04時41分29秒 | 記念日 記念樹

 今日は夫との45年の結婚記念日。

10時ごろ、病室に行くと、夫に「おはよう」と呼びかけても、反応がない。「お父さん!」と何度も大きな声で呼びかけても答えてくれない。

少し熱もあって、咳をし始める。痰を取ってもらったが、あまりたまっているようではなかった。

すぐにナースコールを押してもなかなかきてくれない。11時ごろになって担当看護師がきてくれて、今日の呼吸器担当医に連絡を取ってくれた。

担当医がすぐに腰の動脈から血液を採って検査すると、二酸化炭素が122もあり、すぐに経管栄養を取りやめ、酸素マスクをとりつけてくれた。

 ホッとして、次男たちと待ち合わせて、「丸亀うどん」で食事をして、病室にいくが、孫娘が「じいちゃん じいちゃん」と声をかけても反応してくれない。

結婚45周年のお祝いの花束を次男たちがくれたので、夫と一緒に記念写真を撮りました。(夫は気がついていないけれど)

しばらくディルームで娘が買ってきてくれた「結婚45周年」のケーキを食べながら、待って病室に行くと、目を少し開けて、「お父さん!」と呼ぶと、

手を握り返してくれました。

 孫娘が「じいちゃんがんばって! じいちゃんがんばって!」と歌うように声をかけて、帰って行きました。

担当医ももう一度二酸化炭素量を計ると87に減っていました。明日の朝にはだいぶ少なくなっていることでしょうから、また様子を見に来ますとのこと。

夕方帰り際に、「今日は結婚45周年だったんだよ分かる!」と聞くと、首を頷くように縦に振ってくれました。

なんだか淋しい結婚45周年でしたが、この人と45年生きてきてよかったと思いました。

 今日の万歩計は、6,236歩でした。

 

 

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2016年11月22日(火)、いい夫婦の日

2016年11月23日 04時03分30秒 | 四季、暦、祝日

 昨日は、夕方6時に布団の中に入って、目が覚めたのが、早朝の3時半。

9時間30分も眠ってしまいました。よほど眠くて、疲れていたのでしょうね。

この3日間夫がまなた意識がなくなって、10時ごろから夕方まで病院につきっきりだった。

私としては、そんなに疲れているとは思えないけれど、睡眠時間が減っていたのでしょうね。

 夫に「昨日はぐっすり9時間以上も眠ってしまったよ。ありがとう!」というと「ウン」というように頷いていました。

今日は「いい夫婦の日」なんだあと考えていたら、私たち夫婦も「いい夫婦」だなあ。

こんなにもお互いに手を握りしめている日々は今までにないことである。

帰るときはいつも後ろ髪ひかれる思い、こんな思いは、新婚時代もあったかしらと思う。

明日の結婚記念日で45年。二人で3人の子供を育て、孫も3人になり、宮本家は10人になりました。

こんな家族でとても幸せです。みんなありがとう!!

 今日の万歩計は、7,767歩でした。

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2016年11月21日(月)、意識戻る

2016年11月22日 03時52分23秒 | 健康・病気

 朝10時ごろ病室に行き、お父さんと声をかけると、パッチリと目を開けて、うなづく。

 しかし、酸素量の機械が数値を示していない。ナースコールをするが、接触が時々悪くなるというが、

納得いかず、手がすごく冷たくなっているので、しばらく手を握っていると、

酸素量も93をしめしている。ホッとする。

 11時からケアマネージャーと相談室の人と打ち合わせ。

夫の体調が急変したということで、とりあえず在宅で看護できたらいいと思っているということで、

退院したら、訪問看護、往診、ディケアを組み合わせてやりましょうと簡単なあいさつで終わりました。

 次男が見舞いに来るといっていたが、これなくなって、お昼は「えびの味噌かけ弁当」

を買って、ディールームをたべました。

 午後から夫のそばで手をにぎりしめながら、眠くなって、ベットの手すりにクッションおいて、

少し横になっていると、主治医が来てくれて、「しばらく食事は中止して点滴にします。こうしたことを繰り返します」とのこと。

 まだまだこんな苦しむことを繰り返し、だんだん体力もなくなっていくんだろうなあと思うと。自然と涙が出てきました。

 なんだか眠くなって、4時ごろ帰ろうとしたら、「なんでこんな大変な時に帰るんだ」と怒るんです。

「私が倒れてしまっていいの!」というとあきらめたのか何も言わずに目をつぶりました。

家に帰って、6時には布団に入っていました。よほど疲れていたんですね。

 今日の万歩計は、13,479歩でした。

 

 

 

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2016年11月20日(日)、また意識不明

2016年11月21日 04時18分34秒 | 健康・病気

 10時ごろ孫たちと一緒に、病室に行くと、夫の声をかけても全く反応がない。

孫たちも「おじいちゃん」と声かけても、手を握っても、反応がない。

看護師を呼んでも、主治医に連絡を取っているとか、担当を呼んでいると言って、

1時間ほど待っていると、やっと担当の看護師と主治医が来てくれて、

病院で使っている酸素マスクをもってくれて、ME(メディカル エンジニア 機械の調整をする)の人が来て、

医師の指示で酸素マスクの調整をしてくれた。

 レントゲンを持ってきたり、血液検査をしたり、あわただしく、夫の治療が始まった。

 午後3時過ぎると、少しづつ反応があるようになり、声をかけると、少し目を開けたり、「お父さん分かる」というと、

手を握りしめて、「ウン」というように、頭を下げてくれるようになった。

 一時はこのまま死んじゃうんじゃないかと思うくらいだったが、医師の指示で、2度目の生還となった。

25日間でやっと食事も出来るようになって、リハビリで車いすで病院内を移動できて、入浴できるようにやっとなったのに、

また初めからやり直し、ゆっくりゆっくり慌てないように、夫の体調に合わせながら、治療していくしかないのかもしれません。

 しかし、病院にはいろんな職種の人がいっぱい集まっている。

日曜も休日もなく、交代して対応してくれる。

 主治医も休みでも、自分の患者さんの様子を見に来てくれる。本当にありがたいことである。

なかなか担当の看護師が来てくれないことに、いら立つこともあったが、後はちょくちょく顔を出して、「宮本さん!」と声をかけてくれる。

お父さん看護師の方が反応がいいと、うらやましくなるくらいだった。

何とか息を吹き返して、意識も戻ってきてくれたので、ホッとして、夕方家に帰ってきた。

 今日の万歩計は、6,470歩でした。

 

資格を持っている。

 

 

 

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2016年11月19日(土)、オーイ女房を呼んでくれ!

2016年11月20日 03時48分36秒 | 健康・病気

 朝7時半ごろ、海南病院から電話があった。「ご主人が奥さんを呼んでほしい」と言われたので、お電話しました」って。

娘が知多四国に出かけるので、永和駅に送って、それからすぐに、海南病院に駆けつけた。

病室に行くと、私の顔を見て、「エッ 今日はどうした?」って顔で、ジーとみているだけ。

夕方5時まで横でいつものように座って、本を読んでいるだけだけれど、左側に向くと、ちょうど手が当たるところに、

ナースコールがあるので、私がすぐ横にいるのに、ついコールを押してしまう。

 しばらくすると、「どうしました」と看護師さんが声をかけてくれる。

「忙しいのに呼んで」というと、知らん顔してまた横になる。

 時々「水がほしい」というので、水ゼリーを飲ませるとホッとしている。

今日から食事がなくなって、午後から点滴が2本になった。

また、少しコーヒーと好きなメロンパンを内緒に食べさせた。おいしいと食べてくれた。

でもコーヒーカップを洗いに行っている間に、酸素量が70に下がったと、看護師が慌てて処置してくれていた。

あまり勝手なことをすると、夫が却って苦しむことなる。あまり勝手なことはしないようにしよう。

もう良くなることはないのだから。ちょっと淋しい。

 今日の万歩計は、6,189歩でした。(今日は一日中雨だった)

 

 

 

 

 

 

 

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