ハトとたんぽぽ

和子の気まま日記

2016年12月13日(水)、夫亡くなる

2016年12月18日 02時36分34秒 | 冠婚葬祭

  0時頃じごろ、スースーと夫の寝息を聞きながら、眠っていると、

看護師に「ご主人危ないので、子供さんを呼んで下さい」と言われ、びっくりして飛び起き、すぐに電話をする。

  夫は声をかけても、体をゆすっても、動かなくなりました。悔しくて、涙が溢れて、止まらない。

 主治医が来て、「もうご主人の心臓が動かなくなります」と言われたので、モニターを見ると

心臓の波が小さくなって、しばらくすると、全く動かなくなりました。

「息子さん達が来るまで待ちましょう」と言われて、息子達が来ると、「0時38分に肺気腫でお亡くなりました」と言われた。

「お父さんがとうとう死んじゃた」  

子供たちが夫に声をかけたり、手を握たりして、別れをしました。

「すぐに、葬儀屋に連絡をしてください」と言われ電話すると、「1時間後に行きます

」と言われたと看護師に伝える。

  看護師が酸素マスク、点滴をとったり、体を拭いたり、着替えをしてくれるまで、ディルームで待っていると呼ばれて、病室に行くと、久しぶりに酸素マスク、経管栄養の管もない、スッキリした夫の素顔を顔を見たのは、入院して49日振りぶりでした。 

  救急車が入る病棟までいくと、すでに霊柩車が待っていて、医師、看護師に最後まで丁寧に見送られ、帰りたかった我が家に車を進めました。

途中病院の帰り寄っていた「支留比亜」、いつも通っていた「シエン」の前を通って、やっと帰ってきました。

生きて帰れなかったのがとてもくやしい。

  テレビの前に安置して、葬儀屋との葬儀の打ち合わせを行い、14日通夜15日告別式を愛西市総合斎苑で行なうことを決め、夫が「葬式は質素にしてほしい、無宗教でしてほしい」と言っていたことで、友人葬で実行委員会は方式で行うことにする。

  昼頃、納棺師が来て、家族も温泉をかけたり、体を洗うお手伝いをして、写真と同じ服に着替え、化粧をしてもらうと、入院前の夫が眠っているような顔になりました。

  午後から、実行委員会を行ない、委員長を決めて、通夜、告別式をお別れ会として

行ない、実行委員長、私、3人の子供たちが挨拶することになる。

今の私に参列者の前で挨拶ができるのか、お断りしたが、今の素直な気持ちを語ることが、夫を送ることになると言われて承諾することにした。

近所の人たちが次々に会いに来てくれました。さぞ夫は喜んでいることでしょう。

  明日、明後日はアルコールは飲めないので、今日はしっかり飲もうとしていると、

次男の友人や近所の先輩が、夫に会いに来てくれて、宴会になりました。

 夫の妹が長崎から22時に中部空港に着いて、長男たちが迎えに行き、23時ごろ夫に会いに来てくれました。

   今日の万歩計は、2,104歩でした。

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