5月9日(水)、先日ご主人をなくされた友人宅に3人でお邪魔しました。まずご主人の写真にお参りをさせていただきました。少し若い時の写真だそうですが、ご主人らしいとてもいい写真でした。69歳の最後の誕生日に、緩和ケアの職員の方からメッセージを頂いて、弥富の満開の桜の下で、車椅子に載った写真が添えてありました。とても記念になるお誕生日カードでした。この4ヶ月お二人で寄り添って、病気に立ち向かっていたことは、友人にとっても、ご主人との思い出を大事に共有できたのではないかと思います。
最後をどのように迎えるのか。人生の終りをどう迎えるのか。それは誰にもわかりません。夫婦2人で寄り添って過ごせたことは、二人の宝です。今日彼女が、思っているよりも悲しんでいないのをみるにつけ、二人で、十分いい時間をを過ごせたのではないかなあと感じました。私も、夫と40年の生活はあと何年一緒に過ごせるのかわかりませんが、後悔のないように一日一日を過ごして生きたいと感じた今日一日でした。
5月8日(火)、母が帰ったばかりであるが、夫婦2人で食事をしていると、なんだか2人とも、「寂しいね」と自然に声が出る。
毎食の食事も、今までより1品少なく寂しいものになっている。お互いになんやかんやと気を使いながらも、二人と三人では、暮らし方が違うものなんですね。
母がいるときは、夫もナンヤカンヤと母の世話をやいていたが、そんな人もいなくなったせいかもしれません。私は私で、食事時間の制約がなくなったので、羽が生えたようにいつものように飛び回り始めました。
娘が、7月には家を出て行きますが、夫婦2人の生活が始まりますが、そうなったら、どうなるのでしょうか。夫はますます独りぼっちになるのかもしれませんが、なるべく二人で出かける時間を作らなければならないと肝に銘じています。
5月7日(月)、母は、朝早くから、今日着ていく服の着替えて、1時間前から待っている。母の岡崎にいる弟にも会いに行くので、手土産に果物とお菓子を買うために30分ほど早めに娘の運転で出かける。
高速道路よりも名四で行ったほうが早いと思い出かけたが、やはり港区に入るところで30分くらいかかってしまったが、後はスムースに走ることができて、知立と岡崎に入る頃に、昔の旧東海道に入って、松の並木道を通っていった。なかなか趣があってドライブを楽しんだ。思ったより早く叔父さんの家に着いた。昔の面影はなく、新しい家に10年ほど前に新築したという。段差にない、高齢者に配慮した建物で意心地がよかった。
電話では、叔父がお寿司を用意しておくと言っていたが、お茶菓子しか出ないので、また来る約束をしてお暇をする。すぐ近くにクルクル寿司があったので、すぐに入ってお腹が満足するまで食べる。
30分位して、早めに豊田に着くと、母はお茶の世話をしてくれ、忙しそうに動いて、箪笥の上の物をとってくれだの、頼まれた。長い間お世話になったという気持ちがあるのか、何か持たせたいと言う気持ちなのか、何もたいしたものは出てこないのであきらめたようである。その代わりに弟のお嫁さんが、この時期には珍しく大きなスイカと野菜をお土産に持たせてくれました。
やはり母にとっては、住み慣れた我が家が一番いいようである。珠には娘のところにも来て、親孝行をさせてください。
5月6日(日)、連休の最後の日であるが、天気が大荒れになり、登山を楽しみにしていた人たちが何人かがそうなんし、死亡している。出ずニーにいくのを楽しみにしていた若者たちが乗る格安のバスが、運転手の居眠りによる事故で、大勢亡くなったり、つくば市では、竜巻で中学生が建物の下敷きになって亡くなり、福島から非難してきた人たちが住む雇用促進事業団住宅が突風にあおられて、被害を受けるなど2重、3重に被害を受ける人たちがいることに胸を痛めた。せっかくの大型連休も悲しい事故が相次いだ。
こんな国民総移動の大型連休ではなく、もっと自由に休みが取れて、ゆったりした休日が送れる制度になってほしいものです。
私たち高齢者は、こんな大型連休は移動しないのに限る。ジット家でのんびりしたほうが絶対いい。おかげで、40年ぶりに買い込んだミシンも少し使えるようになって、もう少し大物を作りたくなってきた。
母は、明日帰るという気持ちが一杯なのか、昨日に続いて、肩たたきを一生懸命作っている。「家に持っていって作ってもいいから」というと、とても作り終えないと観念したか、サッサとかばんの中に整理して、着替えなども忘れ物がないかとチェックしている。よほど家に帰るのが待ち遠しかったのか、母の気持ちを思うと涙がにじんでくる。