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ハトとたんぽぽ

和子の気まま日記

2025-5-13(火)、みなと共保の仲間との出会い 曇のち晴

2025年05月14日 05時53分00秒 | 友人
室温は、18.2度(6:00)。
朝方は少し涼しい位であったが、日が昇るにつれてドンドン気温が上がって真夏日に迫る28度を超える気温となる。

今日は昔懐かしいみなと共同保育所で働いた仲間と名古屋港で会いました。

伊那に移住した友人とは時々会っていたが、もう1人はお互いに40年以上も会っていなくて、久し振りの出会いであった。

近くの喫茶店で1時間ほでおしゃべりをして、近くのボートハウス無料休憩所でお弁当を買って、懐かしさに話が尽きませんでした。

私達夫婦が結婚して1972年12月に長男が生まれても産休後の0歳児を預ける所がなくて、偶々知り合いの友人に頼んだことから、みなと共同保育所を立ち上げることとなりました。

古い借家を借りて、苦労しながら、父母たちと資金集めをしながら手探りで、1歳児で公立保育園に入るまで共同保育所で0歳児保育をしていました。

私は長男が0歳児で喘息がひどくなり、民間保育園を辞めて、父母のいる愛西市(佐屋町)に引っ越して、3人の子供たちを育てていたところ、保母がいないということで、1978(昭和53)年に佐屋から軽自動車で通勤することになりました。

1985(昭和60)年に退職するまで7年間みなと共同保育所で0歳児保育を仲間と共に働いてきました。
 
藤の乳母車に子どもたちを乗せて、近くの公園に出掛けるのが日課でとても子どもたちも喜んでくれました。

友人は退職後東郷町の町会議員となり、私は佐屋町会議員となって、0歳児保育や子育て問題を取り上げながら、大変な議員生活を送っていました。

全国的にも0歳児保育が広がっていた時代でもあり、お互いに若いからよくやってきたもんだと懐かしい思い出でした。
 
青春時代をみなと労山や共保で過ごしたことは人生の宝です。

まだまだこれからの人生、自分らしく笑顔で感謝して、毎日過ごせるように心がけて頑張りたい。

昔話に花が咲いた一日となり、素晴らしい思い出ある人生は楽しい!いつまでも元気で、来年は伊那に行こうと約束して別れました。

お互いにライングループを作っていつまでもライン交換し、眠れない夜になり、「ライフレビューライフ」のファイルを出すと共保の時の写真が出てきました。

若い私と子どもたちです。今どんなオトナになっているのでしょうね。

今日の万歩計は、10,339歩でした。
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