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ハトとたんぽぽ

和子の気まま日記

2025-5-14(水)、Amebaブログに引っ越しします! 曇のち晴

2025年05月15日 03時31分16秒 | ブログ
一応練習でAmebaブログに引っ越しをしてみたいと思いますので、そちらでブログを見られるようになると良いですね。

これからもよろしくお願いします。

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2025-5-13(火)、みなと共保の仲間との出会い 曇のち晴

2025年05月14日 05時53分00秒 | 友人
室温は、18.2度(6:00)。
朝方は少し涼しい位であったが、日が昇るにつれてドンドン気温が上がって真夏日に迫る28度を超える気温となる。

今日は昔懐かしいみなと共同保育所で働いた仲間と名古屋港で会いました。

伊那に移住した友人とは時々会っていたが、もう1人はお互いに40年以上も会っていなくて、久し振りの出会いであった。

近くの喫茶店で1時間ほでおしゃべりをして、近くのボートハウス無料休憩所でお弁当を買って、懐かしさに話が尽きませんでした。

私達夫婦が結婚して1972年12月に長男が生まれても産休後の0歳児を預ける所がなくて、偶々知り合いの友人に頼んだことから、みなと共同保育所を立ち上げることとなりました。

古い借家を借りて、苦労しながら、父母たちと資金集めをしながら手探りで、1歳児で公立保育園に入るまで共同保育所で0歳児保育をしていました。

私は長男が0歳児で喘息がひどくなり、民間保育園を辞めて、父母のいる愛西市(佐屋町)に引っ越して、3人の子供たちを育てていたところ、保母がいないということで、1978(昭和53)年に佐屋から軽自動車で通勤することになりました。

1985(昭和60)年に退職するまで7年間みなと共同保育所で0歳児保育を仲間と共に働いてきました。
 
藤の乳母車に子どもたちを乗せて、近くの公園に出掛けるのが日課でとても子どもたちも喜んでくれました。

友人は退職後東郷町の町会議員となり、私は佐屋町会議員となって、0歳児保育や子育て問題を取り上げながら、大変な議員生活を送っていました。

全国的にも0歳児保育が広がっていた時代でもあり、お互いに若いからよくやってきたもんだと懐かしい思い出でした。
 
青春時代をみなと労山や共保で過ごしたことは人生の宝です。

まだまだこれからの人生、自分らしく笑顔で感謝して、毎日過ごせるように心がけて頑張りたい。

昔話に花が咲いた一日となり、素晴らしい思い出ある人生は楽しい!いつまでも元気で、来年は伊那に行こうと約束して別れました。

お互いにライングループを作っていつまでもライン交換し、眠れない夜になり、「ライフレビューライフ」のファイルを出すと共保の時の写真が出てきました。

若い私と子どもたちです。今どんなオトナになっているのでしょうね。

今日の万歩計は、10,339歩でした。
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2025-5-12(月)、心の居場所「ぽかぽか」曇

2025年05月13日 05時00分35秒 | 障がい者
室温は、19.6度(6:00)。
今日は1日中曇り空で、気温もあまり上がらず、凌ぎやすいお天気であった。

老人福祉センターまで歩いていく途中に、ピンクのバラが咲き誇っていた。

駐車場の方から写真を撮る。

今日はくらしの相談窓口で心の居場所「ぽかぽか」に出掛けるが、10時半まで一人で折り鶴の糸通しをやっているとメンバーが娘さんと一緒に来てくれる。

市役所で折り鶴用の色紙をまとめて貰っていたので、折って貰うことにする。

私は何とか500枚の折り鶴の糸通しを終えることができたので、3人でランチに行くことになった。

平和町の今年1月に開店した「ひぐらし食堂」に行く。


昨日娘さんと来たばかりだったのに、2日続けて私のために誘ってくれる。

入口に小さな大根が120円で売っていたので、先に確保しておく。

近くの友人にも電話するとやっと連絡が取れて、すぐに来ると言っていたが、30分程掛かったが、先に料理が来たので、食べ始める。

月毎に献立が変わり、今月は3色フライとお刺身の献立だったが、手作り感があって、玄関で取置していた小さなダイコンはこのままサラダに付いていた。

自分の畑で収穫した野菜がとても新鮮だった。

人がドンドン入ってきて、満席になった。

やっと友人も来てくれて、新しい食堂を見つけて喜んでくれる。

長男の母の日プレゼント

長男が1日遅れの母の日のプレゼントといって、新潟のお酒を一升瓶2本も持っきてくれる。

ひぐらし食堂の小さなダイコンを即席漬物と煮物のおつまみで久し振りの晩酌。


春ダイコンのピリっと辛味がお酒に合ってとても美味しかった。

しばらくの間は楽しみな晩酌が毎日出来そうである。

今日の万歩計は、6,933歩でした。


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2025-5-11(日)、母の日 晴のち曇

2025年05月12日 05時41分17秒 | 記念日 記念樹
室温は、19.3度(6:00)。
朝の内は涼しいが陽が昇るうちにだんだん暖かくなって、日焼け防止に畑用の帽子と手編みの手袋と長袖のティシャツに手編みのベストで散歩に出掛ける。

近所の友人宅のニオイバンマツリが満開。

友人は3月1日に突然亡くなって、一緒に住んでいた長男はグループホームに入所し、花は誰もいないけれど見事に咲いていた。


「和らく」で美味しい珈琲を飲みながら、古民家喫茶店の本を読んでいると、以前家族で出掛けた長久手の古民家カフェや豊田市の山間のデイキャンプも出来る喫茶店などがありました。

今年も家族でお墓参りに豊田市まで出掛けるので是非行って見たいなあ。


帰りに用水沿いを歩いていると田んぼには田植えが始まり、用水に水がいっぱい流れていました。

亀が枝に必死に捕まっていました。突然の水にびっくりしたことでしょう。


母の日のプレゼ

携帯を見ていると次男から「今日は母の日、東京にいるけど、またね。いつもありがとう♡」とラインが入っていました。

気持ちだけでも嬉しいものですね。

また夜に眠っていると娘から母の日のプレゼントが枕元に
私の大好きなお酒純米大吟醸「愛生希」が青木酒造の袋に包まれて置かれていました。

とっても嬉しいものですね。冷やして晩酌に飲むのが楽しみです。

今日の万歩計は、9,449歩でした。


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2025-5-10(土)、西條奈加「バタン島漂流記」 雨のち曇

2025年05月11日 05時59分57秒 | 本と雑誌
今日は午前中は雨が降り続いていたし、永和台老人会のグランドゴルフもお休みだったので、西條奈加さんの「バタン島漂流記」を読み上げる。

颯天丸は頭を始め15名を乗せて江戸から下田を経て三河沖で大西風が吹いて、太平洋の沖に流され、黒潮に乗り、漂うこと半年。水がなくなり、頭の指導により、海水を温めて、蒸気を冷まして水に変えて生き長らえて、何とか陸を見つけたのはバタン島であった。

15人全員で日本に帰ることを誓いながら、2つ目の村で下男として働かされながら、信頼を得て、島の木で船大工の経験のあった和久郎を中心に村人も手伝い、日本に帰るための船「第二颯天丸」を仕上げる。

しかし歳を取った頭と舵頭は行方不明となり、和久郎の幼馴染の門平は木の下敷きに亡くなってしまい、もう一人は島に家族が出来て残り、11名で船出することになる。

何とか船出をして日本に向かい、日本に到着したが、漂流したといえ、外国に無断で漂着したという過度で長崎奉行で一人一人尋問にされ、牢に繋がれ、何とか罪は減刑され、船を乗ることは許されず、長崎から歩いて故郷に帰る事が出来たが、自由に村を出ることは許されなかった。

賄の参太だけは許されて坊主になって、島で亡くなった3人の仲間のお寺を建立するために全国を行脚する。

壮大な物語に心を動かれて一気に読み上げる。

午後から図書館に行き、リクエストした本、あさのあつこさんの「春立つ風」と原田ひ香さんの「ランチ酒」2冊を借りてきた。

毎日早く眠るので、夜中に目が覚めて読む本がないと淋しくなるので、2〜3冊は図書館から借りるようになった。

アメリカ出身の教皇誕生

帰りに老人福祉センターで新聞を読んでいると、新しいローマ教皇を決める選挙コンクラーベが8日行われ、アメリカ出身のロバート・フランシス・プレボスト枢機卿が選ばれ、レオ14世と名乗ることが発表されました。アメリカ出身の教皇が誕生するのは初めてです。

レオ教皇はアメリカ出身でありながら20年近く南米ペルーで活動し、前教皇の平和路線を継続すると発言している所は期待できますね。

今日の万歩計は、5,717歩でした。




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