果樹園の風

愛知県豊橋市で無農薬のレモンを栽培している河合果樹園です。
目指せ!楽しむ農業、楽しませる農業!

イタリア紀行3と欺瞞と迷妄

2016年06月29日 08時17分51秒 | 日記・エッセイ・コラム
ここのところうんざりするほど毎日しとしと雨が降る。
天気がそろえば、露地みかんの摘果作業。
みかんの木は早くしてくれと言わんばかり。
自然を相手にする生業は、この受け入れるということを
日々こなしていかねばならないところに、
一種の日本人的優しさの体得が隠れているような気がする。

イタリア紀行下巻、1788年3月14日 ローマ
下巻ではローマという大都会なのか自然の描写少ない。
個人的にはそちらに心引かれながら食文化に当てはめるのを楽しみにしているため、
少々飛ばし読みでローマを駆け抜けた。
242ページ、レモンの記述が・・・。
「次に私はアルバニア別荘に行き、一通り中を見物した。
天気のいい日のことであった。
昨夜半大雨があったが、今日は日が輝いていて私の窓の前は楽園である。
巴旦杏の木は青々としげり、桃の花は落ち始めたが、
レモンの花は梢高くに咲きかけている。」

3月に花が見られると言うことは、1月~2月はかなり温暖だと想像できる。
イタリアでのレモンの仕立て方は、至る所にある笠松と同じだ。
だから梢高くと表現したのだろう。

ところで相変わらずレモン味の新商品のアラートが届く。
いいことだなと思うのは、日本人が知らなかった本物のレモンテイストの浸透だ。
日本では使ってこなかった皮ごと搾る果汁や皮のエキスが新商品には使われている。
河合果樹園の初恋レモン・レモネードも皮ごと搾っているため、
はじめのころは違和感を感じる方も確かにいた。
香料の味に慣れて、本物の味を知らず。
食の世界の自然から乖離した部分にある欺瞞と迷妄から、
距離を置く人が増えていることを嬉しく思う。

河合果樹園 http://kawaikajuen.jp/

「ゲーテはイタリア紀行の最後をオヴディウスの詩で締めくくる」




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イタリア紀行2とナポリとレモネード

2016年06月19日 16時10分10秒 | 日記
昨日は夏を感じる暑さとなった。
露地みかんの2次落下という自然に実が落ちる現象が現れる。
みかんの木の下、緑色の草の上に黄色くなって落ちたみかんとのコントラストが面白い。
養分の奪い合いに敗れた実が一面に見えるそこは、
誰もいなくなった戦場の風景に見える。

イタリア紀行中巻、ゲーテはナポリとその近郊を
子細な観察眼であこがれを持って表現している。
「Vedi Napoli e poi muori!」
イタリアの有名なことわざ
「ナポリを見て死ね!」という言葉が浮かんでくる。

中巻でレモンライフ研究家の肝臓の機能を高めたのは
1787年5月28日のナポリ、
ゲーテは本の本題とは横道にそれることを前置きしたうえでこう言っている。
「しかし呼び売り行商についてだけは、ぜひここに記しておく必要があろう。
というのは彼らは民衆の中でも最も低い階級に属しているからである。
どこでも即座にレモネードを作れるように、
樽に入れた氷水とグラスとレモンとを持って歩くのがいる。
このレモネードは最下層の連中といえども欠くべからざる飲料なのだ。」

18世紀のナポリでは、レモネードはのどの渇きをいやすだけでないことが
最下層の人たちにも浸透していたことになる。
エジプトの医師であるイブン・ジュメイは12世紀に書いた論文の中で、
「レモネードは渇きをいやし体力を回復させ、
喉の炎症から消化不良、二日酔いまであらゆる症状に効く。」と発表した。

こういった知識が口に入る物の価値を高め、脳細胞を活性化する。
無農薬レモンのないこの季節、
またまた初恋レモン・レモネードの価値を見直すことができた。
「歴史に学べ!」もっともな言葉である。

河合果樹園 http://kawaikajuen.jp/






 
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イタリア紀行1とゲーテとガルダ湖

2016年06月12日 18時35分00秒 | 日記・エッセイ・コラム
とうとう極早生の摘果作業が始まった。
天気が良ければ、順次みかん園を移動しながら当分終着駅はない。
田んぼのカエルたちは、大地に響けよと言わんばかりにのどから声を出す。
毎年の風物詩は、このところ一息ついている私の心には晴れ間となる。
当時、ヨーロッパ中を席巻した「若きウェルテルの悩み」で有名なゲーテが、
自身の逃避行を書いた「イタリア紀行(相良守峯訳)」を、
自分も本を出版した関係で読んでみた。
もちろん私の興味はレモンライフ研究家としてのレモンライフの部分である。
少々斜め読みの感はあるが、、あらたな展開の興味を注ぎ込まれてしまった。

そんな一文を紹介させてもらう。
イタリア紀行上巻P47~P48
9月13日
「今朝三時に、船頭二人と共にトルボーレを後にした。
はじめは追い風だったので帆を使うことができた。
上々の朝だった。曇ってはいたが、未明の間はごく静かであった。
私たちはリモナの沖合を通り過ぎた。
段階式の造りでレモンの樹をうえつけたリモナの山畑は、
豊かな、しかも楚々たる眺めである。
この果樹園全体にわたって行く列かの四角な白塗の柱が列び、
各列にそれぞれいくらかの間隔をおいて階段状に山腹を上手へと伸びている。
これらの柱の上には丈夫な横木がわたしてあって、冬期になると、
中に植えてある樹の蔽いををするようにしてある。」


イタリア最北端のレモン栽培は冬期の防寒対策としてレモンハウスを活用した。
ゲーテは「ミニヨンの歌」の中で、「知っていますか レモンの花咲く国を~」と歌った。
ガルダ湖のリモナ(リモーネ村)に不朽の名声をこの詩がもたらすことになったという。

こんな歴史もレモンつながりだからおもしろい!

河合果樹園 http://kawaikajuen.jp

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