全然関係ない話。私が単純に思うことを書いておきます。
blogを書いています。今に始まったことではないですが。人前で話をします。これも職業柄当たり前なのかもしれないなとは思います。
前にも書きましたが「雉も鳴かずば撃たれまい」という諺があります。当たり障りなく生きていたら誰からも何も言われない。指導しなければあれこれ言われることも生まれない。「顧問がいるのに部活で指導をしてくれない」と選手が言うことはあっても保護者から「何で競技のことを勉強して指導しないのか」と言われることはほとんどないと思います。
こうやって指導しているとやはりあれこれ言われる。blogに書いた言葉や発言の一部分を切り取って「何でそのような発言をするのか?」と言われる事は多々あると思います。転勤して最初の年はほとんどがその手のことでした。練習の終わる時間が長引いた。練習の計画と実際が違う。その時その時の状況によって様々な事が変わります。臨機応変に対応すると様々な方に迷惑をかけるというのはあるかもしれません。これは価値観だと思います。一つのことに対して様々な角度から見ていけばそれぞれが「正しい」ということになる。理不尽な事があってもめちゃくちゃ無礼な事があっても「どの角度から見るのか」で正当化されることもあると思います。
今は1億総評論家時代です。SNSなどが普及し不特定多数の場面で「批判」が飛び交います。Yahooのコメント欄などはすごいですね。誰かが何かをしたら全員が批判をする。気に入らない人がいれば叩けばいいのです。それにより人生が変わる芸能人も数えきれないくらいいます。
私のblog。表現が気に入らないという人もきっといるでしょう。前も普通に書いていたら「自分が良い指導者と勘違いしている」「調子にのるな」とコメントされたこともあります。無記名で。例えばここで「赴任した時は闘うチームではなかった」と書けば当時所属していた者からすれば「自分たちは一生懸命にやっていたのになんなんだ」と言われるでしょう。客観的に見ることとその中で生活している者とでは感じる感覚が異なると思います。
それ以外にも私の行動が気に入らないという人もいるでしょう。合宿で指導した際にも無記名で「調子にのるな」「お前の練習やるなら合宿でやるのではなく学校でやれ」みたいな書き込みもありました。ではどのような指導をすれば良いのか?具体的な答えを示して欲しいと応じましたが返答なし。「批判」は簡単です。が、その批判に見合うだけの「代替案」があるのか。お前の指導は悪い、というのであればどういう指導をすれば高校生に相応しい指導ができるのかというのを明確に示してもらいたいなと思いますね。
今はたまたま女子選手が来てくれています。かなり実績がある選手です。が、同じくらいの選手はたくさんいました。うちの選手が伸びていないと言われるかもしれません。が、インターハイに進んだり県で勝つことを繰り返しているという事実はどうなのか。特別な指導者だとは思いません。が、ある程度は指導していると思います。色々な部分を含めての指導。その中でひょっとしたら保護者も「気に入らないな」と思われているかもしれません。それは受け止めていくしかないと思っています。
預かった選手に対してはこちらも責任をもって向き合います。あれこれ批判を受けるかもしれませんが選手優先です。ひょっとしたらうちの学校を選んだ事を後悔する選手も出てくるかもしれません。今の所、来るんじゃなかったと言われる事はありません。そこには意味があると思っています。それだけの時間と労力をかけています。以前は中国大会に進む事を考えた事なかった選手達もいました。別次元の話だと考えていたでしょう。それは仕方ないと思っています。「競技をやる」という段階に達していなかったのはあります。数年前と比べると本当に闘う事を意識し始めたと感じています。
今の3年生、1年生の時は「練習をやる」だけでした。2年生になって本気で戦いたいと思い始め、最終的には競技者になりました。この変化は本人達が1番感じていると思います。中学時代とは随分違うはず。負けて涙を流す。立ち上がれないくらい涙を流す。それは必死に上を目指したからできること。1年生の感覚のままだったら涙を流すほど力を注げなかったと思います。明らかな変化。1年生の時に何を言っても入らなかったと思いますが、今ならわかる。それは価値観が大きく変わったからだと思っています。
何の話かよく分からなくなりました(笑)。私が直接何かあったというわけではなく。ちょっと思うことがあったので触れておきたいと思いました。現場でしか分からない感覚がある。それだけは確か。毎日グランドで見ていく中で分かることもある。一生懸命という言葉。この言葉の中にも大きな差がある。これも確か。
まとまりません。まーいいか。
blogを書いています。今に始まったことではないですが。人前で話をします。これも職業柄当たり前なのかもしれないなとは思います。
前にも書きましたが「雉も鳴かずば撃たれまい」という諺があります。当たり障りなく生きていたら誰からも何も言われない。指導しなければあれこれ言われることも生まれない。「顧問がいるのに部活で指導をしてくれない」と選手が言うことはあっても保護者から「何で競技のことを勉強して指導しないのか」と言われることはほとんどないと思います。
こうやって指導しているとやはりあれこれ言われる。blogに書いた言葉や発言の一部分を切り取って「何でそのような発言をするのか?」と言われる事は多々あると思います。転勤して最初の年はほとんどがその手のことでした。練習の終わる時間が長引いた。練習の計画と実際が違う。その時その時の状況によって様々な事が変わります。臨機応変に対応すると様々な方に迷惑をかけるというのはあるかもしれません。これは価値観だと思います。一つのことに対して様々な角度から見ていけばそれぞれが「正しい」ということになる。理不尽な事があってもめちゃくちゃ無礼な事があっても「どの角度から見るのか」で正当化されることもあると思います。
今は1億総評論家時代です。SNSなどが普及し不特定多数の場面で「批判」が飛び交います。Yahooのコメント欄などはすごいですね。誰かが何かをしたら全員が批判をする。気に入らない人がいれば叩けばいいのです。それにより人生が変わる芸能人も数えきれないくらいいます。
私のblog。表現が気に入らないという人もきっといるでしょう。前も普通に書いていたら「自分が良い指導者と勘違いしている」「調子にのるな」とコメントされたこともあります。無記名で。例えばここで「赴任した時は闘うチームではなかった」と書けば当時所属していた者からすれば「自分たちは一生懸命にやっていたのになんなんだ」と言われるでしょう。客観的に見ることとその中で生活している者とでは感じる感覚が異なると思います。
それ以外にも私の行動が気に入らないという人もいるでしょう。合宿で指導した際にも無記名で「調子にのるな」「お前の練習やるなら合宿でやるのではなく学校でやれ」みたいな書き込みもありました。ではどのような指導をすれば良いのか?具体的な答えを示して欲しいと応じましたが返答なし。「批判」は簡単です。が、その批判に見合うだけの「代替案」があるのか。お前の指導は悪い、というのであればどういう指導をすれば高校生に相応しい指導ができるのかというのを明確に示してもらいたいなと思いますね。
今はたまたま女子選手が来てくれています。かなり実績がある選手です。が、同じくらいの選手はたくさんいました。うちの選手が伸びていないと言われるかもしれません。が、インターハイに進んだり県で勝つことを繰り返しているという事実はどうなのか。特別な指導者だとは思いません。が、ある程度は指導していると思います。色々な部分を含めての指導。その中でひょっとしたら保護者も「気に入らないな」と思われているかもしれません。それは受け止めていくしかないと思っています。
預かった選手に対してはこちらも責任をもって向き合います。あれこれ批判を受けるかもしれませんが選手優先です。ひょっとしたらうちの学校を選んだ事を後悔する選手も出てくるかもしれません。今の所、来るんじゃなかったと言われる事はありません。そこには意味があると思っています。それだけの時間と労力をかけています。以前は中国大会に進む事を考えた事なかった選手達もいました。別次元の話だと考えていたでしょう。それは仕方ないと思っています。「競技をやる」という段階に達していなかったのはあります。数年前と比べると本当に闘う事を意識し始めたと感じています。
今の3年生、1年生の時は「練習をやる」だけでした。2年生になって本気で戦いたいと思い始め、最終的には競技者になりました。この変化は本人達が1番感じていると思います。中学時代とは随分違うはず。負けて涙を流す。立ち上がれないくらい涙を流す。それは必死に上を目指したからできること。1年生の感覚のままだったら涙を流すほど力を注げなかったと思います。明らかな変化。1年生の時に何を言っても入らなかったと思いますが、今ならわかる。それは価値観が大きく変わったからだと思っています。
何の話かよく分からなくなりました(笑)。私が直接何かあったというわけではなく。ちょっと思うことがあったので触れておきたいと思いました。現場でしか分からない感覚がある。それだけは確か。毎日グランドで見ていく中で分かることもある。一生懸命という言葉。この言葉の中にも大きな差がある。これも確か。
まとまりません。まーいいか。