練習のことを書こうと思っていましたが。自分の中で処理できないことがあったので言葉にしておきます。すみません。間違いなく面白くないです。
水曜日、職員会議がありました。火曜日は本当にバタバタしていて。自分一人では処理できない仕事と調整があります。それでもやるしかないのでやります。水曜日の職員会議の最後に今年度の離任者と退職者の一覧が配布されました。これまで教員という仕事をしていて初めての経験です。もっと落ち着いた時に知らされる感じがあったので。
その一覧表を見て愕然としました。転勤などはなんとなく分かります。内示はもっと早いので。が、今回は慕っている先生が定年を前に「退職」と記載されていました。全く知らされていませんでした。多分周りの人も気づいていなかったと思います。あまりにも衝撃で💦本当はすぐに話をしにいきたかったのですが、職員会議の後にやることが山積みでしたからきちんと話をすることができませんでした。
夕方、勤務時間外に職員室に会いにいきました。余りにも突然のことだったので。詳しい事は書きません。それぞれの事情があると思うからです。私は思っていることを伝えたいなと思って話をしました。4年前に一緒に赴任して右も左も分からない中で進んできました。3年間一緒に担任をして行きたいなと思っていましたし、その話もずっとしてきました。定年も近いので最後まで担任を持ち続けたいと言われていたので、是非とも一緒に持ち上がりたいなと思っていました。
が、年度末に別の仕事を依頼されたので担任ではない役割を受けられました。年齢的にやらないといけないという強い使命感があったのだと思います。「担任をやりたい」という強い気持ちがあったのにそれを押し殺して全体のことを考える。私は「最後に担任をやりたい」という想いを聞いていたのでかなりショックを受けていました。担当学年が変わるというのもあったので。
そのまま3年間、役割を果たされました。これでやっと「担任ができる」と思っていました。その方が強く望んでいた形になれると勝手に思っていました。その状況下で「退職」されるという事実を知らされて私は信じられませんでした。少しだけでも話をしたいなと。
情けない話ですが話はできませんでした。色々な想いが重なって涙が止まりませんでした。職員室。周りに人がいます。それでも溢れる感情を止めることができませんでした。情けない話だと思います。それでもその方の存在は4年間という短い間でしたが私にとってかけがえのない存在でした。
「好き」という言葉がどう受け取られるかわかりません。こういう場で書くと批判もあるでしょう。しかし、人として教員として尊敬できる存在でした。私が愚痴っていると話を聞いてくれますが、単純に書くだけではなくきちんと諭される部分も多くありました。どうでも良い話もできますし、真面目な話も相談させてもらっていました。まだ一緒に働ける。やっとやりたかったことができるんだろうなと思っていた矢先のことだったので。
年齢や性別に限らないと思っています。考え方や生き方に対して尊敬するのだと思います。同じ年齢になった時に私が同じような気持ちを持てているか。自己犠牲とは言いませんが、誰かがやらないといけないことをバランスを考えて引き受ける。やりたいことを我慢することも必要なのかなと感じていました。心から尊敬できる存在でした。それなのに突然の別れを迎える。
上手く話ができませんでした。1時間くらい話をしたと思いますが上手く感情をコントロールできなかったと思います。48歳です。しかし、人として尊敬するとか好きになるというのはあり得る話だと思います。「好き」という文字を使うと恋愛感情だと思われるのかもしれません。そんな話ではありません。尊敬できる存在に対して抱く感情は言葉では表現できないと思っています。上手く表現できません。
そんな姿を見て次年度採用されて職場を離れる方がティッシュを持ってきてくれました。若い方ですが気遣いをしてもらっています。若い人の前で感情が抑えられないというのもどうなのかと思う部分もありますが。それでも「感謝の気持ち」に関しては直接伝えるべきだとずっと思っています。文字として伝えるというのではない。会えない環境なら仕方ないかもしれませんが、ここに対して恥ずかしいとかいう感情は持つべきではないと思っています。言葉でしか伝わらないモノがある。そう思っています。
一緒に働きたい。そう思っていた方の突然の離職。自分自身の中で処理できない部分があります。
文字として記すことで私の中で処理しようとしています。でも言葉や文字は全ての感情や想いを記すことができません。上手く表現できないもどかしさ。稚拙な文字でしか記せません。情けない。