kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

何が正しいか

2016-06-25 | 陸上競技
思うことを適当に書き記しておきます。

こうやってblogを書くとわざわざ「叩かれる」ために前に出てくる感じがあります(笑)。自分の考え方を表に出すということはそれだけ他者の目につく可能性があるからです。技術的なことを書くにしても考えを書くにしても「突っ込まれる部分が出てくる」のは当然だと思います。一番楽なのは「何も言わないこと」です。今の私にはとてもじゃないですができませんが。

1年前、このblogに「書き込み」がありました。かなりの内容でした。文章の様子からすると「複数」の人物が私に対する批判的な意見を書き込んでいました。電話などでも同じですが「匿名」であれば何でも言えます。揚げ足を取るような言い方もできます。表現の「一部の抜粋」をしてそこだけを取り上げればあたかも「普段から問題発言ばかりを繰り返す」というように捉えられます。

ニュースなどは顕著ですね。長時間の会見をすべて放送するわけにはいきません。そうなると「編集」される。その「編集」のほうによっては「全く違う会見」となる危険性があるのです。「中立の立場」からの報道であれば問題はないと思いますが「思想信条」によって報道が偏ると大きな誤解を招きます。ニュースから状況を読み取るという人も多くいるでしょうから「イメージ操作」となります。こうなると何をやってもうまくいかなくなる。

私自身、自分が絶対に正しいと思うことはありません。どちらかというと一番信用していないのは自分です。こうやってblogを書いていますが「自分が正しい」と思って書いている部分よりは「これでいいのか」と思いながら書いている部分があります。絶対的な自信を持っているのであれば他者に頭を下げて何かを聞いたりしません。今のままの自分が不完全だからこそ多くの人からアドバイスを聞くのです。

昨年、「お前のblogは自分が素晴らしい指導者だとアピールしているように感じるから不愉快だ」「お前の評判は自分で思っているよりかなり悪い」という「ありがたい教え」が書き込まれました。もちろん、「匿名」です。県内の人物だと思いますが。2年前には県合宿で指導をした後に書き込まれました。当時はインターハイにリレーで行った後でしたから私の練習メニューの紹介という感じで県合宿自体を「tokusho」の練習で行いました。基礎的なことも含めバトン練習も行いました。その時には「そんなことやるなら自分のところだけでやれ。迷惑だ。」と書かれました。

本当に指導を受けた選手が「こんな指導を受けて迷惑だった」と言っているなら仕方ないと思います。が、全く関係ないその練習を見ていない人間から「迷惑だ」といわれるのは間違っているのではないかと思います。それも「匿名」です。批判するのは自由だと思います。が、それなら「どうすれば素晴らしい指導ができるのか」を明確に示してもらいたい。代替案のない批判は「無責任」だと思っています。

こういう仕事をしていたら多くの方と接することもあります。応援してくださる方も多くいますが同時に「批判的にとらえる」方々もいると思います。前にも書いたことがありますがクラス運営をしていたら40人が40人すべて私のやり方や生き方を肯定するとは思えません。そんなことがあれば逆に「不気味」です。宗教ではないので「気に入らない」という人間が出てくるのは当然のことだと思っています。万人に好かれる人間がこの世に存在するのかどうか。

私は万人に好かれる必要はないと思っています。そんなことはほぼ不可能だからです。生理的に受け付けないといわれるとこれは仕方ありません(笑)。もちろん100人いて98人に嫌われるのはどうかと思いますが・・・。今のところ「良い」と言ってくれる人の割合のほうが少しは多いのではないかと思います。これは自分が正しいからではなくなんとなくそんな感じだというだけですが。

こういう性格ですから「人に好かれるように生きる」というのはできません。いろいろな人に迎合して合わせて生きるというのは難しい。「またkanekoが・・・」といわれることも多くあります。それが他者に多くの迷惑をかけているのかもしれません。なんだかんだ言っても最優先事項は「生徒のため」という感覚があります。それはあくまで「私自身の感覚」でしかないのですが。そのことを「絶対に正しいのか」といわれると全面的に肯定することはできません。なかなか大変な話です。

「原理原則」だけに従って生きていけるか。答えはNOだと思います。そんな生き方は私にはできません。今の仕事自体が「生きている人間」を対象にしています。その場その場で対応が変わることもある。四角四面で対応できるのであれば本当に「DVDを見て勉強してください」で終わりだと思います。そこに「感情」を挟む必要がないから。映像で見て「時間は守りましょう」と「文字」でみて「音声」で聞く。それで「身に付く」のかどうか。ここは全くの別問題だと思っていますが。

私自身はかなり「不完全」だと思っています。だからこそ「何かを伝えることができる」のだと思っています。自分自身に足りないものがあるという認識があるからこそさまざまなことを学ばないといけないと痛切に感じる。自分自身の「ものさし」だけで判断をして行動することはない。繰り返しになりますがそういう生き方を「よい」と思わない人も複数いるのだけは確かです。

正しくない。それを認識したうえで人と関わるようにしています。若くても「自分のやり方が正しい」と思い人に頭を下げて聞いたりできない人もいます。それはそれで「その人の生き方」でしかない。誰かが否定してただす必要があるかどうかは別問題。そこまでする必要はないでしょうし。競技などで選手に結果を出させてあげたいと強く願うならそういうタイプの人はあまり指導者には向かないかもしれませんが。否定的な話ではなく「一般論」ですが。

私自身は常に自分を疑っています。これほど信用できない人間はいないと自分で認識していますから(笑)。周りからもそう思われているかもしれません。それでも慕ってくれる生徒や選手、卒業生や保護者がいてくれることは嬉しく思います。それがあるから今の仕事をやっていける。そう思っています。

うーん、何の話??気にしないでください。書きたいと思ったことを書いているだけですから。他者批判にはなっていないと思いますし。また書きます。

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