想うことを。
指導をしていて。普段の練習はフレキハードルで実施します。当てても大丈夫なように。というか学校にはフレキハードル以外のハードルが存在しません。学校での練習は全てフレキハードルです。これはかなり恵まれていると思います。当てても痛くない。思い切って練習ができる。これだけで練習効率が上がると思います。
しかしながらその弊害も存在する。競技場練習の時に「ハードルが怖くて浮いてしまった」という話がありました。個人的には「え?」という話です。試合も近づいています。ポイント練習の時に「ハードルが怖い」という話になる。実際のレースではハードルはそれなりの硬さがあります。競技場でのハードルは簡単に倒れる軽いものを使っています。試合のハードルは当たっても痛くないかもしれませんが、大きな失速は免れません。フレキハードル以外は怖いという話になるとこれは難しくなります。
試合が近づいてくる。その中で「硬いハードルが怖い」と言っていたら実際のレースの時に戦うことはできないと思います。それくらいの「気持ちの強さ」で本当に戦っていけるのか。この話を他県のハードル指導者と話しました。この感覚自体が「練習での強さ」につながると思っています。「何が何でもやってやる」という気持ちがあれば「ハードルが怖い」という話にはなりません。トレーニングに関しても「きついからできない」という話にはならない。が、どこかで「できない」と思っているのであればそれは全ての練習に現れると思っています。絶対にやり遂げてやるという気持ちの部分。実際のレースの時に足が合わなくなったら途中で辞めることはない。それなのに練習だと「上手くいかない」から止める。スタートでも同様です。出て潰れたといって走るのをやめる。実際の試合の時にどうするのか。試合の時はそこから立て直さなければいけません。失敗したからと中国大会の決勝でもレースを止めるのか。そんなことはないはずです。だったら「失敗してもやり通す」というのは必須だと思います。
これはバトン練習の時にもよく見かけます。タイミングが合わなくてバトンを渡さないまま止める。いや、試合の時にどうするの?もし失敗したのであれば「待て」をかけるなり「相手が加速に乗る」のを待つなり「対応策」があると思います。そこの部分ができないのであればその1本は完全に無駄になります。それで本当にいいのか。何が何でもバトンの受け渡しをするという意識があれば対応します。バトンが落ちたのならそこからどう対応するのかも含めてやっておく必要があると思います。「上手くいかなかったらからそこで終わり」というのはないと思っています。
これも考え方だと思います。そういう考え方の指導は現代の子どもたちには受け入れられない可能性もある。だからといって「ダメなものはダメ」というのを伝えるべきではないか。結局、力があっても「覚悟」がなければ最後の最後で戦えなくなると思います。もちろん、技術的な指導の不足部分もあると思います。もっときちんとした「技術指導」ができれば結果は全く違うものになる。が、最終的に「技術」を支えるのは「心」や「想い」だと思っています。それは教えてできるものではない。もちろん、しつこく話をしていきますがそれに対して「理解する」ことは全くの別物だと思っています。
ダメだからできない。これを繰り返していくのは良くないなと。もちろん、私自身が選手や他の人との関わり方が適切ではない可能性もあります。とはいえ、その部分を譲るのであれば指導する意味はないと思います。どう関わっていくのかは自分自身の信念の部分があります。正しいとは思いません。それぞれに考え方はあるでしょうから。
微妙な気持ちです。