kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

フーガはユーガ

2022-01-19 | 陸上競技
またも読書の話。

kd先生からお借りしたデープな本を読むまでモチベーションが上がらないので、図書室で本を借りました。何かのタイミングで情報が入っていた本です。伊坂さんの作品。

読もうと思って。全く先入観がない中で。少し読んでみるとユーガとフーガの双子の話でした。双子だから感じえる「不思議な感覚」について触れてある。完全にファンタジーなのですが初めて伊坂さんの作品に触れる私にとっては色々と考えさせられる部分もありました。

双子。ユーガとフーガ。この2人があるタイミングで入れ替わる。ふと見た時に誰も変わらないというくらいのそっくりな2人。性格的には全く違うけど、やはり双子だからという部分。

私の人生の中で「双子」との出会いは人生を大きく変えたと思いますし、価値観の大きな変容を生み出したと思っています。2組の双子と出会えました。そのうち1組は3年間(正確には4年間)時間と空間を共有させてもらいました。この子達に出会えなかったら今の私はいない。間違いない事実です。この子達から多くのことを学びました。会う機会も劇的に減っていますし、連絡を取ることもほとんどなくなくなっています。それでもずっとずっと大切な存在です。

読み始めて双子ということもありかなり没頭して本を読みました(笑)

推理小説のように読む部分もありました。ユーガの視点で書かれていて何を意味するのかを考えながら読んでいきました。内容的にしんどいなと思う部分もたくさんありましたが、それでも視点を大切にしながら読むことができめした。

naoもmichiも今年4年生になります。最後の年に納得できるパフォーマンスが発揮できたら良いなと思っています。力になれは部分は皆無かもしれませんが。やはりずっとずっと応援し続けています。また、先日誕生日だったsuzuneも。この子達と出会えたことで人生そのものが変わった気がします。本人たちはそんなことは思っていないでしょうが。私にとっては大きな存在です。

あれ?本の内容がほとんど書かれていませんが(笑)。伊坂さんの作品に触れて色々と感じることがありました。私の中で大切な大切なものに触れることができた気がします。

自分が何をするか。他のブログを見たりしながら自分自身の存在を確認していきたいと思います。是非ともフーガはユーガを読んでもらいたいなと思います。文学作品に触れる中で自分自身の存在を確認することができたのかなと思います。

まとまりませんが。また色々と書いていきたいと思います。自分を保ちながら。何が正義なのか。どうやってそれを確かめるか。色々に人の繋がりの中で自分がどうするか。それを感じさせられる作品でした。感謝。


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時間の使い方

2022-01-19 | 陸上競技

思うことを。

 

時間を有効に使う。「有効」というのがどういう意味合いを持つのか分かりませんが。何かに向けてやろうと思えば「最大限のことをする」というのは当然だと思っています。が、それは私にとっての「当然」であって、それ以外の人にとっては「特別なこと」なのかもしれません。ここは非常に難しい。

 

例えば「課題」がある。それを提出しない。別に構わないと思います。提出はするが答えを写して提出する。これも結局は「自分自身」の問題です。しかし、そこに意味があるのかどうか。徹底的に課題を出さない。それはそれで自分の考え方だと思うのでいいのかなと。しかし、「評価」としては厳しくなります。社会に出たときに「与えられた仕事をやらない」とか「期限を守らない」というのは許される行為ではありません。学生時代は「忘れていた」ということで済むかもしれませんが。

 

次年度から高校での評価が変わってきます。中学校の時に近づくのかなという感じです。我々としてはかなり煩雑になるのでメリットはありません。生徒にもわかりにくくなると思います。それでも偉い人が「意味がある」と思って導入するのだからやらざるを得ない。その中で「知識」を問う部分の割合が小さくなります。共通テストでもそれを受けて出題形式が大きく変わっています。得点が過去最低になるくらいの変化です。偉い人がそれをやるので受験生はかなりの被害にあっていると思います。

 

とはいえ、それを導入せざるを得ない。そうなると「評価」は物事に対する姿勢も大きく影響してきます。上述のように「時間を有効に使えない」生徒に関しては間違いなく評価が下がります。「課題」をやる時間は確保できないが「スマホ」でゲームをする時間は確保できる。それが自分にとってどのような意味があるのかが分からないのです。それはそれで「選択」なのでいいのかなと。

 

「転ばぬ先の杖」だと思って「きちんとやる」ほうがいいと話します。が、それは転ばない間は分からない。転んだ時に気づく。そうであれば普段からは一般的なことだけ、業務だけを遂行するほうが圧倒的に楽になります。結局、「課題をやる」ことを伝えてもやらないのだから。仕事として「授業をする」のは当然のことです。プラスアルファで「資格取得」に対しての援助をする。しかし、「その気」がなければ課題もやりませんし、検定取得しようともしません。そうであれば別に「協力」する必要はないのかなという気もします。

 

以前は「教員なんだから自分自身を犠牲にして生徒のためにやる」ことが「当然」と言われていました。多分、今でもその感覚を持っている人は多いと思います。が、「やりがい」があるのだから「生徒のために」やるのが当たり前という風潮は如何なものか。もちろん、「一生懸命にやりたい」と思っている生徒に対してはサポートする必要があります。目標に向かって進んでいくことに対しての協力は当然かなと。が、それは「強制」されるものではない。自分自身の「意思」で行動するべきだと思っています。

 

「課題」を提出しない。ここに関しては「記録」していく。「評価」が低い時に抗議されたら「根拠」を示して説明する。好き嫌いでやるわけではありません。きちんとやっている人間に対して正当な評価をする必要があるからです。こうやって考えることが自分自身にとって「時間」を有効に使うことになるのかどうか分かりませんが。

 

いつもいつも気楽に考えているわけではありません。きちんと「考え方」をもってやっています。そこに対して不満を感じる人もいるのかもしれません。が、実際問題「正当な評価」なんかはこの世には存在しません。社会に出たときには「不当な評価」のほうが多くあります。まーやるべきことをやらないで「権利」だけを主張するのも違いますから。「主観」ではなく「客観的指標」が必要になるのでしょう。陸上競技の「記録」は「客観的指標」になる。「努力」をしたからといって「記録」が伸びない選手だっている。これは「不当」なのかもしれません。「努力」をすれば「夢」は叶うという「幻想」だけではよくないなと思います。

 

時間をどのように使うか。何のために使うか。重要なことだと思います。限られている時間です。その部分は人それぞれ。長い目で見たときに後悔するかもしれませんし、しないかもしれない。その時になってみないと分からない。それはそれでいいのかなと。人生の長い時間の中で何が失敗なのか分かりませんから。

 

まとまりのない文章になっていますが。記録しておきます。

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