kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

「伝わること」と「伝わらないこと」

2020-07-20 | 陸上競技

思うことを。

 

陸上競技についてほとんど書いていません。何のblogなのかすでに分からなくなっている感じはあります。仕方ないかなという部分も自分の中にある。どう受け止めていくか。ここの処理の仕方を自分で考えていかなければいけません。

 

ある一定数の選手、ここには「伝わること」が多い。物事への理解力というのもあると思います。全てにおいて「1」か「0」、「白」か「黒」で考えているわけではありません。曖昧な部分もある。しかし、話をしているとこちらが伝えていこうと思っていることがストレートに伝わる部分があります。全体に何か注意をすると「自分のこと」としてとらえる。そうなると表情自体が変わってきます。これは本人にとってかなりプラスになる。

 

「伝わる」という部分で行動も動きも色々と変わってきます。こういう時には「与えすぎないこと」が重要かなと思っています。多くの情報を「与えすぎる」と混乱してしまって何をするべきかを見失います。そうなると本人のためにならない。「言われたこと」をすべてやろうとしてしまうので処理が間に合わなくなる。こういう時にはこちらからほとんど言わない。そうすると選手が自ら「~ができているか見てもらえますか?」と聞いてくる。それは「競技」をする上で非常に重要な要素だと思います。

 

今やりたいのは「自分のためにやる」という選手と一緒に前に進むこと。一方的に型にはめて「やらせる」のではない。もちろん、技術的な部分に関しては教えていくことはありますが、「気づき」を大切にしていきたいなと思っています。そうなると自然と「今のどうだったか?」という疑問が生まれてきます。「今、自分では~だったんですがどうですか?」という具体的な質問になっていく。そうすることで自分自身についてしっかりと考えられるようになります。

 

一方、「伝わらないこと」に関しては本当に伝わらない。変化というのがあるかと言われると「ほぼない」という感じになります。これまではこの段階でも「何とかしよう」という気がありました。こういう状況になると「伝わっている選手」が苦しみます。「これだけ話をしているのに分かってもらえない」という部分が出てくる。どうしたらいいのか分からなくなる。そして「伝わっている選手」がしんどくなるのです。自分たちはきちんとやろうとしているのになぜそれが分かってもらえないのか。本当にしんどい部分だと思います。

 

私自身、ずっと何とかしたいなと思っていました。雰囲気自体が悪くなるのでどうしてもそちらに目が向く。これにより「伝わっている選手」がずっと嫌な思いをし続けることになる。これは本当に不幸です。これまで何度も何度も経験してきましたがこういうパターンの場合、「自分は悪くない」「きちんとやっている」という考え方から抜け出せません。周囲が何を言っても「自分はやっている」と思うので永遠に平行線のまま。これはどうなのか。

 

近隣に出没したユーチューバー。「目立つなら何をしてもいい」という感覚の中で周囲の迷惑を顧みず行動を続けていました。今回のことがあるまで全く知りませんでしたが、すでに逮捕歴があって出所してからも同じように行動をしていたとのことでした。「自分が楽しいからいい」という感覚の中で生きている。目立ってチャンネル登録者が増えればそれで「お金」になる。その感覚で生きている人にとっては「周囲は関係ない」のだと思います。

 

「こういう行動はやってはいけない」と伝えても「聞く気がない」のだから意味がない。「できていない」と言っても「やってる」と思うのだから「指摘」することからは何も生み出せない。集団として「なんかちょっと自分は違うのかな」と感じるのであれば「無理だな」と感じると思いますが、それさえも感じ取れない人が出てくる。それが今の状況なのかなと。

 

「伝わる人」にだけきちんと伝え続けることが重要なのかなと思っています。全てを何とかしようというのは無理。見て見ぬふりをするというのは自分としては「受け入れられない」部分なんですが、それでもこれから先のことを考えると「意味がないな」と判断していく必要が出てくるのかなと。「伝わる人」はこちらが全てを言わなくても理解できる「伝わらない人」は10を伝えても1くらいしか分からない。その差は歴然としています。

 

最近救われているのは「伝わる人」の表情が輝いていることです。自分のためにやっているという感覚がある。競技力のあるなしだけではないのです。基本的な部分を抑えていくことで「成長」していく。私自身の練習が「ひたすら量をやって速くする」というものではありません。「考えない」選手にとっては「ひたすら走る」方があっていると思っています。よくわからないけど本数を増やしておけばある程度までは速くなるというのは事実です。そこに関しては「技術」や「指導」ではない。それでもその方が手っ取り早いというのはあります。

 

「伝わらない人」に何かを伝えるというのは至難の業です。そこに対して過度なストレスを感じるのであれば「量を追う」という練習を作ってもいいのかなという気はしています別に勝手に走っておいてというスタンスもありなのかなと。これなら私がメニューを作る必要性はほぼない。ひたすら走る。そこに楽しさがあるのかどうかは私にはわかりません。頭打ちになるとかいう話ではなく「量」を追うだけで「やっている感」は出ます。

 

「伝わる人」に何を伝えるか。ここが今の自分の中での課題です。伝わること。それを徹底していきたいなと切に思います

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世の中

2020-07-20 | 陸上競技

思うことを。

 

先日、よくわからない状況が生まれて市内は「コロナ感染のリスク」があるという流れになる。強制的に「濃厚接触者」になった人たちもいる。今回は目の前で起きた出来事なのでまたも影響を受ける。感染した者が「悪意」をもって行動すればこんなことになる。損害賠償云々になる危険性もあるが、「目立てば何をしてもいい」という感覚の者に何かを伝えても効果はない。

 

これにより金曜日の午後、「臨時休校」になる。別の濃厚接触者がいるわけではない。それでも「万が一」ということでこのような流れになる。ほかの場所とは違う。かなり敏感に反応する。当然の話だと思っている。

 

そんな中で「部活動はどうするのか?」という話も出る。この状況で「練習ができるかどうか」は私の感覚からすれば二の次。今は「安全」と「安心」を優先するべき。不安を感じている生徒がいるのであればそこは真っ先に対応する必要がある。

 

何があっても「練習をする」という気はない。全国的に「危機的」な状況になっている。それなのに「練習ができるのかどうか」を議論するというのはどうなのかなと思う。GoToキャンペーン。いやいや、みんなでどこかに出かけましょうなんてどれだけ愚かなのか。「感染拡大を防ぐ」どころか「日本中に広めましょう」という話にしかならない。GoTo。GoTo。この語呂が悪いわけではないのですが。

 

何を優先するのか。それは人それぞれだと思う。が、今の現状で「練習ってそこまで優先事項?」という気はする。土曜日には「競技場に練習に来ますか?」という連絡をもらう。高校生が練習に来るのであれば自分たちはその場所では練習ができない、とのこと。感染のリスクがあるということで許可が出なかったという話だった。元々、学外で練習をするつもりはほとんどない。極力多くの人と接触することはさけておかなければいけない。感染しない、感染させない。

 

しかし、今の自分の感覚は「過剰」なのか。また同じ思いをしたくないから「大げさに反応している」と思われるのか。それってどうなのかなと思う。人によって「感覚」は違う。目の前で「ユーチューバー」が感染拡大をさせる危険な行為をしている。そこから1週間しか経過していない中で複数名が感染している。そうであればもう1週間はぞれぞれが「できる限り」の行動をする必要があるのではないか。

 

リスクをとって多くの人を集めて練習をしたり、他の場所で活動するというではなく、「万が一」のことまで考えて行動するべきではないか。それが今の私の感覚。間違っているのかもしれない。それでも今の自分の感覚を大切にしたい。

 

生徒のために。これが表面的であってはいけない。「~のために」という人がいるが大半のことは「自分のために」やっている。これは今私がものすごく感じていること。結局、自分自身が「守られる」のであれば他者に不快な思いをさせても関係ない。そう考えている人が多すぎる。

 

自分がどうなのか。そこももう一度見直したい。面白くない。

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