特に痛みはないんだけど、座ってる姿勢が・・・ということで整体をさせていただきました。座ってるときに膝から下が開いちゃうんです、と。
んでその話はちょっと横に置いときますね。その結果がどうなったか、よりも先に・・・。
僕はゆがんでる姿勢そのものを矯正すべき悪だとは見てないんですね。
歪んでいない姿勢がベストだとしたら歪んでる姿勢はベターだと思ってるんです。
この方も片方の足を組むのはやりにくい、とおっしゃっていましたが、施術が終わるとどっちの足でも「組みにくい」ようになってました(体が整うと、どっちでも組みやすいんじゃなくてどっちでも組みたくなくなる、んですね)。
足を組む癖は骨盤を歪めますよ~、てよく言われますけど、僕は歪んでるときは足を組む癖はベターな状態だと思ってたりするんです。
そのベターであるメリットがなくなったときに、足を組みたくなくなるベストな状態に戻るんであって、すでに組みたいときに組まないように努力するのは、ベターな策を選択してないことになるんじゃないか、と。うーん、ややこしいですね(苦笑)。
たとえば、おなかが痛いときは自然と体が丸くなります。これって猫背ですよね。猫背は悪いですよね?じゃあ、せすじを伸ばしましょう・・・。
って、お腹が痛いときは背中を丸くしてるのは、ベターな選択でしょ、ということなんです。
で、お腹の痛みがとれたときに、せすじを伸ばせばいいじゃないですか、と。
だから歪んでる姿勢はすでにベターな状態にある、と考えて、なにがどうなったときにその歪みがあることがメリットとなり得るのか、って想像してあげるんです。
歪み=悪。悪は矯「正」すべき、というのはある意味、体の叡智に真っ向勝負を挑むようなもんじゃないのかなあ、って思ったりするんですよ。
今日もありがとう。
んでその話はちょっと横に置いときますね。その結果がどうなったか、よりも先に・・・。
僕はゆがんでる姿勢そのものを矯正すべき悪だとは見てないんですね。
歪んでいない姿勢がベストだとしたら歪んでる姿勢はベターだと思ってるんです。
この方も片方の足を組むのはやりにくい、とおっしゃっていましたが、施術が終わるとどっちの足でも「組みにくい」ようになってました(体が整うと、どっちでも組みやすいんじゃなくてどっちでも組みたくなくなる、んですね)。
足を組む癖は骨盤を歪めますよ~、てよく言われますけど、僕は歪んでるときは足を組む癖はベターな状態だと思ってたりするんです。
そのベターであるメリットがなくなったときに、足を組みたくなくなるベストな状態に戻るんであって、すでに組みたいときに組まないように努力するのは、ベターな策を選択してないことになるんじゃないか、と。うーん、ややこしいですね(苦笑)。
たとえば、おなかが痛いときは自然と体が丸くなります。これって猫背ですよね。猫背は悪いですよね?じゃあ、せすじを伸ばしましょう・・・。
って、お腹が痛いときは背中を丸くしてるのは、ベターな選択でしょ、ということなんです。
で、お腹の痛みがとれたときに、せすじを伸ばせばいいじゃないですか、と。
だから歪んでる姿勢はすでにベターな状態にある、と考えて、なにがどうなったときにその歪みがあることがメリットとなり得るのか、って想像してあげるんです。
歪み=悪。悪は矯「正」すべき、というのはある意味、体の叡智に真っ向勝負を挑むようなもんじゃないのかなあ、って思ったりするんですよ。
今日もありがとう。