お客さんが東京におられるときに、著名なスピリチュアルカウンセラーに転職について相談したことがある、という話になった。
彼のスピカウ(略してます。面倒なので)のたまわく「転職してもしなくてもどちらでも良い。どっちにしても、守護霊さんがちゃんと守ると言ってるから」、、みたいなニュアンスを伝えられた、とか。多少、僕の脚色も入ってますんでね。
ちなみに、料金は3万円。
「どっちでもええ、というカウンセリングに三万円???」
と思われましたか?
ですよね?
でも。
もし、本当に守護霊さんがそう言ったのなら、その通り伝えて良いわけで。良く考えたら、この人はすごく守られてる、と言うわけで(ちょっと『北の国から』風に。ばかやろぇー)。
話は変わりますが、とある療法に「検査をして、その日に異常がチェックされなければ(体が外からの刺激、施術を欲していなければ、という意味です)、施術はしない」というところがあります。本人さんが違和感を訴えてても、それは過程であり、その過程を邪魔しない、と。だから、腰痛であろうと、なんであろうと、そのまま帰しちゃう。
これ、二つとも、非常に勇気がいることですよね?
スピカウがどんなものであれ、本人が迷ってるんだから、こっちに行け、とアドバイスをしてあげたほうが安心する、納得もする。
痛い、と言ってそこに来たんだから、異常があろうとなかろうと、「やってあげたら」本人は満足する。
そこを堪えて、、、、。
本人の為になるかどうか、という基準をもっているからこそ、できるんでしょう。
ええ、僕にはできません(キッパリ)。
それができてたら、こういう職業は選んでないですって。
痛みをとってあげてから、「本当はね」と言ってあげてもいいわけで。
でも、治る過程を邪魔しない、それはすごく大事なこと。それは、わかる。
でも、でも、今、治療院に来た、ということは、今やれば治る時期に来たんだ、と。
そう信じて。過程を邪魔しない療法。背中をそっとおしてあげるような療法。それが、、、。