ぱぐぱぐ通信

環境にわるいペットボトル飲料を買わないジョー・てるりんの絵日記みたいなものです。

タイトルを変更

2011年03月31日 14時15分12秒 | ささいなことですが
タイトルその他を変えてみました。

「ぱぐぱぐ通信」というのは、

ちびちくりん1号が生まれたのを記念して創刊した家族新聞の名前です。

数年間は、年4回ほどずつ発行していたのですが、

引っ越ししたころから休刊状態になっていました。

というわけで、これを機に復刊です。


内容のほとんどがてるりんの絵日記みたいなものです。

お許しください。



あんずさん

そうですか、ヒコ君にも似たような過去があったんですね。

こうしてミニバスの魔力に子も親も引き込まれていってしまうんですね。

でも、それがよかったりして^^




ふんちゃんさん

ほんとに監督さんの言葉は「魔法の言葉」でしたよ。

てるりんも、できるだけ多くの魔法の言葉を選手に使いたいと思っています。



BARAさん

「夕彩」はBARAさんの作品だったんですね。

一応は会場の人に断ったのですが、このブログで使わせてもらっています。

あの大作の前で、しばらく眺めていたのを今でも覚えています。

ことしの展示会にも足を運ぶつもりですので、

会場でお行き会いしたらよろしくお願いしますね。




モトママさん

てるりんはわがまま放題の父親です。

なので1号~3号も、みんなわがままです。

夕食の時なんぞ、だ~れも人の話なんか聞いちゃいません。

自分が話したい人たちばかり。なので一番小さい3号は

「私がしゃべれない~」といって、

涙を流しながらご飯を口に運んでいます。

「浜松相生ミニバスケットボールスポーツ少年団女子」解団 そして…

2011年03月28日 15時45分59秒 | バスケット
長い間皆さまに応援いただいた

「浜松相生ミニバスケットボールスポーツ少年団女子」が

解団するはこびになりました。

そして、お隣で活躍してきた「飯田ノーティドッグス」さんと合併し

新しく


「浜松相生飯田ファルコンズ」


として出発します。


そんなわけでこのブログのタイトルも変更します。

ほんとうに今まで、ありがとうございました。






相生ミニバスとの出会いは、転勤で愛知県が引っ越してきた7年前の6月にさかのぼります。

引っ越してすぐに長女のちびちくりん1号(当時はホントにちびでした)が、

なかなか新しい環境に慣れずに、学校に行かれませんでした。

しばらくして次女のちびちくりん2号が「ミニバスケットボールをやりませんか」

と書かれたチラシを持って帰宅しました。

2号は「なんだか楽しそう」とうきうき気分です。



体験入団の日に、2号だけでなく、母親から離れられない1号も、

母親の手をしっかりとつないでついて行きました。




そこで事件が起こったのです。



体験入団の子どもたちを見ていた監督さんが、リングにボールが届くか届かないかといったような

シュートを打っていた1号に向かって「お、お前、うまいなあ」と言ったのです。


この言葉がよほどうれしかったのか、

体験入団の期間が終わると、本格的に入団したのです。

不思議なことに1号は、学校には行きませんでしたが、

ミニバスの練習には出かけていきました。


当時の相生ミニバスチームは団員が少なく、解散の危機でもあったようです。

少しでも多くの団員を増やそうと、監督さんは1号をほめてくれたと思うのですが、

まんまとそれが功を奏して、団員となってしまいました。


そんな1号ですが、10月ごろからは学校に行けるようになりました。

もちろん、ミニバスだけのおかではなく、1号が学校に行かなくても行かなくても、

毎日、お迎えに来てくれる近所の「なっちゃん」も、忘れてはいけない人です。


そんなかんので団員も増え、1号の同級生も多く入団し、

4年生の時にはミニバスの「4年生大会」で優勝することができました。


1号が5年生になった時だったでしょうか。ある大会の祝勝会を近所の居酒屋でした帰り道のこと。

監督さんが「全国大会に行きましょう」と言いました。



運動も勉強も苦手で、大会への出場経験の皆無のてるりんにとっては、驚きの言葉でした。

ましてや「全国」ですよ。

この「全国大会」という言葉の響きに魅せられてしまいました、わたしは。



しかし、浜松に引っ越して3年目。そろそろ会社の人事異動の季節です。

てるりんの家族は「お父さんが異動するところに一緒に引っ越すぅ」と言ってくれていました。

うれしいのですが、半面、また「新しい環境になると、1号が学校へ行けなくなるのでは」

という不安と

「転校すると、相生ミニバスと離れなくてはいけないから、全国大会に行けなくなるのでは」

という心配が心をよぎります。


そこでてるりんは一計を案じました。

「そうだ。浜松に家を建ててしまおう」と。

そうすれば、今の学校にず~っと通えるから、不登校にはならないだろう。

相生ミニバスのメンバーでもいられる。



で、家ができちゃったわけです。

なので、この家の三分の一ぐらいは、監督さんが建てたようなものなのです。


そして1号が6年になり、2号が5年生、3号が3年生の3月、

指導者と選手、保護者などチームが一丸となって、念願の全国大会に出場することができました。




てるりんだけでもこんなに思い出がある相生ミニバス。卒団した選手やその保護者の皆さんも、

もっともっとたくさんの思い出を持っていることでしょう。



相生ミニバスは解団しますが、浜松相生飯田ファルコンズが伝統を引き継ぐようです。

てるりんはこれからは、ファルコンズの応援をすることにします。


みなさんも、ファルコンズをよろしくお願いします。



追伸

1号が2年の時に「お、お前、うまいなあ」と言ってくれた監督さんですが、

その後、確認すると「ん? 言った覚え、ないなあ^^」。


やはりあの言葉は、団員を増やすためだったんですね、監督さん。^^。


でも、ミニバスと監督さんと「なっちゃん」には、ホントに感謝しています。


大人の扱いがうまい3号

2011年03月17日 14時46分07秒 | ささいなことですが
ちびちくりん3号が通う小学校でも募金活動をするそうです。

バスケの練習から帰ってきた3号が

「ねえ、お父さん。明日でもあさってでも離任式の日でもいいんだけど、

学校で募金活動するんだって」

と上目づかいに言います。


きっと昨夜の1号、2号とてるりんの話を聞いていたのでしょう。

「おねえちゃんは、お小遣いを足して募金したみたいだから

私もそうしよっと」

などと言っています。



「3号よ、お前も知らず知らずのうちにに大きくなったなあ」

と心の中でおもうてるりんです。

でも、もしかすると、3号に心を見透かされているだけかもしれません。


こんなちびのうちから大人の扱いがうまくなって、どうするんだ…。

そう分かっているとしても、財布を広げてしまうてるりんです。

「明日、500円を持っていく」

2011年03月16日 18時52分57秒 | バスケット
ちびちくりん1号と2号が帰宅するなり

かばんも置かずに「明日、学校へ500円を持っていく」

と言いました。

被災地への募金だそうです。


実はその日の昼間、静岡市で募金をしたてるりんですが

恥ずかしいことに、募金額は子供たちより少なかったのです。



おばあちゃんに手をひかれ、よぼよぼと歩くおじいちゃんが、

震える手で1万円札を募金するのも見ました。


てるりんももう一度、募金を1号と2号にたくしました。



福島県にはてるりんの親友の一人が赴任しています。

大船渡市には妻の親友のおばあちゃんが暮らしているそうです。

今はまだ、募金をすることぐらいしか思い浮かびません。

お許しください。





あんずさん


てるりんは、できることしかやれません。

でも、できることは続けたいと思っています。





ミニバス卒業記念大会   主催者も地震に言及

2011年03月14日 15時59分23秒 | バスケット
ミニバスを好きな6年生に思い出をつくってもらう

「卒業記念大会」がありました。

6年生が少ない団体はほかの団体と合同チームをつくります。


ふだんはライバルのチームが一緒に戦ったり、

フリースロー大会があったりと楽しい大会。

6年生の選抜チームと、各チームの指導者でつくる即席チームとの対戦もあり

会場には6年生選抜チームを応援する声が響き渡りました。





「浜松相生」は「飯田ノーティドッグス」と合同チームをつくりました。


計8チームができ、4チームずつのリーグ戦を展開します。


「浜松相生飯田」は、1試合目に相生のユニホームを着て、

2試合目は飯田のユニホーム。

そして3試合目はというと、ファルコンズのユニホームが初登場です。

わけあってこの2チームは4月から合併するそうです。

というわけで新チーム名が「ファルコンズ」。


前日に五社神社でユニホームの必勝祈願をしたおかげか、





(新ユニホームは鏡の前の段ボール箱に入っています)

3勝することができました。


あ、ちがった。3勝したのは

必勝祈願のおかげじゃなくて、選手たちの頑張りの成果です。






閉会式で主催者がこう言っていました。


「東北で大きな地震が起きました。そちらでは電力や食料がたいへん不足しています。

みなさんもおうちに帰ったら、節電などに協力してください」





寝る前のこと。

トイレに座ると便座がひやっと冷たい。

妻は、てるりんが暖房便座の電源を切ったと思っていたらしい。

というのも、「300年後の子供たちのために石油を残そう」と決め、

ペットボトル飲料を買わず、なるべくコンビニで買い物をしないてるりんは、

暖房便座が我が家に来たばかりのころ、毎晩のようにスイッチを切って、

翌朝に家族からひんしゅくを買っていたからです。



今回はちびちくりん1号が切ったのでした。

「てるりんの思想が伝わったか」と少しうれしかったのですが、

聞いてみると「女性の大臣が、ふだんあんまり使わない場所の電気はきってほしいって言ってたから、

スイッチを切ったよ」とのことでした。


でも、「実際に行動に移すだけ立派」と、ふとんの中で本を読んでいる1号に、

小さな声で言いました。



2号と3号も

「早く寝れば電気を使わないね」と言って

早寝していました。

こちらの二人は、宿題をしたくなかっただけかもしれませんが。



ちゃんちゃん。






地震

2011年03月11日 21時59分39秒 | ペット
被害が甚大のようです。

被害に遭った地方の、一日も早い復旧を祈っています。



てるりんの家では夕食後

「災害で離ればなれになったら

落ち合う場所は小学校のグラウンド」

と話し合いました。



地震発生時の時にてるりんがいたのは、とある学校の卒業式の会場。

来賓のみなさんはステージから避難していました…

座席の卒業生と在校生はそのままで…


いえいえ、どうということはないのですが、

ちょっとだけ違和感を覚えました。

映画 「太平洋の奇跡」

2011年03月09日 23時44分13秒 | おすすめ
太平洋戦争末期のサイパン島が舞台。

47人の日本兵を率い、150人近い民間人を兵士とともに助け、

圧倒的多数の米軍に対し抵抗を続けた大場栄大尉(愛知県蒲郡市出身)

を、竹野内豊が好演しています。

「死」を極端に美化することもなく、人間の矜持を感じさせます。


☆☆☆☆★


意外だったのは、観客の三分の一ほどが70歳以上と思われる人たちだったこと。

「当時を知っている人たちなのか」と思えば当然なのかもしれませんが、

普段のTOHOシネマズの雰囲気とは違いました。




本 「正午派」(佐藤正午著)

2011年03月01日 20時20分31秒 | おすすめ
「永遠の2/1」でデビューした佐藤正午のエッセーや、これまでの経緯を振り返る本。

映画「Y」の脚本が秀逸です。

人生を少しずつやり直す男が主人公。時間軸が周囲と少し食い違い、

混乱しそうになりながら、さいごにすっきりとまとまります。



記憶が5分間しか続かない男を描いた映画「メメント」や、

フィリップ・K・ディックの「模造記憶」につながるものがありそうです。



佐藤正午の本は「永遠の2/1」や「王様の結婚」などを20年ほど前に読みました。

青春や、夢に燃える青年時代をさらりと描いていて好感が持てます。


☆☆☆☆

あしあと