日本裁判官ネットワークブログ

日本裁判官ネットワークのブログです。
ホームページhttp://www.j-j-n.com/も御覧下さい。

生きとし生けるもの

2009年10月11日 | Weblog
 
   この星に なべて生きとし生けるもの 
        ホモサピエンスのエゴにをののく
 「生きもの地球紀行」のような番組を見ると、必ず最後に出てくるのが、開発に脅かされる生態系の危機だ。
 人類はあまりに増え過ぎたことによって、人類以外のすべての生物を滅亡に追いやり、ついには自滅の道を歩むというシナリオから逃れられない運命を背負っているのか。                                  
 およそ生きとし生けるものは例外なく、生存のために他者の生命を奪わざるを得ない。
 わが欲するところの善はなす能わず、欲せざるところの悪はなさざるを得ないという認識の苦汁を、誰も避けることはできない。
 そういう原罪の自覚なくしては、正義を語ることも、人権を唱えることも、無用なのではないか。

 宮澤賢治の「よだかの星」では、鳥のよだかが虫を餌にして生きることの罪悪感に苦しみ、もう何も食べないで死んでしまおうと思い詰める。
 実は鳥が虫を食べなかったら、地球は虫だらけになってしまい、虫も食べるものがなくなって自滅するはずだから、よだかが悩むことはないのだが、この話は読むのが辛い。
 同じ作者の「註文の多い料理店」は、猟銃で鹿を追い回して楽しむ身勝手な人間どもが笑いの対象にされる話で、好きな作品の一つだが、ここに登場する二人の紳士たちが、人類のうちで特に罪深い訳ではなく、われわれは、自らの手で動物を殺さないとしても、大規模な食肉産業にそれを代行させていることをけろりと忘れ、動物愛護を語りながら、肉料理、魚料理を楽しむことを常としている。
 こうしてわれわれを養ってくれる鳥獣や魚類が、皆、迷わず成仏して、人類の罪を許してくれたらと、虫がいい願いが浮かぶ。
 鰻の蒲焼に目がなかった斉藤茂吉は、
「これまでに吾に食はれし鰻らは 仏となりてかがよふらむか」と歌っているが、やはり鰻に成仏してもらいたかったのであろう。

 小泉さんが以前におっしゃったとおり、「人生さまざま」だ。
 97年11月2日、NHK教育テレビの「いのちの時代」の時間に、バス事故で重度の障害を負った随筆家の大石邦子が、「いのちについて考える」という題で語った番組の録画を見た。
 22歳だった64年9月17日に事故にあってから5年間、尿を出す機能が働かず、導尿管を通じてしか排泄できないのが死ぬより辛かったという。ようやく管を通さずに初めて尿が出たときの思いを「失禁といへども遂にわが尿(いばり) 出でしにベッド打ちて泣きしよ」と表白する。
 こんな苛酷な運命と向き合う人生があると知らされる度に、この年まで安泰に生かされてきた己の果報を、何の功徳あってかと思い惑う。

 臓器移植という難問もある。
 当事者ではない者が、かれこれとあげつらえることではないが、一つの命を救うために外の誰かの死を待たねばならぬというdilemma の重さ。

 最近のクローズアップ現代で、ALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者が、自分の意思を表現する方法が全く失われる状態になったら、人工呼吸器を外してほしいと訴えていることが伝えられた。病院は倫理委員会を設けて1年間にわたる討論の結果、患者本人の意思を尊重すべきだという画期的な判断が示された。
 しかし現行刑法では、呼吸器を外すと医師が自殺幇助罪等に問われる可能性を否定できない。
 これも、いつ自分の問題となるかも知れぬ。
 フランスのジョスパン元首相の母は、世のため、人のために尽くし続けた一生の終りに近づいて、延命医療を拒否するため、自ら死を選ぶ力が残っているうちにと、わが手で人生の幕を閉じた。
 まねられるとは思わないが、そういう終り方があってもいい。




 



 

兔走烏飛

2009年10月11日 | Weblog
 長らくご無沙汰してしまったので、多分もう往生したのだろうと思われてはいないかと気になり始め、まだ生きていますとお知らせするつもりで、実名で投稿させていただきます。                      山田 眞也

 3月に鴨川市の亀田病院に10日ほど入院して前立腺を摘出する手術を受けた。結果はすこぶる順調で、尿が出にくいという永年の悩みから解放され、それまで前立腺腫瘍マーカーが異常に高かったことから、前立腺癌の疑いが濃いと言われてきた不安も、すっかり消えて、寿命が延びた思いを味わったのだが、その経験をblogに書こうと思いながら、つい書きそびれたきり、blogを綴ること自体が億劫になり、そのうち「あれよあれよ」という間もなく、半年が過ぎてしまった。
 年を取るほど時の流れが速くなるのは、同じことをするのに手間がかかるようになり、以前は半日でできたことも一日仕事になるせいだと、誰かに教えられたが、それが誰であったかも、もう思い出せない。
 この半年のうちに自民党幕府があっけなく倒れ、以前の筋書きでは小澤内閣が取って代るはずだったが、「西松があって鳩山新総理」と冷やかされる鳩山内閣が誕生した。それが日本のために幸いであったかどうか、誰にもわからない。小澤さんや鳩山さんにも、多分わからないだろう。とにかく願うのは、政権の舵取りが誰であれ、自民党に匙を投げた国民が、changeを選んだことが間違ってはいなかったと思えるような、それなりの結果を出してくれることだ。
 (今年の1月16日付のblogには、こんなことを書いていた。「安倍がこけ 福田もこけた永田町 麻生こけたら誰が四人目」。私としては、「小澤さん、しっかり頼みますよ」と言いたい。「死んでください」というのと同じにならなければいいが。」 そう書いたときには、鳩山政権の誕生などは、まるで予想できず、もし小澤首相が実現したら、この人は長くは持たず、殉職してしまうのではないかと心配していた。)

 亀田病院に入院する前日の3月3日に、小澤さんの秘書が逮捕された。
 当時の日記を開いてみると、「小澤一郎が秘書の逮捕について検察の意図への疑問をほのめかす発言。民主党は麻生の不人気が頼み。自民党は小澤の勇み足が頼み。」と記していた。
 病院では太平洋に面した南側の個室に入ることが出来、ホテルにいるようなゆったりとした環境で、前立腺の肥大が甚だしいために、開腹手術を受けたのだが、麻酔術の進歩のおかげで、手術後の痛みも最小限に抑えられた。
 ちょうど窓から見下ろせる海岸に、救急ヘリコプターが着陸する場所があり、空から患者が運ばれてくるのを目にする機会もあった。
 「まんぼう」という名の図書室で、村上春樹の「ノルウェイの森」などを借りて読むうちに、無事回復して退院することが出来た。
 PSAが20を超えるという縁起でもない数値が出ていたのに、癌ではなかった。
 運がよかったと感謝するほかはない。

 9月の半ばに、鎌倉市御成小学校の同級生男女合計十数人が、クラスで一番の有名人となった養老孟司君が箱根仙石原に建てた養老山荘に集まり、近くのホテルで一泊する催しがあった。
 養老先生は依然として多忙を極め、スケジュールにほとんど空きがないという。お母さんが90歳を超えても現役の町医者を続けていたのだから、長寿の遺伝子を受け継いでいるのだろうが、元気なことだと感服した。
 養老家には「まる」という名の猫がいて、新聞でも紹介されていたので、その近況を尋ねたら、「養老孟司先生と猫の営業部長 うちのまる」という表題の堂々たる写真集をくれた。著者有限会社養老研究所、発行所ソニーマガジンズとある。
 この猫は、養老家のご息女暁花(あきか)さんが、スコティッシュ・フォールドという種の猫がおだやかで愛らしく、扱いやすいと知って、ネットでブリーダーのSITEを探し、写真が気に入った仔猫を見ようと、はるばる奈良まで出かけて、即座に「これがいい」と決めたが、引渡しを受けるまでに、想像を絶する速さで大きくなってしまった猫だそうだ。
 今では体重が8キロぐらいありそうで、いかにもメタボの心配がありそうな猫だ。
 18年生きた先代の猫は、なかなかのハンターだったのに、「まる」は、そういうことは絶対にせず、木にも登らない。「こんな、たるんだ猫は初めてだ」と孟司君は言う。
 「まる」の仕草をみていると働く気が失せるとこぼす一方で、動物がそばにいるだけで気が休まると語る。そう感じるのが彼の天性だろう。
 「何よりいいのは、人間世界の価値観が動物には通用しないことである。儲かった、損した、出世した。仕事に失敗した。そういうことは猫には無関係。この世の損得、吉凶を忘れるのは、動物を相手にしているときである。」 以上、この本の63ページからの引用。
 
 むかしはサルも飼われていたのを思い出して、「どんな名前だった」ときいてみた。
 モモちゃんという名前で、大船の撮影所で用済みになったのを引き取ったのだそうだ。
 やはり誰もが動物好きな家族だったのだろう。このサルは、同時に飼われていた仔猫が気に入って、仔猫がそばにいると、すぐに抱こうとして、猫が逃げようとしても離さなかったそうだ。

 養老山荘は、積もりに積もった昆虫の研究資料の置き場であるらしい。
 多分、いつかは昆虫博物館を建てたいというのが宿願なのだろうが、今ある資料を整理するだけでも、当分死ぬ暇はあるまい。同級生の名簿を見ると、むろん全員が健在ではないが、結構しぶとく生きながらえているようだ。
 今度の集いにも参加した鎌倉市在住の書道家吉田春翠さんなどは、養老先生にも引けを取らぬパワー全開の活躍ぶりで、大いに充実しているらしい。

 9月の末近くに、わが家にまた新参の仔猫がきた。メスの三毛猫で、やたらに元気がよく、家中を走り回り、大きさが倍以上もある先輩のキキにもちょっかいを出し、背中に飛び乗るお調子者だ。
 4月21日にプードルのラッキーが、あっさりと往生してしまったので、猫と犬が2匹ずつになった。
 大型犬のチロはすでに高齢だが、もう1匹の犬ゴンタと猫2匹は、まだ10年ぐらい生きそうである。
 
 今から20年後の2029年4月13日の金曜日に、アポフィスと名付けられた小天体が地球にただならぬ近づき方をし、無事には済まないかも知れないと言われている。
 20年後に自分が生きている可能性は低いはずだが、最近震災が相次いでいることからしても、ジタバタしても来るものは来るに違いない。
 6500万年前に隕石の落下が恐竜の絶滅を招いたという説が正しければ、その大災害のおかげで哺乳類の天下が始まり、ホモ・サピエンスの文明が現実となった。人類はわずか数百万年前に地上に現れたばかりで、その後の地球に天変地異が起きていないおかげで今や70億人に近い人口があふれる状態にまでなったが、いくら人類がうぬぼれても、所詮は猫が昼寝をしている間にネズミが宴会を開いて盛り上がっているようなものではないか。
 とにかく今日一日をおだやかに過ごし、明日もかくあれかしと願う。
 老いも若きも、人間にできるのは、結局それだけではないか。
 









 

秋の夜長

2009年10月04日 | ムサシ
1 秋分を過ぎて,昼より夜の方が長くなり,「秋の夜長」の季節になった。秋の夜長を読書三昧で過ごすのが長年の願望ではあるが,なかなか実現しそうにない。しばしば衝動買いする本は,読まないままに増えてゆく。この本をいつか読み終える日がくるのだろうか。

2 時間がなくてと言いながら「読みたい!読みたい!」と言うような人は,案外本当の本好きではなく,「ひま人」になると,余り読みたいとも思わず,読まない人になるのではあるまいか。本の好きな友人を見ていると,たとえどんなに忙しくても,工夫して時間をやりくりして,少しずつでも読書して,いつの間にか沢山読んでいるような気がする。忙しいときには,できないゆえにあれもこれもやりたいと思うけれど,暇になると,何もしたいと思わない人になりそうで,いささか不安ではある。

3 「しらたまの 歯にしみ通る 秋の夜の 酒は静かに 飲むべかりけり」(若山牧水)という歌もある。飲酒しながらの読書というのも「おつ」ではあるが,気がついたら「ヘソ天」で寝ていたというのでも困ったものだ。美味しい冷や酒をコップ1杯程度に抑えるのがよい。おいしいワインのワンカップはないものなのか。売れそうな気がするが。

4 あるザレ歌にこんなのがある。「秋の夜を ひたすら眺む 六法に 恋という字の 見いでざりけり」。これには返歌がある。「民法典 七〇九条に コイという 文字のありけり 嬉しくもあるか」。この「コイ」は,「恋」ではなく「故意」である。これは「故意または過失に」よる不法行為の損害賠償に関する規定であって,味もソッケもない話ではある。私の記憶では,これは随分前に「法学教室」という雑誌が創刊されたころ掲載された学者どおしの遊びザレ歌であったと思う。こんな話を面白いと感じるかどうかは,その人の感性でかなり違うに違いない。

5 「学問の さびしさに耐え 炭をつぐ」(山口誓子)という句がある。山口誓子は確か大学の先生だったような気がする。これは秋の夜長というよりも,寒い冬のことであろうか。これをもじって「学問の さびしさに耐えず 酒を飲む」と読んで,酒を飲む口実にしていた学生はどこの誰だったか知らん。

6 少し趣は変わるが,「多摩川の 砂にたんぽぽ 咲くころは  われにも想う 人のあれかし」(若山牧水)という歌を知って,その歌に憧れ,「将来の恋に備えて勉強を頑張ろう。」と思ったことがあったが,それは大学1年生の秋の夜長のころだったような気がする。もっとも,憧れていた恋が実現したのは,多摩川の砂にたんぽぽが咲くころよりも,ズッとズッと後のことであった。(ムサシ)


土井正三さん

2009年10月01日 | 瑞祥
土井正三さんが先週亡くなった。享年67歳。心からご冥福をお祈りする。

私は熱烈なドラゴンズファンなのだが,実は,元巨人ながら,土井正三さんの昔からの隠れたファンである。もちろん,元中日のセカンド高木守道さんのファンでもある。私は,中高時代野球部に属し,はるかに遠かったものの,日本の片隅の田舎で甲子園を目指していた。その野球少年の私は,誕生日が6月28日で土井さんと同じ,背番号も6で中学時代の私と土井さんは同じ(私はショートだった),高校の守りはセカンドで2番バッターという地味な役回りをしていたのも土井さんと同じで,私は土井さんが何故か身近に感じたのだった。いぶし銀のような仕事には,ほれぼれしたし,ONとはまた違った魅力を感じたものである(ONももちろん好きである。)。実は,土井さんとコンビを組んでいた黒江選手も大好きだった。本当にドラゴンズファンなのかと疑われそうだが,正真正銘のドラゴンズファンである。それだけに,今日の立浪引退の記事は切なく,夜は一杯やりながらこのブログを書いているのである。

土井さんや立浪選手の記事を読むと,自分の少年時代や青春時代が遠くになるのを感じる次第である。