NHKのHigh Vision で、「華麗なる宮廷の妃たち ― 西太后 ― 」を見て、独裁権力を握り、「垂簾聴政」を布いていた西太后が、日々決裁を求めて山積する案件の中から、ある刑事事件の一件記録に目をとめ、「この裁判はおかしい。調べ直せ」と命じた結果、妻が隣人と密通し、共謀して夫を毒殺したとして、死刑を宣告されていた男女二人の罪が無実と認められ、大勢の役人たちが裁判を誤った責任を問われて処罰されたという話が出てきたことに、本当かと驚いた。
危うく死刑を免れた女は、通称小白菜、本名畢秀姑、巻き添えにされかけた隣人の男は楊乃武で、小白菜の夫は病死していたのに、毒殺を疑った官憲が残酷な拷問を加え、二人を冤罪に陥れたという話のようだ。
中国では、この話は「清末四大奇案」の一つとされ、何度も映画やTVドラマになっているのだそうだが、露知らぬことだった。
西太后は国を破滅させた悪女の代表とされるのが常で、内外を通じてすこぶる評判が悪いが、この「華麗なる妃たち...」では、最近の中国で、これまで世の爪弾きにされてきた西太后の縁者たちが、ようやく内輪だけに伝えられてきた通説とは異なる話を語り始め、もっと客観的に新たな評価を促す史料も発掘されはじめたことが紹介されている。
番組の画面に登場して語り合うのは、中公新書の評伝「西太后」の著者で明治大学教授の加藤徹氏、精神科医の名越康文氏、脚本家の田淵久美子さん、女優の國生さゆりさんの4人で、真っ先に國生さんが、「この人大好き」と、過激とも思われる発言をする。
もっともこの番組を見ても、西太后が庶民や弱者への思いやりを示す人であったというような話が出てくるわけではないが、皇帝の気まぐれ次第で浮き沈みする当時の後宮の女たちが、お召しがかからずに終れば一生飼い殺しにされる運命にさらされていたことを知れば、西太后も本来はもっとおだやかに生きられたかも知れないのに、生き残るために手段を選ばない夜叉への変身を環境が強いたという見方を受け入れ易くなる。
彼女は、たまたま咸豊帝に気に入られ、男児をもうける幸運に恵まれたのだが、帝の死後、数え年の27歳で寡婦となった後、わが子を帝位に就けるために、宮廷の海千山千の大臣たちを向こうに回して、食うか食われるかのクーデターをやってのけ、最大の危険人物に有無を言わさず謀叛の罪を着せて処刑してしまい、まさに修羅場を走り抜けて、絶対権力を掴み取った。
それから始まった彼女の治世が何をもたらしたか。けなす種はいくらでもあり、ほめるべき点を見つけるのは困難であろうが、加藤氏の評伝は、植民地化の危機を前にして、よく頑張ったと言える部分もあろうとして、見直しを促しているようだ。加藤氏は、彼女が負わされた悪名についても、多くは事実無根だとしている。しかし、彼女の悪名を決定的にした「珍妃の井戸」事件については、さすがに歯切れがよくない。
北清事変で連合軍が北京に迫り、宮廷が右往左往の混乱に陥ったとき、西太后は光緒帝の最愛の妃とされていた珍妃が、紫禁城からの脱出を拒否し、ここに踏みとどまると言い張ったことに激怒し、衆人の面前で珍妃に自害を迫り、色を失った珍妃の命乞いにも耳を貸さず、宦官に命じて井戸に投げ込ませたというのが、「珍妃の井戸」事件だ。
西太后一人の怒りの前に、その場にいた光緒帝以下全員が震え上がり、誰も止め立てせずに珍妃を見殺しにしたという。あまりにもひどすぎ、ほとんど理解を絶する話で、「中国とは、こういう国だ」と決め付けたがる議論には誂え向きだ。
日本では、皇室は言わずもがな、徳川将軍家でも、さらに昔の権力者たちにも、こんなむちゃくちゃをやってのけた実例は、まずあるまい。これほどな権力の暴走が、まかり通ってしまう国柄は、今、どれほど変ったか。
それはさておき、冒頭で触れた冤罪事件に関連して、名越氏は西太后の頭の冴えを高く評価し、恵まれた天性の直感力に、さらに磨きをかける努力をした人であったから、記録にさっと目を通しただけで、あやしいと気づいたのだろうと言う。
手続法などに縛られない時代の独裁者だったから、あやしいという勘だけで突き返せたのだと、現代の裁判官は言うだろう。
むろん、それはそのとおりだ。
ただ不評山積の敵役に、まじめな為政者を顔を見出すのも、人間の営みの複雑さを学ぶよすがとなろう。
とにかく、知らずにいたことをせっかく知らされたので、忘れないうちに記しておく。
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