日本裁判官ネットワークブログ

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8月12日

2009年01月18日 | 守拙堂
 去年の夏に個人BLOG「井蛙通信」に投稿した拙文です。
 こんなBLOGを読んでくれる人は、一桁かせいぜい二桁だが、ネットワークに貼りつけば、もっと遠くまで行けると思うコバンザメ。お目こぼしください。

            守拙堂(粗忽堂さんをまねて、こう自称しておきます)                              

 あの日から、23度目の8月12日がきた。
 運命の日航123便。あの事故が、機体の損傷によるものだったとすれば、事故は前のフライトで起きていたかも知れず、次のフライトで起きたかも知れない。直前のフライトで無事に地上に戻れた乗客は幸運だった。おそらく、遭難したあの便にも、直前にキャンセルした乗客が何人かはいたであろう。そのキャンセルをよろこんで代りに乗り込んだキャンセル待ちの人もいただろう。そうして命拾いした人は、代りに命を落とした見知らぬ誰かのことを思って、自分の幸運を誰にも語らないのではないだろうか。飛行機事故の場合には、おそらくいつも、そういう運命としか言いようがない、生と死の連鎖が潜んでいそうだ。自分には何の責任もないが、自分が命を拾ったために誰かが死んだ。そういうことは、むろん滅多に起きるはずはないが、誰の身に起きても、不思議はない。
 あの日、3人の娘をいちどきに失った人がいたという記事を読んだ。そこまで極端な不運ではなくても、家族を一人でも、こんな形で失うということは、
やはり誰の身にも起こり得ることではあるが、幸いに私の身内では起きていない。犯罪被害の場合も同じだが、被害者は、社会全体からみれば、常に顕微鏡でしか探せないほどの少数者である。むろん、そうでなくては困る。しかし、たまたま、宝くじに当たるほどの確率でしか当たらない不幸のくじを引き当ててしまった人の孤立感は、どれほど深いものであろうか。
 あの日、生き残った4人の中で、両親と妹を失い、一人だけ救出された少女は、今は30台の半ばとなったはず。社会の注目を避けながら、着実な人生を歩み、家庭の安らぎも得ているようだが、こういう百万人に一人ほどな運命を担わされた人の胸のうちを、われわれは、どこまで理解し、共感できるものだろうか。それは河野義行さんの場合も同じであるし、横田さん夫妻をはじめ、拉致被害の当事者や家族の皆さんの場合もそうであるはずだが、われわれ、平穏無事な暮らしに恵まれている世間並みの者に、この人々は何かを求め、何かを期待することがあるのだろうか。
 何千人、何万人分の災厄を一人で引き受けさせられたような人々は、常に、次から次へと生まれている。社会は、どうすれば、この人々を支えられるのか。そういうことを、昨日も今日も考えさせられる。
 世界に目を向ければ、弱者の苦患は絶えることがない。
 昨日の悲劇は今日の流血によって影が薄れ、明日はまた新たな災厄が人の目を奪うであろう。
 そういう思いを打ち消すように、世界人口60億人という数字が浮かぶ。
 ただ一種の生物が、地球上で60億もの個体を持つに至った。「生めよ殖えよ、地に満てよ」という祝福は、ここまでくると呪いだったのではないかとさえ感じられる。人類は自滅への道を歩んでいるのではないか。
 そんな想念は、また直ちに、オウム真理教の教義や、ナチスの思想につながりそうな気がする。
 飢えも、戦争も、ホロコーストも、人類が人口を調節するための、自動調整機能なんだという...
 われらの内なるヒトラーは、決して死に絶えはしない。

 月に何度かは通う鴨川市の亀田病院への行き帰りの電車内で、こんなことを
ずっと思い続けた末、余命告知という言葉が頭に浮かんだ。余命告知は、「されて困るし、されなくても困る」という身勝手な気持である。できれば、ずっと先のことであってほしい。しかし、今は安楽な暮らしだが、それもこれも、ツレが達者でいてくれればこそである。いくら長生きできても、自分だけ取り残されてはたまらない。それよりは、もう四、五年で迎えに来てもらった方がましかも知れない。今のところは、心がけるべきは、ただ足るを知ることに尽きる。河野さんや横田さんのことを思えば、不足は言えるわけがない。
 帰りの電車で、そういう思いを反芻しているうちに、つい眠りに落ちてしまい、二駅乗り過ごした茂原駅で目が覚めて、あわてて下車し、駅内の店で、イカ天そばをすすって、下り電車に乗って帰った。
 我が家では、暑さの中で、犬も猫も、ご安泰に昼寝をしていた。