毎日新聞-2018年1月27日 17時41分(最終更新 1月27日 18時44分)
ピンと立った三角の耳。くぼんだ額の横に、吊り上がった小さな目。北海道原産の天然記念物「北海道犬(いぬ)」だ。かつてアイヌ犬と呼ばれ、アイヌの人たちと生活を共にする犬だった。近年、携帯電話のテレビCMで知られるようになり、道外にも人気は広がっているが、頭数は年々減少。道内の保存団体などが地道に保存活動を続けている。
かつてヒグマ、オオカミなどが住む原生林に囲まれ、自然と共生していたアイヌの人々には、頼りになる相棒だった。獣を狩る際の猟犬として、住居を守る番犬として、高い能力があった。気性が強いが、辛抱強く賢い性格で、家族と認めた人間には忠誠心が強いといわれる。粗食で寒さに強い体は北海道に適し、生活に無くてはならない存在だった。
1937年(昭和12年)北海道犬と名称を改め、天然記念物に指定された。秋田犬、甲斐犬、紀州犬、柴犬、四国犬と並ぶ日本在来種の「日本犬」とされた。明治以降の開国で海外種の犬が輸入され、数少なくなる固有種の保存運動の一環だった。第二次世界大戦の混乱が追い打ちをかけ、戦後すぐには北海道犬の特徴を維持した個体は、ほとんど残っていなかったという。
51年(同26年)に道内に初めて保存団体が設けられ、本格的な保存事業が始まった。当時、北海道犬の特徴を残す犬は6地域に生存しており、「千歳」「岩見沢」「平取」「厚真」「渡島」「阿寒」の6系統に分類された。その後、6系統間の交配が進み、純粋な系統として残されているのは千歳系統のみ。保存団体が血統書を発行し、「北海道犬」と認定した個体が実際上、天然記念物として取り扱われている。
道教委や保存団体によると、子犬の出産数は71(同46)年に7061匹あったが、2015年は584匹と、10年間で約半減。成犬を含めた現存数は、仮に毎年生まれる子犬の半数が最低5年は生存したとして計算しても、約3000匹以上が現存すると推測されるが、「実際に調査をしておらず、分からない」(道教委文化財・博物館課)という。
近年は飼育家の高齢化のほか、住環境の変化で多くの頭数を飼えず、繁殖も難しくなってきているという。元帯広畜産大教授で、犬やオオカミの研究が専門の石黒直隆・岐阜大名誉教授は「現段階でさらなる保護や保存が必要な状況とはいえないものの、今後、対策を考えていく必要がある」と話す。
後世に残す活動
道内最大の保存団体「天然記念物北海道犬保存会」(柿木克弘会長、会員544人)は、北海道犬としての元来の姿と猟犬としての気質を後世に残そうと、活動を続ける。血統書を発行して系統を管理するとともに、骨格や顔つきなどの標準体型や猟に向く性格の基準を設け、展覧会やクマを相手にした獣猟競技会を開くなどして、普及に努めている。
総務部長の鈴木俊二さん(70)は現在8匹目のメスの「コロ」(登録名レプイコル号)を飼う。日課は昨年6月に亡くなったオスの「チッコ」(力秀号)の遺骨に手を合わせること。「みんな信頼関係が深い犬たちでした」と目を細める。犬の誕生日にはパーティーもするという。
テレビCMなどの影響でペットとしての人気も高まっているが、飼っても繁殖しない人も増えている。鈴木さんは「アイヌの皆さんの時代から、北海道の人間にとっては無くてはならない家族。若い人にもっと飼ってほしい」と話す。【梅村直承】
【ことば】北海道犬
日本犬の一地方種。体高50センチ前後の中型犬で、短い三角形の立ち耳や、口元が引き締まった精かんな顔つきが特徴。毛色は「白」「赤」「黒褐」「虎」「胡麻(ごま)」「灰」の6色。ルーツは諸説あるが、アイヌ民族が北海道に渡ってきた際に一緒に入ってきたとされ、本州の日本犬と違い、東南アジア系の犬と遺伝的に近いとされる。青森県の八甲田山で1902(明治35)年に199人が死亡した旧陸軍の雪中行軍遭難事件の救助活動に活躍し、全国的に知られるようになった。
https://mainichi.jp/articles/20180128/k00/00m/040/019000c
ピンと立った三角の耳。くぼんだ額の横に、吊り上がった小さな目。北海道原産の天然記念物「北海道犬(いぬ)」だ。かつてアイヌ犬と呼ばれ、アイヌの人たちと生活を共にする犬だった。近年、携帯電話のテレビCMで知られるようになり、道外にも人気は広がっているが、頭数は年々減少。道内の保存団体などが地道に保存活動を続けている。
かつてヒグマ、オオカミなどが住む原生林に囲まれ、自然と共生していたアイヌの人々には、頼りになる相棒だった。獣を狩る際の猟犬として、住居を守る番犬として、高い能力があった。気性が強いが、辛抱強く賢い性格で、家族と認めた人間には忠誠心が強いといわれる。粗食で寒さに強い体は北海道に適し、生活に無くてはならない存在だった。
1937年(昭和12年)北海道犬と名称を改め、天然記念物に指定された。秋田犬、甲斐犬、紀州犬、柴犬、四国犬と並ぶ日本在来種の「日本犬」とされた。明治以降の開国で海外種の犬が輸入され、数少なくなる固有種の保存運動の一環だった。第二次世界大戦の混乱が追い打ちをかけ、戦後すぐには北海道犬の特徴を維持した個体は、ほとんど残っていなかったという。
51年(同26年)に道内に初めて保存団体が設けられ、本格的な保存事業が始まった。当時、北海道犬の特徴を残す犬は6地域に生存しており、「千歳」「岩見沢」「平取」「厚真」「渡島」「阿寒」の6系統に分類された。その後、6系統間の交配が進み、純粋な系統として残されているのは千歳系統のみ。保存団体が血統書を発行し、「北海道犬」と認定した個体が実際上、天然記念物として取り扱われている。
道教委や保存団体によると、子犬の出産数は71(同46)年に7061匹あったが、2015年は584匹と、10年間で約半減。成犬を含めた現存数は、仮に毎年生まれる子犬の半数が最低5年は生存したとして計算しても、約3000匹以上が現存すると推測されるが、「実際に調査をしておらず、分からない」(道教委文化財・博物館課)という。
近年は飼育家の高齢化のほか、住環境の変化で多くの頭数を飼えず、繁殖も難しくなってきているという。元帯広畜産大教授で、犬やオオカミの研究が専門の石黒直隆・岐阜大名誉教授は「現段階でさらなる保護や保存が必要な状況とはいえないものの、今後、対策を考えていく必要がある」と話す。
後世に残す活動
道内最大の保存団体「天然記念物北海道犬保存会」(柿木克弘会長、会員544人)は、北海道犬としての元来の姿と猟犬としての気質を後世に残そうと、活動を続ける。血統書を発行して系統を管理するとともに、骨格や顔つきなどの標準体型や猟に向く性格の基準を設け、展覧会やクマを相手にした獣猟競技会を開くなどして、普及に努めている。
総務部長の鈴木俊二さん(70)は現在8匹目のメスの「コロ」(登録名レプイコル号)を飼う。日課は昨年6月に亡くなったオスの「チッコ」(力秀号)の遺骨に手を合わせること。「みんな信頼関係が深い犬たちでした」と目を細める。犬の誕生日にはパーティーもするという。
テレビCMなどの影響でペットとしての人気も高まっているが、飼っても繁殖しない人も増えている。鈴木さんは「アイヌの皆さんの時代から、北海道の人間にとっては無くてはならない家族。若い人にもっと飼ってほしい」と話す。【梅村直承】
【ことば】北海道犬
日本犬の一地方種。体高50センチ前後の中型犬で、短い三角形の立ち耳や、口元が引き締まった精かんな顔つきが特徴。毛色は「白」「赤」「黒褐」「虎」「胡麻(ごま)」「灰」の6色。ルーツは諸説あるが、アイヌ民族が北海道に渡ってきた際に一緒に入ってきたとされ、本州の日本犬と違い、東南アジア系の犬と遺伝的に近いとされる。青森県の八甲田山で1902(明治35)年に199人が死亡した旧陸軍の雪中行軍遭難事件の救助活動に活躍し、全国的に知られるようになった。
https://mainichi.jp/articles/20180128/k00/00m/040/019000c