先住民族関連ニュース

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アイヌの人々の相棒 CMで人気も頭数は減少

2018-01-27 | アイヌ民族関連
毎日新聞-2018年1月27日 17時41分(最終更新 1月27日 18時44分)

 ピンと立った三角の耳。くぼんだ額の横に、吊り上がった小さな目。北海道原産の天然記念物「北海道犬(いぬ)」だ。かつてアイヌ犬と呼ばれ、アイヌの人たちと生活を共にする犬だった。近年、携帯電話のテレビCMで知られるようになり、道外にも人気は広がっているが、頭数は年々減少。道内の保存団体などが地道に保存活動を続けている。
 かつてヒグマ、オオカミなどが住む原生林に囲まれ、自然と共生していたアイヌの人々には、頼りになる相棒だった。獣を狩る際の猟犬として、住居を守る番犬として、高い能力があった。気性が強いが、辛抱強く賢い性格で、家族と認めた人間には忠誠心が強いといわれる。粗食で寒さに強い体は北海道に適し、生活に無くてはならない存在だった。
 1937年(昭和12年)北海道犬と名称を改め、天然記念物に指定された。秋田犬、甲斐犬、紀州犬、柴犬、四国犬と並ぶ日本在来種の「日本犬」とされた。明治以降の開国で海外種の犬が輸入され、数少なくなる固有種の保存運動の一環だった。第二次世界大戦の混乱が追い打ちをかけ、戦後すぐには北海道犬の特徴を維持した個体は、ほとんど残っていなかったという。
 51年(同26年)に道内に初めて保存団体が設けられ、本格的な保存事業が始まった。当時、北海道犬の特徴を残す犬は6地域に生存しており、「千歳」「岩見沢」「平取」「厚真」「渡島」「阿寒」の6系統に分類された。その後、6系統間の交配が進み、純粋な系統として残されているのは千歳系統のみ。保存団体が血統書を発行し、「北海道犬」と認定した個体が実際上、天然記念物として取り扱われている。
 道教委や保存団体によると、子犬の出産数は71(同46)年に7061匹あったが、2015年は584匹と、10年間で約半減。成犬を含めた現存数は、仮に毎年生まれる子犬の半数が最低5年は生存したとして計算しても、約3000匹以上が現存すると推測されるが、「実際に調査をしておらず、分からない」(道教委文化財・博物館課)という。
 近年は飼育家の高齢化のほか、住環境の変化で多くの頭数を飼えず、繁殖も難しくなってきているという。元帯広畜産大教授で、犬やオオカミの研究が専門の石黒直隆・岐阜大名誉教授は「現段階でさらなる保護や保存が必要な状況とはいえないものの、今後、対策を考えていく必要がある」と話す。
後世に残す活動
 道内最大の保存団体「天然記念物北海道犬保存会」(柿木克弘会長、会員544人)は、北海道犬としての元来の姿と猟犬としての気質を後世に残そうと、活動を続ける。血統書を発行して系統を管理するとともに、骨格や顔つきなどの標準体型や猟に向く性格の基準を設け、展覧会やクマを相手にした獣猟競技会を開くなどして、普及に努めている。
 総務部長の鈴木俊二さん(70)は現在8匹目のメスの「コロ」(登録名レプイコル号)を飼う。日課は昨年6月に亡くなったオスの「チッコ」(力秀号)の遺骨に手を合わせること。「みんな信頼関係が深い犬たちでした」と目を細める。犬の誕生日にはパーティーもするという。
 テレビCMなどの影響でペットとしての人気も高まっているが、飼っても繁殖しない人も増えている。鈴木さんは「アイヌの皆さんの時代から、北海道の人間にとっては無くてはならない家族。若い人にもっと飼ってほしい」と話す。【梅村直承】
 【ことば】北海道犬
 日本犬の一地方種。体高50センチ前後の中型犬で、短い三角形の立ち耳や、口元が引き締まった精かんな顔つきが特徴。毛色は「白」「赤」「黒褐」「虎」「胡麻(ごま)」「灰」の6色。ルーツは諸説あるが、アイヌ民族が北海道に渡ってきた際に一緒に入ってきたとされ、本州の日本犬と違い、東南アジア系の犬と遺伝的に近いとされる。青森県の八甲田山で1902(明治35)年に199人が死亡した旧陸軍の雪中行軍遭難事件の救助活動に活躍し、全国的に知られるようになった。
https://mainichi.jp/articles/20180128/k00/00m/040/019000c

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アイヌ文化ツアー4割増 中央バス系旅行会社、今年バス企画100本

2018-01-27 | アイヌ民族関連
北海道新聞-01/27 13:00
 北海道中央バス系列の旅行会社シィービーツアーズ(札幌)は今年、アイヌ文化をテーマにしたバスツアーを昨年より4割増やし、100本程度実施する。2020年にアイヌ文化復興の拠点「民族共生象徴空間」が胆振管内白老町に開設されることもあり、アイヌ文化への関心が高まっていると判断した。
■象徴空間開設控え関心高める
 同社は5年前からアイヌ文化に関連したツアーを主催。昨年は二風谷アイヌ文化博物館(日高管内平取町)やアイヌ民族博物館(白老町)などを巡る約50種類のツアーを合わせて約70本実施し、道内の中高年を中心に延べ1600人が参加した。
 象徴空間整備に向け、アイヌ民族博物館が3月末で閉館するため、今年は平取町に絞る一方、メニューを充実させて去年より多い約60種類のツアーを企画する。
残り:256文字/全文:596文字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/159518

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オーストラリア・デー、祝賀、市民権授与式、抗議行動

2018-01-27 | 先住民族関連
日豪プレス-2018年1月26日
13,000人の新市民、祝日変更を訴える先住民族
 1788年1月26日、アーサー・フィリップ提督の指揮する1500人ほどの囚人と英軍将兵を載せた第一次移民船団がシドニー・コーブに碇を降ろした。翌日、フィリップ提督が大英帝国植民地領有宣言を行った。
 1月26日は何度か名前を変え、日付も変え、最終的にオーストラリア・デーと定められた。しかし、その由来のため、先住民族アボリジニの人々にはこの日を「侵略の日」と呼び、祝賀には参加せず、抗議の行進を行う者も多い。
 ABC放送(電子版)が伝えた。
 この日は移民の人達に新しく市民権を授与する式典も行われる。今年は13,000人が出席して行われた。
 シドニーでは早朝にバランガルーでアボリジニの煙を焚く式が行われた。シドニーの海軍基地には軍艦キャンベラが入港し、祝賀式が行われた。メルボルンでは市民が行進に国旗を振った。また、QLD州カルーンドラでは模擬第5軽騎兵連隊がアボリジニ旗と国旗を掲げてパレードをした。ブリスベンでは、ストーリー・ブリッジ・ホテルでオーストラリア・デー恒例のゴキブリレースが開かれた。
 WA州ではパース北郊地区で600人近い新市民の市民権授与式にマーク・マクガワン州首相が出席した。この式典では州首相が、「オーストラリア・デーの受勲名簿は900人近い受勲者のうちにWA州市民が占める比率が’小さすぎる。東部偏重がここにも表れている」と苦情を述べた。
 キャンベラではマルコム・タンブル首相が市民権授与式で挨拶し、「オーストラリアは、他の国のように民族や宗教、特定文化によって国を規定することはしない。オーストラリアは民主主義、自由、相互敬意、男女平等、法治への固い決意など共有する理念で国を規定している」と語った。
 南極ではイギリスの鉛管工、テリー・バレル氏が南極でオーストラリア市民権を受容される2人めという記録を作った。
 一方、シドニーやメルボルンなどいくつかの州都、その他の土地でアボリジニの「侵略の日」抗議行進が行われた。抗議行進と集会では、連邦議会が設立された1901年1月1日など、すべての国民が祝える日をオーストラリア・デーとする要求が挙げられている。
■ソース
Australia Day: Celebration and citizenship ceremonies mark January 26
http://nichigopress.jp/ausnews/politics/158418/

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年代不明のアイヌ遺骨を提供

2018-01-26 | アイヌ民族関連
ロイター2018年1月25日 / 19:10
 札幌医科大(札幌市)が年代不明のアイヌ民族の遺骨を研究者に試料として提供していたことが25日、関係者への取材で分かった。日本考古学協会などは人道的見地から、埋葬からおおむね100年以内の遺骨を研究利用しない方針を示している。札医大は遺骨について「学内で江戸時代以前のものとされてきたが、疑義が生じた」とし、年代を調べる。
 札医大などによると、試料となった遺骨は1962年に札医大などが北海道浦河町の東栄遺跡で発掘した32体。【共同通信】
https://jp.reuters.com/article/ecb-head-questions-us-frx-comments-idJPKBN1FE2G0

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地域の大事な文化 方言 若い世代に 高齢者から聞き取り

2018-01-26 | アイヌ民族関連
日本農業新聞 2018年01月25日
 テレビやラジオで共通語が使われることやインターネットの普及などから、若い世代が地域の方言を使わなくなっていることに危機感を抱き、各地で方言を残そうという保存活動が広がっている。今後、方言を使う高齢世代が少なくなれば消滅の恐れもあり「地域の文化を守ろう」と高齢者と若い世代の“方言交流”が広がる。
大学生と研究 元アナウンサー岐阜の神田卓朗さん
 岐阜市在住の元岐阜放送のアナウンサー、神田卓朗さん(75)は、大学の授業を通じて若者に地域の方言を伝える活動を続けている。各地の大学の授業に高齢者を招き、学生たちがその地域の方言を聞き取って調査する。神田さんは「あと20~30年ほどで、かなりの方言がなくなる恐れがある。地域に根付いてきた文化として、若い世代に残したい」と意気込む。
 現役の時は番組内で方言に関するコーナーを担当していた。地域限定の単語や言葉のアクセントに興味を持ち、研究を始めた。神田さんは「テレビの影響もあり、言葉が標準化している。同じ地域に住んでいても、高齢者の言葉が理解できない場合もあった」と話す。
 授業では、地域の高齢者と学生を同じ場で会話させる。話に出てきた方言を学生が書き留め、データを神田さんが整理し集める。これまで岐阜や静岡、三重、滋賀県などで授業を重ねてきた。
 2017年度は、浜松市の浜松学院大学で教えた。学生が、地域の老人クラブ13人から方言を聞き取った。粉類全般を表す「こむぎこ」や、小皿を意味する「おてしお」など、方言を集めた。静岡県伊東市出身で同大1年生の遠藤奈々さん(19)は「普段、方言はほとんど使わない。響きが面白く、実際に使って会話してみたくなった」と話した。
 昨年12月には調査を基に三重弁を紹介する書籍『三重弁やん』(風媒社)を発行。神田さんは「方言でしかニュアンスが伝わらない言葉も多い。若い人も方言を使って、幅広い年代との会話を楽しんで」と話す。
小学生へ教室 山形県村山市民センターの細谷順子さん
 子どもの方言離れは、山形県でも進んでいる。村山市大高根地域市民センターの地域専門員の細谷順子さん(50)は「全65人の地域の小学生は方言を話さない。私の娘も方言を使っていない」と実感する。
 一方、同センターを訪れる高齢農家は皆、方言を使う。センターを訪れ、銀行振り込みの方法を聞く増川三喜夫さん(77)と細谷さんのやり取りは「番号さ1桁足りねえべ」「ちょっど待って。銀行が調べてよごすから」と終始、方言だ。
 細谷さんは方言を、相手への思いやりや敬意を強く表す言葉だと考える。「高齢者は“ごめんなさい”を“ぶじょほうした”と言う。自分の不調法をわびるという意味で、ごめんなさいよりも丁寧で敬意を持つ」と説明する。
 同地域が毎年開く高齢者と小学生の触れ合いの場「ふるさと教室」は、子どもの方言継承の機会となっている。高齢者が子どもにしめ飾りや団子さしなどの作り方を教える際に方言を使う。
 細谷さんは今後も高齢者と子どもとの世代を超えた交流で、方言の継承も進めていきたいと展望する。
消滅危機も 文化庁
 文化庁は方言の現状について「伝統的な方言の話者が減っている」とみる。要因として、学校教育やテレビ、ラジオによる共通語の使用などを挙げる他、「地域固有の食や道具などの消滅とともに、それらを表す言葉がなくなっている」(文化部国語課)と指摘する。
 また同庁は「言語、方言の中には消滅の危機にあるものがある」との認識を示す。特に、東日本大震災で被災して住民が減少した青森から茨城県の沿岸部の方言や、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が認定したアイヌや沖縄など8言語・方言について調査研究を実施。実態調査や言葉の記録を行う他、方言の聞き比べ会など継承を図る活動を進めている。
 方言の活性化を担当する同課の鈴木仁也国語調査官は「方言は人の内面を伝えるのに適し、使うことで仲間意識や絆を強め、伝統を支える役割もある」とし、「方言の役割や価値を理解してもらいたい」としている。(齋藤花、福井達之、吉本理子)
https://www.agrinews.co.jp/p43102.html

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諸国の奇想絵師(1) 蠣崎波響「御味方蝦夷之図 ションコ」

2018-01-26 | アイヌ民族関連
日本経済新聞 2018/1/25付朝刊
美術史家 安村敏信
美の十選
 江戸時代、諸国で奇才あふれる絵師たちが活躍した。彼らを紹介する。

 鋭い目つきでこちらを睨(にら)みつける異形の人物ションコは、アイヌ民族の酋長のひとりだ。蝦夷錦の上衣に革靴をはき、太刀を腰につけた立派な姿だ。錦の刺繍(しゅう)や足の筋肉の立体感が、緻密な描写で質感豊かに描かれる。
 本図を描いたのは蠣崎波響(1764~1826年)。松前藩主資廣(すけひろ)の五男として生まれ、家臣蠣崎家の嗣子とな…
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https://www.nikkei.com/article/DGXKZO26078190U8A120C1BC8000/

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文春オンライン 2018/01/24 近藤 正高

2018-01-25 | 先住民族関連
ご存知ですか? 1月24日はカリフォルニアでゴールドラッシュが始まった日です

人々が殺到した後、儲けたのは採掘者たちではなかった
 いまから170年前のきょう、1848年1月24日、アメリカ西部・太平洋岸のカリフォルニアのサクラメント渓谷で、ジェームズ・W・マーシャルという大工が金を発見した。これがゴールドラッシュの発端となる。
 マーシャルは、現在のサクラメントから60数キロ離れたアメリカン川河岸に製材所を建設するため、前年より一帯の土地の所有者であるJ・A・サッターに雇われていた。土砂降りの雨だったというその日、マーシャルは川底に沈む砂利のなかに、光沢のある物体が混じっているのを見つける。彼はそのうちの何粒かを拾うと、4日後にサッターに見せ、本物の金であることを確認した(中村甚五郎『アメリカ史「読む」年表事典2 19世紀』原書房)。なお、サッターはドイツからの移民で、1839年よりサクラメント周辺に入植し、農場や工場を経営していた。46年にアメリカ・メキシコ戦争で連邦軍がこの地域を占領した際にはアメリカ市民となり協力している。
 サッターとマーシャルは金の発見を秘密にしておこうとしたが、すぐに漏れ、1ヵ月も経たないうちに太平洋岸一帯へ、数ヵ月後には大西洋岸の東部諸州にも伝わる。話を聞きつけ、全米各地から男たちが続々と金を求めてサクラメントへとやって来た。1848年末には時の米大統領ポークが大統領教書でカリフォルニアの金鉱発見を確認したため、翌年に入るとますます人々の流入は加速し、ゴールドラッシュは本格化する。「49年組(フォーティーナイナーズ)」と呼ばれた流入者には、金鉱探しの男たちだけでなく、彼らを相手にする商人・職人・ホテル業者・銀行家・弁護士・娼婦、さらには詐欺師なども含まれた。このとき儲けたのは金を探しに来た男たちよりもむしろそうした人々であった。ジーンズで知られるリーヴァイ・ストラウスも、このとき労働着を売って成功を収めた。
 ゴールドラッシュによりカリフォルニアは繁栄した。1848年の金発見以前、先住民以外の人口は推定で1万4000人程度にすぎなかったのが、約10年後の1860年には37万9994人と飛躍的に増大した。都市の建設にともない道路や鉄道も整備され、西部開拓が促進されることになる。そのなかで最初に金が発見されたサッターの土地は、人々に踏み荒らされた。彼は裁判で土地の返還を求めながらも結局認められず、失意のうちに1880年に亡くなっている。
http://bunshun.jp/articles/-/5955


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台湾・シラヤ族の闘い/下 公認へ、続く活動

2018-01-25 | 先住民族関連
毎日新聞2018年1月24日 東京夕刊
 台湾南部・台南市の口〓(こうひ)教会。民族衣装を模したおそろいの姿で子供たち10人が現れた。「アクメヤ・キ・レヤ・トゥ・プルグ・キ・シラヤ!」(シラヤ村は平和だ)。シラヤ語で合唱を披露し、大きな拍手が響いた。シラヤ族の多くは17世紀にオランダ人から洗礼を受け、子孫は今もキリスト教徒が多い。
 シラヤ族の末裔(まつえい)、萬正雄(まんせいゆう)さん(74)の娘婿、フィリピン人のエドガーさん(55)は音楽家でもある。1930年代に日本人学者、浅井恵倫(えりん)が録音したシラヤ語の音源を参考にして、シラヤ語の歌を100以上作曲した。子供の合唱団を結成し、公演を繰り返した。勉強会を開いてシラヤ語の話し手を増やした。長女瑩緑(えいりょく)さん(25)と次女瑩穂(えいすい)さん(19)もシラヤ語を習得し、合唱団の指導役などを担っている 。
 こうした取り組みが行政を動かし、台南市は2016年からシラヤ語の授業を市内の小学校で開始した。今では19の小学校でシラヤ語授業が必修科目だ。教科書や音声教材などもエドガーさんらが手がけた。
 「マリアマカバブリ」(おはよう)
 「マハヌ」(さよなら)
 口〓小学校ではシラヤ語の練習をする児童たちの声が響いていた。3年の陳孟(ちんもう)函(かん)さん(9)は「響きがきれいで好き。お母さんに教えることもあるよ」。
 同小によると、全校児童55人のうち半数がシラヤ族の末裔。王朝賜校長(51)は「シラヤ語教育を続ければ、シラヤ語が地域に根付いていくはず」と語る。 (続きあり)
https://mainichi.jp/articles/20180124/dde/007/030/041000c

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『SINRA』2018年3月号発売! 特集「海へ、帰ろう」

2018-01-25 | アイヌ民族関連
PR TIMES (プレスリリース)2018年1月24日 11時00分

【SINRAの旅】
北海道・オホーツク海
「アイヌの海」
芦原 伸
豊かな海の生命が息づくオホーツク海。北海道の先住民であるアイヌの人たちは海の民でもあった。縄文、オホーツク、そしてアイヌ文化へとつながる人々の歴史は、北方民族との関わりなど北海道という土地ならではの物語がある。過去と現在、そして未来へつなぐ時空の旅。
【本件に関するお問合せ先】
株式会社天夢人  SINRA編集部 担当:野口/武田
Tel: 03-6413-8755 / E-mail: noguchi@temjin-g.com
URL: http://temjin-g.com

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アイヌ民族博物館で2月18日から最後の企画展【白老】

2018-01-24 | アイヌ民族関連
室蘭民報2018.01.23

2月18日から開かれる最後の企画展「ポロトコタン ウパシクマ~ポロトコタンを語り継ぐ」
 象徴空間整備に伴い今年3月末で閉館する白老・アイヌ民族博物館最後の企画展「ポロトコタン ウパシクマ~ポロトコタンを語り継ぐ」が、2月18日から3月末まで開かれる。同博物館の前身となる白老観光コンサルタントが1965年(昭和40年)に営業を開始して以降、今日まで52年間の歩みを振り返る。
 企画書は「民族共生象徴空間を含めた今後のポロトコタンの在り方は、今までの活動の上に発展的に運営されていくことになります。50年以上にわたるポロトコタンの歴史を写真資料を中心に振り返ることによって、私たちの目指す次の50年に向けたポロトコタン像を描き出します」と記している。
 写真を中心としたポロトコタン50年の通史、同博物館が取り組んできた調査、研究、古式舞踊、特別展、企画展、出版物など主な事業の紹介、スケートリンクやワカサギ釣り、ポロト温泉、物産展街「民芸会館」(通称・ミンタラ)など観光的側面、国外先住民との交流、国内での移動博物館など外界とのつながりなど。 
 関連イベントは普段見られない古式舞踊の演目を取り入れた特別公演(2月25日、3月3日)、シンポジウム「ルイカ これからのポロトコタン(仮題)」(3月11日)、アイヌ口承文芸「オルシペ アヌロー」(同17日)。
 白老観光コンサルタント発足後、76年財団法人白老民族文化伝承保存財団設立、84年にはアイヌ民族博物館が開館した。2016年度(平成28年度)末日までの延べ入場者数は2500万人以上。同博物館の愛称でもあるポロトコタンは、ポロト湖周辺一帯の呼び名ともなり、憩いの場として親しまれている。
http://www.hokkaido-nl.jp/article/4626


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アイヌ文化を振興普及/イオル再生で共同体発足

2018-01-24 | アイヌ民族関連
釧路新聞2018年01月23日
 2018年度からアイヌ民族の伝統的生活空間(イオル)の再生事業を行う釧路イオル共同体が、22日発足した。釧路・阿寒アイヌ協会による組織で、この日の設立総会では阿寒の床州生さんが会長に就任、事業開始に向け準備を進めていくことを確認した。来年度以降、阿寒湖地区や春採湖周辺を中心に伝承・学習空間の整備や自然素材の育成、アイヌ文化の普及などに取り組む。
http://www.news-kushiro.jp/news/20180123/201801231.html



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釧路・阿寒、「イオル」共同体

2018-01-24 | アイヌ民族関連
朝日新聞2018年1月23日09時07分
アイヌ文化伝承・再生へ設立
 釧路地域のアイヌ民族の伝統的生活空間(イオル)を再生するため、「釧路イオル共同体」が22日設立された。釧路アイヌ協会の35人と阿寒アイヌ協会の44人の計79人で構成。アイヌ文化の保存と継承、発展を図るとともに、一般の人々への知識の普及や啓発の促進を図る。
 阿寒湖温泉地区ではアイヌの儀式・儀礼が盛んに行われているため、「儀式・儀礼の拠点」として伝承するほか、学習・体験空間として整備する。また、春採湖周辺地区を「自然素材育成の拠点」とし、オオウバユリやニリンソウの栽培などをする。 (見崎浩一)
全文:432文字
https://www.asahi.com/articles/CMTW1801230100002.html

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アイヌの自然、幻想的に 北海道庁赤れんが庁舎

2018-01-24 | アイヌ民族関連
毎日新聞 018年1月23日 北海道朝刊
 国重要文化財の道庁赤れんが庁舎(札幌市)に、アイヌ民族の自然観をイメージした映像を映し出すプロジェクションマッピングが始まった。2月25日までの毎日午後6時半~8時半、10回投影される。
 アイヌ民族の輪唱ウポポや伝統楽器ムックリの音色に合わせ、シャチに追われ、川に逃げ込んだサケの体から豊かな土壌が生まれる様子などを幻想的に描いた。
 アイヌの神のクマやシマフクロウにはアイヌ模様を施した。担当者は「北海道の大地が生まれる物語を思い思いに楽しんでほしい」と話している。【田所柳子】
https://mainichi.jp/articles/20180123/ddr/001/040/002000c

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平穏な1年 火の神に祈り 苫小牧アイヌ協会「カムイノミ」

2018-01-24 | アイヌ民族関連
北海道新聞01/22 09:22 更新
 アイヌ民族の伝統的なアシリパカムイノミ(新年の祈り)とイチャルパ(先祖供養)が21日、苫小牧市矢代町の市生活館で行われ、今年1年の安全や幸福をおごそかに祈った。
 苫小牧アイヌ協会(沢田一憲会長)の主催で23回目。同協会や静内民族文化保存会、白糠アイヌ文化保存会の会員ら約100人が参加した。
 アシリパカムイノミでは民族衣装を着た約30人がいろりを囲んで座り、にごり酒をイクパスイと呼ばれる木製の捧酒箸に振りかけ、火の神に祈りをささげた。その後、焼き魚や団子料理などの供物をいろりの前に置き、先祖を供養した。(山田一輝)
◆イチャルパのルは小さい字
残り:86文字/全文:353文字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/158349

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地鎮祭もアイヌ式…伝統の儀式半世紀ぶり

2018-01-24 | アイヌ民族関連
読売新聞 2018年01月21日

 国が2020年度の開館を目指す「国立アイヌ民族博物館」の地鎮祭が20日、白老町ポロト湖畔の建設予定地で行われた。
 国が整備するアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間」の中核施設の一つで、地鎮祭は、アイヌ民族が家を建てる時の伝統的儀式「チセコテノミ」で行われた。本格的な「チセコテノミ」が行われるのは半世紀ぶりという。
 アイヌ民族は、カムイ(神)の所有物の一部である土地を人間が借りており、土地を清めてその使用を神に祈願することで初めて神の加護を受けることができると考えている。
 約1年間、儀式の作法を学んできたアイヌ民族博物館の若手職員らが建設予定地に三脚を立て、その下で弓を使って火をおこし、火の神を招いた。その後、6人の職員が南と北に分かれて、「フッサ、フッサ」と魔払いのかけ声を繰り返しながら、「テクサ」と呼ばれるヨモギの束やエンジュの枝を地面にたたきつけ、はらい清めた。最後に火の神や土地の神など12の神々に祈りをささげ、締めくくった。
 「チセコテノミ」の模様は、国立アイヌ民族博物館が資料として保存するため、4Kカメラやドローンで撮影された。
http://www.yomiuri.co.jp/hokkaido/news/20180122-OYTNT50323.html

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