ご存知ですか? 1月24日はカリフォルニアでゴールドラッシュが始まった日です
人々が殺到した後、儲けたのは採掘者たちではなかった
いまから170年前のきょう、1848年1月24日、アメリカ西部・太平洋岸のカリフォルニアのサクラメント渓谷で、ジェームズ・W・マーシャルという大工が金を発見した。これがゴールドラッシュの発端となる。
マーシャルは、現在のサクラメントから60数キロ離れたアメリカン川河岸に製材所を建設するため、前年より一帯の土地の所有者であるJ・A・サッターに雇われていた。土砂降りの雨だったというその日、マーシャルは川底に沈む砂利のなかに、光沢のある物体が混じっているのを見つける。彼はそのうちの何粒かを拾うと、4日後にサッターに見せ、本物の金であることを確認した(中村甚五郎『アメリカ史「読む」年表事典2 19世紀』原書房)。なお、サッターはドイツからの移民で、1839年よりサクラメント周辺に入植し、農場や工場を経営していた。46年にアメリカ・メキシコ戦争で連邦軍がこの地域を占領した際にはアメリカ市民となり協力している。
サッターとマーシャルは金の発見を秘密にしておこうとしたが、すぐに漏れ、1ヵ月も経たないうちに太平洋岸一帯へ、数ヵ月後には大西洋岸の東部諸州にも伝わる。話を聞きつけ、全米各地から男たちが続々と金を求めてサクラメントへとやって来た。1848年末には時の米大統領ポークが大統領教書でカリフォルニアの金鉱発見を確認したため、翌年に入るとますます人々の流入は加速し、ゴールドラッシュは本格化する。「49年組(フォーティーナイナーズ)」と呼ばれた流入者には、金鉱探しの男たちだけでなく、彼らを相手にする商人・職人・ホテル業者・銀行家・弁護士・娼婦、さらには詐欺師なども含まれた。このとき儲けたのは金を探しに来た男たちよりもむしろそうした人々であった。ジーンズで知られるリーヴァイ・ストラウスも、このとき労働着を売って成功を収めた。
ゴールドラッシュによりカリフォルニアは繁栄した。1848年の金発見以前、先住民以外の人口は推定で1万4000人程度にすぎなかったのが、約10年後の1860年には37万9994人と飛躍的に増大した。都市の建設にともない道路や鉄道も整備され、西部開拓が促進されることになる。そのなかで最初に金が発見されたサッターの土地は、人々に踏み荒らされた。彼は裁判で土地の返還を求めながらも結局認められず、失意のうちに1880年に亡くなっている。
http://bunshun.jp/articles/-/5955
人々が殺到した後、儲けたのは採掘者たちではなかった
いまから170年前のきょう、1848年1月24日、アメリカ西部・太平洋岸のカリフォルニアのサクラメント渓谷で、ジェームズ・W・マーシャルという大工が金を発見した。これがゴールドラッシュの発端となる。
マーシャルは、現在のサクラメントから60数キロ離れたアメリカン川河岸に製材所を建設するため、前年より一帯の土地の所有者であるJ・A・サッターに雇われていた。土砂降りの雨だったというその日、マーシャルは川底に沈む砂利のなかに、光沢のある物体が混じっているのを見つける。彼はそのうちの何粒かを拾うと、4日後にサッターに見せ、本物の金であることを確認した(中村甚五郎『アメリカ史「読む」年表事典2 19世紀』原書房)。なお、サッターはドイツからの移民で、1839年よりサクラメント周辺に入植し、農場や工場を経営していた。46年にアメリカ・メキシコ戦争で連邦軍がこの地域を占領した際にはアメリカ市民となり協力している。
サッターとマーシャルは金の発見を秘密にしておこうとしたが、すぐに漏れ、1ヵ月も経たないうちに太平洋岸一帯へ、数ヵ月後には大西洋岸の東部諸州にも伝わる。話を聞きつけ、全米各地から男たちが続々と金を求めてサクラメントへとやって来た。1848年末には時の米大統領ポークが大統領教書でカリフォルニアの金鉱発見を確認したため、翌年に入るとますます人々の流入は加速し、ゴールドラッシュは本格化する。「49年組(フォーティーナイナーズ)」と呼ばれた流入者には、金鉱探しの男たちだけでなく、彼らを相手にする商人・職人・ホテル業者・銀行家・弁護士・娼婦、さらには詐欺師なども含まれた。このとき儲けたのは金を探しに来た男たちよりもむしろそうした人々であった。ジーンズで知られるリーヴァイ・ストラウスも、このとき労働着を売って成功を収めた。
ゴールドラッシュによりカリフォルニアは繁栄した。1848年の金発見以前、先住民以外の人口は推定で1万4000人程度にすぎなかったのが、約10年後の1860年には37万9994人と飛躍的に増大した。都市の建設にともない道路や鉄道も整備され、西部開拓が促進されることになる。そのなかで最初に金が発見されたサッターの土地は、人々に踏み荒らされた。彼は裁判で土地の返還を求めながらも結局認められず、失意のうちに1880年に亡くなっている。
http://bunshun.jp/articles/-/5955