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江戸後期の松前藩、道東のアイヌ民族へ文書 ロシアで確認

2018-01-22 | アイヌ民族関連
北海道新聞 2018/01/21

松前藩がアイヌ民族の有力者に宛てた文書(サンクトペテルブルクのロシア国立図書館所蔵、東京大史料編纂所提供)
 江戸時代後期、松前藩が道東のアイヌ民族の有力者に対し、和人の漂着者の介抱などを指示する文書が、ロシアの国立図書館に所蔵されているのを、東京大史料編纂所(へんさんじょ)などの研究チームが確認した。松前藩がアイヌ民族に出した文書の原本が見つかるのは初めて。専門家は「藩の勢力が、従来考えられていた時期より以前から道東に及んでいた可能性を示す貴重な史料」と話している。
 文書は、海外に所蔵されている日本関連史料を調査している研究チームが、サンクトペテルブルクのロシア国立図書館で発見した。書面の記載から、松前藩が1778年(安永7年)7月、「ノッカマップ」(現在の根室市)を拠点としたアイヌ民族の首長「ションコ」に宛てたものとみられる。
 内容は命令を意味する「定」の題字に続き、《1》アイヌ民族がけんかや口論を行わない《2》アイヌ民族と和人が取引する商い小屋「運上小家」の火事に注意する《3》和人の漂着船が流れ着いた際は、定書を見せて漂着者を介抱する《4》漂着者はアイヌ民族の村々を順に送り、和人の滞在地まで送り届ける―の4カ条。最後に「背いた際には厳しく処罰する」と記されている。
 これまで、道東のアイヌ民族は江戸後期まで比較的、自立した地位を保ち、1789年(寛政元年)に国後島や羅臼、標津のアイヌ民族が和人の搾取に対して起こした「クナシリ・メナシの戦い」を経て、松前藩の支配が及ぶようになったとされてきた。ションコは戦いを終息に導いた人物として画家の蠣崎波響(かきざきはきょう)の作品「夷酋列像(いしゅうれつぞう)」の一人にも描かれている。
 共同研究者として、サンクトペテルブルクで文書を確認した北海道博物館の東(あずま)俊佑学芸員(近世史)は「文書の発見は、1778年に既に藩がションコに命令を出す立場にあった可能性を示唆する。江戸時代後期の松前藩と道東のアイヌ民族の関係をとらえ直すきっかけになる」と指摘する。
 文書ではこのほか、これまで知られていなかった松前藩の「蝦夷地(えぞち)奉行」と呼ばれる役名、もしくは機関の存在も明らかになった。文書がロシアに渡った経緯も不明で、ロシアとアイヌ民族の接点を明らかにする手がかりの一つとなる可能性もあるという。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/158148

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白老の国立民博工事、安全祈る 21年ぶりアイヌ民族の「地鎮祭」

2018-01-22 | アイヌ民族関連
北海道新聞01/21 09:42 更新

 【白老】アイヌ民族博物館は20日、町内のアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間」の中核施設となる国立アイヌ民族博物館の建設予定地で、建物を建てる際の伝統儀式「チセコテノミ(地鎮祭)」を21年ぶりに執り行った。
 チセコテノミは土地を清め、工事の安全を願うために行う。前回は1997年、アイヌ民族博物館敷地内のチセ(家)の建設前に行っている。
 今回は同博物館職員や白老アイヌ協会会員ら約20人が出席。雪が舞う中、神を迎え入れる3本の木が立てかけられたいろりに酒かすをささげ、国立アイヌ民族博物館建設工事で事故がないよう神に祈った。
 国立アイヌ民族博物館は3月までに着工し、2020年の開館を予定している。(後藤真)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/158204

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白老に「共生象徴空間」 アイヌ民族らしさ集客の鍵 報道センター村田亮

2018-01-22 | アイヌ民族関連
北海道新聞01/21 09:46
 政府は2020年、胆振管内白老町にアイヌ文化復興の拠点「民族共生象徴空間」を開設する。東北以北で初となる国立博物館をはじめ各施設の造成工事は既に始まり、展示物や体験学習の概要も徐々に分かってきた。ただ、その内容からは年間来場者100万人の目標達成は難しいとの指摘もある。道内外の多くの人を招くことが、アイヌ民族の歴史や現状への理解を広め、差別の解消や誇りの回復につながる。今こそ関係者はアイヌ民族の声に耳を傾け、多彩な文化の魅力を発信する方策に知恵を絞ってほしい。
 象徴空間の開設は、アイヌ民族を先住民族と認めた政府が設置した有識者懇談会で09年に提言され、14年6月に基本方針を閣議決定した。基本構想には「アイヌの人々による歴史・伝統・文化等の継承・創造の拠点」「国内外の人々の理解を促進する拠点」などを掲げた。
 政府は昨年、国立博物館の基本設計のほか、民族舞踊を観覧できる体験交流ホールや伝統料理を食べられる体験学習館など各施設の概要を公表した。ポロト湖畔で現在民間で運営するアイヌ民族博物館は本年度末で閉館し、その跡地に建つ博物館などの工事が新年度から本格化する。
 開設準備には遅れが目立っている。昨年度中に決まるはずだった歴史講話や舞踊公演などの体験交流活動は、いまだに具体的な内容が見えない。これに伴い入場料の設定や従業員数なども決まらず、来場者誘致に向けた本格的な議論は進んでいない状態だ。
 さらに昨年公表された各施設のイメージ図は近代建築様式が中心だった。政府のアイヌ政策推進会議作業部会委員の一人は「アイヌ文化を楽しめる施設に見えず、何度も訪れたくなる魅力が感じられない」と指摘。別の委員は「この建物では一般の公共施設と同じ。時間がないからと、やっつけ仕事になっていないか」と疑問を呈した。
 政府関係者は「来場者100万人は難しいかもしれない」と漏らす。準備が遅れる背景には、前例のないアイヌ民族関連の施設を開設する難しさに加え、内閣官房や国土交通省、文部科学省など関係省庁が複数にまたがり、意思決定が遅れる「縦割りの弊害」も影響しているようだ。
 既に建物の基本構造は固まり、大幅な見直しは難しい。それでも、アイヌ文化の魅力がより感じられる施設にするため、長年道内で観光客らに文化を伝え、育んできたアイヌ民族らの意見を聞くことが重要ではないか。
 釧路市阿寒湖温泉のアイヌコタンでは、観光地として幅広い層にエンターテインメント性があるアイヌ文化を発信してきた。日高管内平取町二風谷では工芸作家が独創的なアイヌアートを制作し、観光客らに現代社会に生きるアイヌの思いを伝えてきた。白老では民間のアイヌ民族博物館で、アイヌが主体となって道内外のツアー客に多彩な魅力を提供してきた経緯がある。
 象徴空間も各地に伝わるアイヌ文様や工芸、伝統的なチセ(家)の建築様式などを施設の外観や内装に最大限生かし、アイヌ民族らしさを追求してほしい。何げなく立ち寄った観光客に理解してもらうためには、エンターテインメント性も大切だ。来場者がアイヌ文化の魅力に触れ、感動してもらうことで、アイヌ民族への親しみが湧き、再来訪につながると思う。
 <ことば>民族共生象徴空間 胆振管内白老町のポロト湖畔に国立アイヌ民族博物館と国立民族共生公園、慰霊施設を整備する。博物館は地上2階(一部3階)建て、延べ床面積は約8600平方メートル。民族共生公園は敷地面積約9・6ヘクタールで、体験交流ホールや体験学習館を建設する。アイヌ民族の遺骨を納める慰霊施設も設置。総事業費は100億円超と見込まれている。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/158210

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台湾先住民作家が日本で講演会 著作の日本語版出版「非常に光栄」

2018-01-22 | 先住民族関連
中央社フォーカス台湾 2018/01/21 16:06

(台北 21日 中央社)離島・蘭嶼出身で台湾原住民(先住民)タオ族の作家、シャマン・ラポガンさんが20日、台北駐日経済文化代表処台湾文化センター(東京都)で講演会を行った。シャマンさんは、昨年日本語版が出版された自身の著作「大海浮夢(大海に生きる夢)」やその創作過程について紹介。日本での出版について「われわれの部族や自身、そして家族にとっても非常に光栄なことだ」と喜びを語った。
タオ族は主に漁業などで生活する台湾先住民で唯一の海洋民族。作品では、シャマンさんの海での体験や蘭嶼での家族との生活が描かれた。シャマンさんは自身を海洋文学作家と位置づけ、自身の作品について「われわれの部族の海洋文学であり、日常生活についての海洋文学だ」と語る。
一方、伝統文化の侵略や伝承の阻害に対する危機感を覚えているシャマンさん。伝統的な漁業が衰退していることに触れながら、作品が台湾や日本の異なる世代の子供たちに読んでもらえることは非常にありがたいことだと語った。 (黄名璽/編集:楊千慧)
http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201801210002.aspx

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沖縄で収集遺骨、京大に返還要請へ 昭和初期の26体

2018-01-22 | アイヌ民族関連
京都新聞2018年01月21日 10時13分
 京都帝国大医学部解剖学教室助教授だった金関丈夫が昭和4(1929)年、沖縄県今帰仁村(なきじんそん)にある村指定文化財「百按司(ももじゃな)墓」から研究目的で京大に持ち帰った人骨について、今帰仁村教育委員会が返還を求めて京大と交渉する方針であることが、20日分かった。村教委は京大が少なくとも26体、保管しているとみている。
 アイヌ民族の遺骨を巡っては旧帝国大が人類学などの研究目的に無断で掘り出した遺骨の返還が問題になっているが、京大が収集人骨の返還に応じた例はないとみられる。また、自治体が大学に返還を要請するのも異例だ。
 金関が戦前公表した雑誌連載によると、百按司墓から多数の人骨を採取。古人骨だけでなく、当時でみて「最近の人骨」もあった。行き倒れた人を埋葬した那覇市内の墓地でも10体を掘り、中城村(なかぐすくそん)では無断で墓地から人骨を持ち去ろうとして現地の人から制止されたことなどを記述している。のち金関は、日本領だった台湾の台北帝国大(現・台湾大)医学部教授に就任した。
 今帰仁村教委によると昨年11月、台湾大から、金関が医学部に持ち込むなどした人骨63体分を現地に返還したいと申し出があった。
 同月29日に沖縄県教委と村教委が合同で受け入れると回答。2004年に百按司墓木棺を修理した際、村教委は京大総合博物館で百按司墓から持ち出されたとみられる人骨26体分を確認していたことや、台湾大が保管するのはすべて頭骨のみであることから、京大にも返還できないか要請していくことにしたという。
 これとは別に、「琉球民族遺骨返還研究会」の松島泰勝龍谷大教授らは、京大が沖縄から持ち去った人骨の保管数や保管状況について回答を拒んでいることなどから、アイヌ団体が北海道大を相手取り遺骨返還訴訟を起こし、返還が実現していることを参考に、人骨返還訴訟の提訴を視野に運動を進めている。
 沖縄で収集した遺骨について、京大広報課は京都新聞の取材に、「問い合わせに応じない」としている。
■百按司墓
 今帰仁村運天の崖の中腹にある墓所。按司とは地方の有力首長の呼称で、「数多くの按司の墓」の意味。16世紀以前に成立したとの見方もあり、漆を塗った家型の木棺など、琉球の葬制を知る上で最古級の資料とされる。
http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20180121000024

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遺骨87体未返還、尊厳無視 <医の倫理根源 京大の収集>

2018-01-22 | アイヌ民族関連
京都新聞 2018年01月21日 18時35分
 京都大は、大正時代から京都帝国大医学部の清野謙次教授らが収集したアイヌ民族の遺骨のほか、沖縄や各地での収集遺骨も含め、保管状況を「回答しない」という。京大が2012年にまとめたアイヌ遺骨報告書を入手し、記載94体を戦前の論文と照合したところ、カタカナ絵本「明治44年 花咲じい」を副葬品とする子どもの遺骨番号もあった。葬られて数年でしかない子どもの遺体を、無断で墓から掘り出している。
 旧帝大などが研究目的として墓地から無断で発掘した遺骨について、12年以降、北海道のアイヌ民族からもともとの地域のアイヌ団体に返還するよう求める訴訟が相次ぐ。当初拒んでいた北海道大は各返還訴訟で和解、返還に応じる姿勢に転じている。それ以前でも、北大は約千体の遺骨の保管状況を説明し、白木の箱に収めて納骨堂をキャンパス内に建て、慰霊祭を行っている。京大の対応とは対照的だ。
 国会は08年にアイヌ民族を先住民とすることを求める決議をし、国の有識者懇談会は、各大学が遺骨を返還することや尊厳ある慰霊をする配慮を提言した。文部科学省は保管状況を各大学に報告させ、京大も12年にアイヌ人骨保管状況等調査ワーキング報告書をまとめた。だが、京大広報課は、昨年文科省に遺骨の数を94体から87体に修正した理由も含め「問い合わせには応じない」という。
 京大報告書によると、内訳は樺太アイヌが56体、根室市や網走市など北海道アイヌが38体。
 発掘当時は日本領だった南樺太での発掘は清野が手掛けている。いま北海道のアイヌの人々は、遺骨の子や孫だと特定できなくても「発掘した場所のコミュニティーへ返すべきだ」と、少数民族の権利運動として返還運動を展開している。
 その意味で、京大は北海道各地のアイヌ団体へ、そして、現在のロシアとの国境線に関わらず樺太アイヌの人々に、遺骨を保管していることを伝えるべきではないのか。「樺太アイヌ語」を母語とする最後の話者は1994年に亡くなり、一人もいなくなった。でも日本人は誰でも一言だけ、樺太アイヌ語を知っている。「トナカイ」は樺太アイヌ語だ。
 清野ら京大医学部の人骨調査についての戦前の論文、紀行などをさらに調べると、京大が人骨に整理番号を付けていたことが分かる。日本の領土が拡大するにつれて、遺骨の収集エリアも広がっている。アイヌや沖縄の人が墓地を掘り返したり人骨に触れたりすることに抵抗を感じているのに発掘した例が書き残されていた。
 あなたの祖父や祖母が、番号を付けられ大学の研究材料にされているところを想像してほしい、と北海道で出会ったアイヌの人たちはいう。
 清野たち京大医学部はなぜ、人骨を収集したのか。明治以降の日本は国境を拡大し、「外地」「内地」という言葉ができた。少数民族の人たちも、併合した朝鮮の人たちも、台湾の山岳少数民族も、「日本帝国臣民」になった。
 日本民族とは何か、いつから、どこに住んでいたのかは政治的にも思想上も、重要問題だった。清野は、古代にアイヌ民族の土地を日本民族が征服し奪ったのではなく、枝分かれする前は同じ「日本原人」だったとの説をとなえ、時代の寵児(ちょうじ)になった。そのために科学が動員された。
 「適者を適所に置いて、その能力を発揮せしむるのが、差し当たって大東亜共栄圏を開発するに有効な手段である。之れが為には、優良民族に保護を加えて、其人口を増加せしめて開発を促進すべきである」(日本人種論変遷史、44年)。この清野の言葉は、民族の優劣を付ける優生学であり、ナチスを生んだ土壌につながるのではないか。
(12回続きの10回目)
 【次回】 帝国の版図は拡大し、学問が本質的に持つ帝国主義的な側面も、露骨になり、強化された。1940年時点で清野研究室は、満州や琉球人骨を含めて計1500体を収集していた。また、樺太の少数民族ウイルタの女性遺骨を京大が保有していたことも、戦前の論文から分かる。琉球人骨を多数収集した京大医学部の金関丈夫(戦後に九州大教授)をめぐって今、海をはさんで国際的な波が起きている。
http://www.kyoto-np.co.jp/education/article/20180121000089

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アイヌ遺骨、答えぬ理由は <医の倫理根源 京大の収集>

2018-01-22 | アイヌ民族関連
京都新聞2018年01月21日 18時32分

アイヌ遺骨4体の返還を北海道大から受ける紋別アイヌ協会の畠山さん(右)=北海道紋別市・市営墓地
 旧満州(中国東北部)で細菌戦を研究した関東軍防疫給水部「731部隊」は京都帝国大医学部から研究者を集めていた。部隊長の石井四郎は人材供給面で、恩師清野謙次教授の力を頼んだ。2人が結びつきを深めたのは石井が京大で学んでいた頃、四国のある地方で発生した「眠り病」調査から。墓から遺体を掘り起こしてまで、京大班は解明に取り組んだ。
 明治以降、帝国日本がアジアに領土を拡大すると、民族問題にぶつかった。各地に住む先住民。帝国は多民族になった。そこを征服し、同化させるのを正当化する科学が、帝国大学に要請された。清野らの京大病理学教室はさまざまな人骨を収集し、日本人とは何かを比較研究し、戦前、有名だった。そこに、731部隊の細菌実験で問われる「医の倫理」の根はないだろうか。
 戦前に京大が集めた人骨の番号は、確認できるだけで3千番台に達する。樺太、沖縄、朝鮮、旧満州。アイヌ民族の骨も多数ある。
 札幌を日の出とともに出発、記者は高速道路を北へ向かった。オホーツク海沿岸の紋別まで270キロ。鈍い銀色の海を右手に、原野の直線道路をひたすら走る。紋別は冬、流氷を観光する砕氷船ガリンコ号が発着する。昨年9月16日、秋の港に観光客の姿はない。紋別アイヌ協会の畠山敏会長(72)の仕事場があった。畠山さんは漁師。仕事場の前で女性や若者たちがホタテガイをむいて焼いている。
 市営墓地に移動して待つと、北海道大の長谷川晃副学長らが車を連ねてやってきた。北大は戦前から1970年代にかけ、アイヌ墓地を発掘するなどして約千体の遺骨を収集した。畠山さんはアイヌの民族衣装をまとい、北大側から紋別アイヌの4体の遺骨を受けとった。紋別アイヌ協会は返還を求めて提訴、札幌地裁で和解が成立したのを受け、返還に至った。
 「先祖も喜んでいるだろう」と畠山会長。「アイヌ民族の先住権にとって、第一歩だと思う。裁判を起こさないと返さない、みさげたようなアイヌへの行い、腹の底では許してはいない。まだ北大には返還されていない遺骨がある」。長谷川副学長は「誠意」を繰り返したが、「大学としての倫理や謝罪とは別のこと」と話した。
 神々に感謝する儀式「カムイノミ」が始まる。北海道各地から、遺骨返還運動に関わるアイヌの人々が集っている。子孫だと特定できないと返還しない国・大学に対し、「それはイエ制度に基づく『和人』の考え方や墓制度の押し付け。アイヌの伝統は、家ごとではなくコタン(村)の共同墓地で弔ってきた。どのコタンから無断で遺体を持ち出したか特定できればコタンに返すべき」と、少数民族の文化をかけて訴えてきた。
 火をくべて、カムイ(神霊)への感謝、アイヌ語の祈りに海風の鳴りが混じる。畠山会長は、市営墓地のアイヌ遺骨納骨堂は和人式で、申し訳ないという。いつか土と自然に返したいのです-。
 参列者は、京都帝大も戦前から多くのアイヌ遺骨を収集したことを知っていた。だが、北海道のどのコタンで収集されたかや遺骨数など情報がなく、まだ京大には返還を求めるに至っていないという。
 京都に戻り、京大にアイヌ遺骨を含む収集遺骨の保管状況について問い合わせた。医学部にはなく、昭和30年代に理学部の人類学教室に移管されたことは分かっていた。理学研究科は対応せず、大学広報課にメールで質問するよう求められた。「回答は控えさせていただきます。それ以外の人骨も含めて個別の問い合わせには応じておりません」。数さえ、教えてくれない。
(12回続きの9回目)
http://www.kyoto-np.co.jp/local/article/20180121000085

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アマゾンの森林破壊思う 金沢出身の下郷さん 共著で本出版

2018-01-22 | 先住民族関連
中日新聞2018年1月21日
 金沢市出身のフリージャーナリスト、下郷さとみさん(55)が、ブラジルのアマゾン熱帯林の開発と保全の試みを紹介する本「抵抗と創造の森アマゾン」(現代企画室、税別二千七百円)を共著で出版した。森林破壊が進めば現地の暮らしを脅かすだけではなく、砂漠化や地球温暖化の危険も高まる。下郷さんは「アマゾンの豊かな自然は地球の宝。日本人にとっても重大な問題として目を向けて」と呼び掛ける。(太田理英子)
「日本にも関係 目を向けて」
 下郷さんは環境分野のフリーライターとして活躍していた一九九二年、知人の誘いでブラジルの貧民街でのボランティア活動に参加。環境教育にも取り組む中、困窮していてもたくましく生きる人々の姿に圧倒されたという。二年後に帰国して以来、日系人向けのメディアに日本文化を紹介する記事を配信するなど、両国の交流に携わってきた。
 二〇一五~一七年には、ブラジル中西部を流れるシングー川流域の先住民保護区で、環境保護と住民の自立支援に取り組む日本のNPOの活動に三回同行。自然に負荷をかけない養蜂産業と、森林火災に備えた消防団の養成事業を視察し、昨年十一月に出版した今回の本で紹介した。
 訪れた二つの保護区では、住民は森林に囲まれた村で暮らし、呪術などの伝統文化も色濃く残る。だが周辺では森林伐採が進み、乾燥化と森林火災の脅威が迫る。
 貨幣経済の浸透で住民の意識も変化。スマートフォンなど便利なモノが流入し、現金収入を求める出稼ぎ者や、企業に土地の開発を許す民族も現れている。
 下郷さんが本で描いたのは、環境と価値観の変容に戸惑いながらも、自らの手で森林を守ろうと奮闘する人々の姿。消防団員養成は始まったばかりだが、「森を守れるのは自分たちだけ」と口にする若者もおり、誇りを持って取り組む様子に希望を抱いたという。
 日本から見ればアマゾンの森林破壊は地球の反対側の出来事。だが、食用油などに使う大豆はブラジルからの輸入に頼っており、下郷さんは「日本の暮らしと開発は直接的に関係している」と指摘する。
 耕作放棄地の増加や里山の減少が進む日本には、アマゾンの現状と重なる部分もある。「都市への一極集中や経済効率の追求が進めば、自然や文化を失いかねない。アマゾンの例が、自然に適応した暮らしのあり方を考えるきっかけになってほしい」と願っている。
http://www.chunichi.co.jp/hokuriku/article/news/CK2018012102100019.html


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