朝日新聞2018年1月4日09時46分
◆別格の地に生きる
◇歴史のトピック、透ける意識
北海道という行政地名ができて今年で百五十年であるという。
現在の日本国の領土の中でこれほど歴史の短いところは他にない。五百三十七万の道民のうちに四代前からここに住んだ人がどれだけいるか。先住のアイヌの民を別にして、われわれはみな移住者、はっきり言ってしまえば内地の困窮者や流刑囚の子孫である。
ぼくはそれを恥とは思わない。歴史と地理の条件がいいところにのうのうと暮らす豊かな内地の人々を横目で見て、道民は未知の気候風土に立ち向かって辛苦を重ねて原野を開いた。狩猟採集経済の地を農業や工業の経済の地にした(必ずしもそれが幸福を約束したわけではないとしても)。
日本国においてここは異質の土地であり、敢えて言えば植民地だった。われわれは植えられた民であった。東京の政府が宗主国というわけだ。いろいろ別扱いもあって、ある時期までは徴兵制の適用範囲外だった(だから夏目漱石はずっと岩内に籍を置いていた)。この別格の地という感覚をわれわれは普段は忘れている。
しかしぼくは関西などに旅行すると、目に入る地名の古さに圧倒される。河内や大和など、千三百年前の『古事記』の舞台がそのまま現代に重なっている。鉄道の駅名を見ているだけで息苦しくなる。中世まで日本史とはほとんど西日本の歴史であった。律令制下で最北の一宮は今の山形県飽海郡にある鳥海山大物忌神社だ。『おくのほそ道』で芭蕉は平泉から象潟へ抜けている。ここ以北には歌枕がなかった。つまり文化的に日本の域外だった。
○ ● ○
では道民という意識と日本国民である意識はわれわれの中でどう重なっているか。それを知るのにこの「重大ニュース」の結果はなかなか参考になる。
1位が「青函トンネル開業」。この背後には8位の「洞爺丸台風の来襲」のような惨事の記憶が控えている。実際、青函連絡船の乗換は面倒だった。だが、それはそれとして、これが1位になった裏には内地との一体化を願う思いが潜んではいないか。同じことは9位の「北海道新幹線開業」についても言える。北海道にとって新幹線は決して使い勝手のいいものではないとぼくは思うが、内地との一体感を強化してはくれる。
その裏返しが2位の「拓銀の破綻」だろう。植民地の銀行だからまっさきに見せしめとしてつぶされた、と道民は思わなかったか。北海道拓殖銀行という名がそもそも植民地的だった。
北海道自身の力で得た成果として4位の「札幌冬季五輪開催」は文句なしに輝いて見える。ヨーロッパ諸国に比してずっと南に位置するのに雪が多いという地の利を生かして、立派なオリンピックを実現した。後の長野のような財政の疑惑や残る負債の苦労もなかった。大倉山と宮の森のシャンツェは今も使われている。
中央対地方という構図を崩すのにスポーツはずいぶん大きな役割を果たしてきた。この分野では都道府県はどこも平等。二〇〇四年甲子園の駒大苫小牧高の優勝が3位になったのもその表れだ。雪の時期にフィールドで練習ができないというハンディキャップを超えてだからなおさら。6位の「日本ハムの北海道移転」にも同じ効果がある。この頃に巨人軍一辺倒のプロ野球の時代は終わった。
戦争関係では10位に「ソ連の侵攻」が入っている。もともと蝦夷地の時代からロシアの脅威は切実だった。大陸との交易がアイヌの人々を潤した一方で、近代国家への帰属を表明しないかぎり北の隣国による植民地化の可能性はあった。北海道神宮が北東を向いているのは対ロシアの意識の故だという。
しかし、沖縄戦において一万名の北海道の兵士が亡くなったことを記憶する人は少ない。この数は戦場となった沖縄出身の兵に次いで二位なのだ。ここで植民地の兵を植民地へという東京大本営の意思が働いていなかったかどうか。内地に比べれば空襲の被害などは少なかったけれど、こういう形で北海道は戦争に関わった。
○ ● ○
中央から見てここははずれという構図を捨てなければならない。そこに住む者にとってはそこが世界の中心なのだ。
今の世界で見るならば日本はずいぶん大きな国である。ついついアメリカや中国やロシアと比較しがちだが、EU加盟国には人口で日本を超える国はないし、面積でも日本より大きな国は三つしかない。
では仮に北海道を国として見たらどうか。今の世界で二百あまりあるとされる国々と比すると、北海道は百十五位に当たる。ほぼオーストリアと同じ。デンマークもスイスもオランダもベルギーも北海道より狭い。人口で言えば北海道はフィンランドやシンガポールと肩を並べる。
食料自給率ではカロリーベースで都道府県中の第一位。自然エネルギーなどもまだまだ開発の余地がある。何よりも風土として特異な面が少なくない。それを生かして独立してしまったら、とまでは言わないが、いざとなればそれも可能ということは覚えておいていいだろう。地方であるとはそういうことなのだ。
◇
いけざわ・なつき 作家、道立文学館館長。1945年、帯広市生まれ。「スティル・ライフ」で芥川賞。「マシアス・ギリの失脚」や「静かな大地」など著書多数。本紙の連載「終わりと始まり」などの評論でも活躍する。2009年から札幌市在住。
https://www.asahi.com/articles/CMTW1801040100005.html
◆別格の地に生きる
◇歴史のトピック、透ける意識
北海道という行政地名ができて今年で百五十年であるという。
現在の日本国の領土の中でこれほど歴史の短いところは他にない。五百三十七万の道民のうちに四代前からここに住んだ人がどれだけいるか。先住のアイヌの民を別にして、われわれはみな移住者、はっきり言ってしまえば内地の困窮者や流刑囚の子孫である。
ぼくはそれを恥とは思わない。歴史と地理の条件がいいところにのうのうと暮らす豊かな内地の人々を横目で見て、道民は未知の気候風土に立ち向かって辛苦を重ねて原野を開いた。狩猟採集経済の地を農業や工業の経済の地にした(必ずしもそれが幸福を約束したわけではないとしても)。
日本国においてここは異質の土地であり、敢えて言えば植民地だった。われわれは植えられた民であった。東京の政府が宗主国というわけだ。いろいろ別扱いもあって、ある時期までは徴兵制の適用範囲外だった(だから夏目漱石はずっと岩内に籍を置いていた)。この別格の地という感覚をわれわれは普段は忘れている。
しかしぼくは関西などに旅行すると、目に入る地名の古さに圧倒される。河内や大和など、千三百年前の『古事記』の舞台がそのまま現代に重なっている。鉄道の駅名を見ているだけで息苦しくなる。中世まで日本史とはほとんど西日本の歴史であった。律令制下で最北の一宮は今の山形県飽海郡にある鳥海山大物忌神社だ。『おくのほそ道』で芭蕉は平泉から象潟へ抜けている。ここ以北には歌枕がなかった。つまり文化的に日本の域外だった。
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では道民という意識と日本国民である意識はわれわれの中でどう重なっているか。それを知るのにこの「重大ニュース」の結果はなかなか参考になる。
1位が「青函トンネル開業」。この背後には8位の「洞爺丸台風の来襲」のような惨事の記憶が控えている。実際、青函連絡船の乗換は面倒だった。だが、それはそれとして、これが1位になった裏には内地との一体化を願う思いが潜んではいないか。同じことは9位の「北海道新幹線開業」についても言える。北海道にとって新幹線は決して使い勝手のいいものではないとぼくは思うが、内地との一体感を強化してはくれる。
その裏返しが2位の「拓銀の破綻」だろう。植民地の銀行だからまっさきに見せしめとしてつぶされた、と道民は思わなかったか。北海道拓殖銀行という名がそもそも植民地的だった。
北海道自身の力で得た成果として4位の「札幌冬季五輪開催」は文句なしに輝いて見える。ヨーロッパ諸国に比してずっと南に位置するのに雪が多いという地の利を生かして、立派なオリンピックを実現した。後の長野のような財政の疑惑や残る負債の苦労もなかった。大倉山と宮の森のシャンツェは今も使われている。
中央対地方という構図を崩すのにスポーツはずいぶん大きな役割を果たしてきた。この分野では都道府県はどこも平等。二〇〇四年甲子園の駒大苫小牧高の優勝が3位になったのもその表れだ。雪の時期にフィールドで練習ができないというハンディキャップを超えてだからなおさら。6位の「日本ハムの北海道移転」にも同じ効果がある。この頃に巨人軍一辺倒のプロ野球の時代は終わった。
戦争関係では10位に「ソ連の侵攻」が入っている。もともと蝦夷地の時代からロシアの脅威は切実だった。大陸との交易がアイヌの人々を潤した一方で、近代国家への帰属を表明しないかぎり北の隣国による植民地化の可能性はあった。北海道神宮が北東を向いているのは対ロシアの意識の故だという。
しかし、沖縄戦において一万名の北海道の兵士が亡くなったことを記憶する人は少ない。この数は戦場となった沖縄出身の兵に次いで二位なのだ。ここで植民地の兵を植民地へという東京大本営の意思が働いていなかったかどうか。内地に比べれば空襲の被害などは少なかったけれど、こういう形で北海道は戦争に関わった。
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中央から見てここははずれという構図を捨てなければならない。そこに住む者にとってはそこが世界の中心なのだ。
今の世界で見るならば日本はずいぶん大きな国である。ついついアメリカや中国やロシアと比較しがちだが、EU加盟国には人口で日本を超える国はないし、面積でも日本より大きな国は三つしかない。
では仮に北海道を国として見たらどうか。今の世界で二百あまりあるとされる国々と比すると、北海道は百十五位に当たる。ほぼオーストリアと同じ。デンマークもスイスもオランダもベルギーも北海道より狭い。人口で言えば北海道はフィンランドやシンガポールと肩を並べる。
食料自給率ではカロリーベースで都道府県中の第一位。自然エネルギーなどもまだまだ開発の余地がある。何よりも風土として特異な面が少なくない。それを生かして独立してしまったら、とまでは言わないが、いざとなればそれも可能ということは覚えておいていいだろう。地方であるとはそういうことなのだ。
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いけざわ・なつき 作家、道立文学館館長。1945年、帯広市生まれ。「スティル・ライフ」で芥川賞。「マシアス・ギリの失脚」や「静かな大地」など著書多数。本紙の連載「終わりと始まり」などの評論でも活躍する。2009年から札幌市在住。
https://www.asahi.com/articles/CMTW1801040100005.html