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<忘れえぬ人々>伊福部昭=作曲家・釧路市出身 ㊥厚岸の森で 自然、アイヌ音楽から影響

2024-07-05 | アイヌ民族関連

佐竹直子 有料記事

北海道新聞2024年7月4日 10:28

五味旅館の前で、旅館の従業員らに囲まれる伊福部(中央)。手にはバイオリンケースを持っている(「くしろ伊福部昭の会」提供)

 ダケカンバの林を抜けると、広大な草原が広がる。厚岸町中心街から十数キロ離れた原生花園あやめケ原。岬の西に小島が浮かぶ太平洋、東に断崖が切り立つ。

 「伊福部さんはこの景色を眺め、曲を構想したのでしょう」。町海事記念館学芸員小田島賢(31)は、あやめケ原先端の岬「チンベの鼻」から海原を見渡しながら言った。

 伊福部が1937年(昭和12年)に発表したオーケストラ曲「土俗的三連画」は厚岸の風土を題材にしている。第1楽章「同郷の女たち」は、コンブ漁の活気をアイヌ音楽のリズムで表現。第2楽章「ティンベ」は、あやめケ原の岬「チンベの鼻」からとった、もの悲しいバラードだ。

 伊福部は、北海道帝国大(現北大)卒業後の35年(同10年)、道の林務官に就き厚岸町に赴任した。手には、バイオリンケース。厚岸湾岸にあった五味旅館(現ホテル五味)で下宿生活を送った。

■夜の小屋で創作

 道有林が生育しているあやめケ原は仕事場の一つだった。近くに宿泊できる小屋があり、日中は林務に従事し、夜は風のざわめきや雨音を聞きながら作曲に没頭した。

 伊福部にとって森での体験は驚きの連続だった。長女の玲(79)=鳥取市=や教え子たちに何度も当時のことを語った。

 冬の朝、小屋で目が覚めると、前夜書き上げた楽譜の上に窓から入った雪が積もっていた。食糧が尽き、ハクチョウを撃って食べた。伐採事故で亡くなった作業員を乗せた馬車の鐘の音と馬の足音が、もの悲しく森に響いた―。話題は尽きなかった。

 「厚岸の生活が間接的に私の中に何か影響を与えていることは明らか」。75年発行の厚岸町史に寄せた随筆で、伊福部はこうつづっている。

 厚岸ではアイヌ民族からも大きな影響を受けた。仕事で森を回るうちにコンブ漁に励むアイヌ民族たちと親しくなった。森に泊まる日は、長老たちが小屋を訪れ、伊福部に昔話や歌を聞かせた。

■変拍子に色濃く

・・・・・・

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1033491/

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