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ミセス「コロンブス」騒動における隠れた「勝者」 「古い価値観」はいつから「古い」とされるのか

2024-06-28 | 先住民族関連

東洋経済 2024/06/27 10:40

いつから「炎上も当然」の価値観はつくられたか

3人組バンドMrs. Green Appleの新曲「コロンブス」のMVが、激しく炎上した。その内容が、コロンブスたちが猿たちの家に押し入っては、教えを施すという内容だったためである。同MVは「最初から最後までアウト」「誰もこれを止めなかったのがむしろ驚き」などの言葉とともに、バンドの支持層であるはずの若者たちからむしろNGが突きつけられる格好となった。

協力関係にあった企業の逃げ足の早さもまた、類を見ないものであった。MVが問題視されたとみるや、即座にコメントを発表し、これは自社の知るところではない、と弱冠27歳のアーティストに全てを押し付けて、逃げ切りを図ったのである。よほどに、危険な案件だと踏んだのだろう。メディアもまた、熱量を上げて積極的に取り扱い、いかにそれが不適切であるかが語られた。公開から1日足らずのうちに、若きミュージシャンは災禍の中心となったのである。

幸運だったのは、「コロンブス」が、あまりに常識外れ過ぎたことかもしれない。徹頭徹尾、時代錯誤な内容を全力でやり切っている様子からは、誰の目にも、そこに悪意のひとかけらも見いだせなかった。Mrs. Green Apple当人が即座に謝罪したことも効果的であった。無知を憎んで人を憎まずとばかりに、彼らが赦されたことは、この不幸な出来事の中の、大きな幸いだった。

“征服者”コロンブスが猿の住む家に押し入り、教育を施す――という内容は、皆さんも「炎上も当然」だと評するものであろう。だが、ここで思いを巡らせてみたいのは、本件が「炎上も当然」になったのは、果たしていつの頃からか、ということである。

ほんの十数年も遡れば、コロンブスが猿に教えを施すという構図に騒ぐのは、マイノリティ勢力に過ぎなかった。たいていの人は、そこに何の問題も見出さなかったはずである。長年、コロンブスは「新大陸を発見した偉人」とする評価が一般的だった。また、猿というモティーフが有色人種の差別表現であるとして多くの状況でNGになったのも、ここ最近のことに過ぎない。

Mrs. Green Appleの「コロンブス」が炎上するのは、十数年前では起こり得なかった、きわめて現代的な事象なのである。現代のあまりに急速な社会常識の変化が、20代の将来有望なミュージシャンたちのキャリアに、忘れがたき深い傷を負わせた。生きづらい世の中になった、と嘆いてばかりもいられない。Mrs. Green Appleだけではない。私たちの誰もが、この急速な社会変化の中を、潜り抜けていかねばならないからである。

自己否定を繰り返し、再構築を続けるシステム「近代」

なぜ今日では、かくも急速に常識が変化するのか。その理由は、私たちが生きる社会が「近代」(モダン)という枠組みの中にあるからである。この「近代」の駆動メカニズムを理解すると、私たちは今の社会の成り立ちや動き方の特徴が見えてくる。

近代とは、批判を恐れず簡便に定義をするなら、古い非合理的・非合法的な制度・しきたりを廃棄し、自然科学・社会科学・人文科学の諸活動に基づいて、合理性に根差した社会システムによって人間生活が営まれるようになった時代のことをいう。

科学的合理性に根差した社会システムとはつまり、あらゆる社会の仕組みが、論理的に説明できるものである、ということを意味する。なぜ、国家という単位を持つのか。なぜ、三権分立をするのか。なぜ、働くのか。金融とはいかなる仕組みか。何が、正しい事なのか。科学の力が、それらの全てに根拠を与える。そういう社会構造のもとに、私たちは生きている。

この特徴ゆえに、近代という社会構造の中では、科学が発展するにつれ、その諸原理が否定され、再構築されていく。かつては正しいとされていたことが誤りであったとされて、新しい科学理解に基づき、新しい常識が生み出されるのである。

かつて80年代には、原子力が日本の未来のエネルギーと明るく信じられていたことを覚えている人は少ないだろう。原子力は、化石燃料に頼らない、地球環境を破壊しない、夢のエネルギーだったのである。だが、現代日本では、そのように考える人はもはや少数派だろう。

科学の進歩によって常識が覆った事例など、枚挙に暇がない。100年前であれば、ノルマを達成できたかどうかで賃金水準を決定することが、労働者の「科学的な管理法」であると信じられていた。現代ではそれはサボタージュの主要因とみなされている。外科手術の前に手を洗うことが常識となったのは1870年頃のことである。企業が長期繁栄するためには、策略を巡らせるよりも競争力を高めることだ――が常識となったのも、実はようやく2000年頃のことである。

私たちの生きる近代以降の社会では、科学の進歩とともに新しい常識が生み出されては、長い年月のなかで更新されていくことになる。別の見方をすれば、私たちの社会を構成している諸原理――たとえば、資本主義だとか、国民国家、組織の階層構造、大量生産、労使関係といったもの――はすべて、科学的な疑いの目がかけられ続け、新しい常識へと再構築される可能性にさらされている。いかなる過去の常識に根差して活動することも、その常識が覆るリスクを抱え込むことになる。

今の価値観では昔の価値観は「誤った」ものに思う

そして現代では、この科学的常識の変化のスピードが、加速しようとしている。現代は、第4次産業革命と言われる、産業の基盤技術と、社会構造の変化が同時進行している時代である。生成AIやロボットの登場は、自然科学のみならず、人文・社会科学分野にも、決して小さくない影響を与えている。新しい技術的環境に合わせ、新しい社会制度や文化が必要とされているからである。

Mrs. Green AppleがMVで扱った「コロンブス」と「猿」は、まさにこの十数年で、常識がアップデートされたテーマであった。コロンブスはもはや虐殺者とみるべき存在であり、アメリカ大陸で紡がれてきた文明の破壊者である。猿は、有色人種を差別する意図を含むとみられやすい微妙なモティーフであり、おいそれと使ってはいけない、というのが一般的理解になろうとしている。

だからこそ、若者たちは驚いた。自分たちの時代をうたっているはずの人気ミュージシャンが、まさか、旧時代の人々がもつ“誤った昔の価値観”でMVを作るなんて。そのショックは計り知れず、かくも大きな炎上案件となってしまったのである。

かつて許されていたものが、明日にも「古い考え方」となり、社会からNoをつきつけられる。そんなゲーム構造のなかで、私たちは生きていくことが求められる。それが科学を土台とする近代という社会の基本駆動原理だからであり、そして今が科学の加速期だからである。

「コロンブス」騒動の隠れた勝者

我々が「コロンブス」の炎上から学ぶとすれば、それは、窮屈なようでも、変わりゆく常識の理解をアップデートしていかねばならない、ということだ。誰しも、もはや他人事ではない。いつなんどき、自分の考えが古くなってしまっており、炎上しないとも限らない。私たちは常に理解をアップデートし続けていかねばならない。

そして最後に。一見すると、誰も得をしなかったようなこの「コロンブス」騒動。だが、もしこの騒動で何らかの利を得た存在があるとすれば、それは誰だろうかと考えてみよう。今回の騒動を喜んだ人がいるとすれば、「コロンブスは新大陸を発見した偉人」ではなく、「コロンブスは虐殺者である」という認識を固めたいと願っていた人々であろう。先住民族の名誉のためか、歴史学的な見地からの正義感からか、はたまた自らの利益のためか。

かつてはマイノリティの側にあり、コロンブスの歴史認識をめぐるゲームチェンジを虎視眈々と狙っていた人は、この騒動に満足げに頷いていたに違いない。近代というゲームの勝者は、常に、その構造を打破するゲームチェンジャーなのである。

著者:中川 功一

https://news.goo.ne.jp/article/toyokeizai/business/toyokeizai-767002.html?page=1

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