先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

6歳園児、夢の初個展 苫小牧の大宮正乃ちゃん、市内のイオンで 「わびさび」水彩で表現

2023-07-28 | アイヌ民族関連
会員限定記事
北海道新聞2023年7月27日 19:03(7月27日 19:23更新)

自宅で絵を描く大宮正乃ちゃん(家族提供)
 苫小牧市の幼稚園児大宮正乃(しょうだい)ちゃん(6)が、初の個展「わびさび展」を31日までイオンモール苫小牧で開いている。子どもの夢をかなえるイオン系列の企画に「個展をひらきたい」と応募し、実現した。日本の風情を感じさせる茶室や花火をみずみずしい感性で描いた作品を展示しており、正乃ちゃんは「一生懸命描いたので、多くの人に見てほしい」と笑顔で話す。
■「ピカソみたいな画家に」
 墨で描いた茶道の道具や茶室、色鮮やかな打ち上げ花火―。会場には、正乃ちゃんが6月上旬から一気に描き上げた水彩画など26点が並ぶ。個展のテーマ「わびさび」は正乃ちゃんが考えた。5月に茶道の体験や水墨画に触れる機会があり、「日本のことに興味を持ったから」という。個展を訪れた開成中3年の島田響さんは「発想が独創的ですごい。僕も趣味で絵を描くので参考になる」と話す。
・・・・・
個展は無料で、午前9時~午後9時(最終日は午後5時)。(小林彩乃)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/884436/

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<厚岸>町民と連携 天文ファン増やしたい 川守葉月さん(28)

2023-07-28 | アイヌ民族関連
会員限定記事
北海道新聞2023年7月27日 09:27

川守葉月さん
 【厚岸】「今年は、プラネタリウム誕生100周年。町民のみなさんと連携し天文ファンを増やしたい」。プラネタリウムがある町海事記念館の天文担当学芸員の川守葉月さん(28)は力を込める。
 直径10メートルの円形ドームのプラネタリウム(85席)は1988年の開館当時から目玉施設。当初は一般向けに四季の星座や天体現象などをテーマにした「通常番組」のみだった。2018年度から小学低学年と幼児も楽しめる番組も制作。さらに20年度からは、ドーム全体に映し出せるプロジェクターを配備し「全天周番組」も投影している。
・・・・
(大滝伸介)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/884105/

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先住民族としてのアイヌの権利

2023-07-28 | アイヌ民族関連
毎日新聞2023年7月28日

サケ捕獲権の確認を求める訴訟を起こすため札幌地裁に入るラポロアイヌネイションのメンバーら=札幌市中央区で2020年8月17日、山下智恵撮影
 日本政府はアイヌを先住民族と認めていますが、先住民族としての権利は保障していません。北海道ではアイヌ民族にとって大切なサケ漁の権利保障を求める「サケ捕獲権確認訴訟」も行われています。
 国際人権法が専門で、『先住民族と国際法』などの著書がある中央大学大学院教授の小坂田裕子さんに聞きました。【聞き手・須藤孝】
 ◇ ◇ ◇
 ――日本政府がアイヌ民族を先住民族と認めるまで随分時間がかかりました(※1)。
 小坂田氏 政府に「日本は単一民族国家」という思い込みが強くありました。また、アイヌは長く差別を受けてきたために、出自を明らかにしない人が多かったのです。
 そのためもあってアイヌとして把握される割合が、他国の先住民族に比べて小さかったこともあります(※2)。
 民主主義国家では数が少ないことは議会で取り上げられることが難しいことにつながります。
 差別は、教育の問題と関連して、現在でも続いています。2020年7月に北海道白老町に開業した民族共生象徴空間、愛称ウポポイにも多くのヘイトコメントが寄せられています。
 諸外国でも先住民族の権利を認めるとバックラッシュ(反動)がありますが、日本は権利を認めていない、それ以前の段階でありながら激しいヘイトスピーチがあります。
 アイヌ施策推進法(19年施行、アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律)では、アイヌであることを理由とする差別などを禁止していますが、罰則規定はありません。
 また国及び地方公共団体の責務として教育などを通じて、アイヌに関する国民の理解を深めるよう努めなければならないとされていますが、北海道を除いて、アイヌの歴史や文化についての教育は十分には行われていません。
 ――日本政府は先住民族の権利は認めない立場です。
 ◆日本政府は「先住民族の権利に関する国連宣言」(07年)の前文に、「国及び地域的な特殊性」を考慮するとあることを理由に、先住民族の権利を保障しないことを正当化しています。
 しかし、この記述は宣言の他の部分と合わせて読まなければなりません。同じ前文には「本宣言中のいかなる規定も…自決権を否定するために利用されてはならない」とありますし、本文の第45条には「本宣言中のいかなる規定も、先住民族が…将来取得しうる権利を縮小あるいは消滅させると解釈されてはならない」とあります。
 この記述は、先住民族の自己決定権を認めた上で、それが国や地域の異なる必要性や希望に応じて行使されることを妨げてはならないという趣旨です。
 ――政府は、国民の理解が得られないことも指摘しています。
 ◆国連宣言や自由権規約などの国際人権法は、先住民族の権利を認めるようになっていますが、国民の理解のレベルに関わらず、その実現を求めています。
 ただしバックラッシュには警戒が必要で、アイヌの歴史や文化の教育などを通じたマジョリティーの理解の深化は求められます。これについてはアイヌ施策推進法で規定される責務を国などがしっかりと果たしていく必要があります。
 ――大切なのは、個人ではなく集団として民族の権利を保障することです。
 ◆国連宣言の作成過程でも焦点になりました。人権は伝統的には、宗教などの中間集団から個人を解放し、国家と対峙(たいじ)する個人を保護するために権利を認めるもので、個人の権利こそが人権だという考え方があります。
 また、各国は先住民族に集団としての自己決定権を認めると、国家の一体性や領土保全に影響が出ると恐れました。
 一方で、先住民族側は集団の権利を強く主張しました。先住民族にとって土地や資源は個人で勝手にやりとりできるものではなく、集団の意思決定のもとに置かれているという理由です。個人の権利に解消してしまうと、集団が維持できなくなり、同化をとめることができなくなります。集団としての意思決定が自分たちの本質だとずっと主張してきました。
 ――日本でも先住民族としての集団の権利を求める訴訟があります。
 ◆20年8月に北海道浦幌町に拠点をおくアイヌ団体、ラポロアイヌネイションがサケ捕獲権の確認を求めて提訴しました。
 サケは食料としても衣服などの材料としてもアイヌの生活の重要な資源でした。明治政府が環境保全の名の下に河川でのサケ漁を一般的に禁止した経緯があります。
 ――他国でも同じ行動があるのですね。
 ◆先住民族が司法の場に持ち込んで権利回復を目指すことは世界各国で見られます。
 米国でも先住民族によるサケ漁業権を求める闘いが司法の場に持ち込まれ、1974年の勝訴(ボルト判決)を通じて、権利回復が実現してきました。
 日本に限らず、マイノリティーである先住民族が民主主義国家で立法過程を通じて権利を実現することは難しいため、司法の場で闘うことが行われてきたのです。
 ――日本には先住民族の権利を認めた法律がありません。
 ◆米国やカナダ、ニュージーランドでは歴史的に国や州などと先住民族が結んだ「条約」があり、それをてこに権利回復をしてきました。日本にはそうした「条約」はありません。
 そこで国際人権法が役割を果たします。政府に先だってアイヌ民族を先住民族と認めた二風谷ダム判決(札幌地裁、97年)でも自由権規約が決定的な役割を果たしました。サケ捕獲権確認訴訟でも、国連宣言や自由権規約などを法的基盤の一つにしています。
 ――国際人権法というと縁遠く感じますが、自分たちの人権を守るために使えるのですね。
 ◆法的基盤としてだけではありません。国連宣言の起草作業にもアイヌが参加しました。国連の「先住民族問題常設フォーラム(PFII)」や「先住民族の権利に関する専門家機構(EMRIP)」の会合にアイヌが参加したこともあります。
 また条約機関の日本政府に対する審査にアイヌが行って、政府へ勧告するようロビイングを行うこともあります。
 国連機関の勧告があれば日本国内での活動に理解を得る助けになります。また、他国の先住民族と出会い、互いに学ぶ場にもなります。すぐに効果が出るわけではないかもしれませんが、じわじわと全体を底上げしていく力にできます。
※1 2008年6月に衆参両院で「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が全会一致で採択。同時にアイヌを先住民族と認める官房長官談話を発表。19年5月施行のアイヌ施策推進法に「先住民族」と明記。
※2 北海道の「アイヌ生活実態調査(17年)」では1万3118人。
小坂田裕子さん
中央大学大学院法務研究科教授
 京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程修了・同博士課程修了。ユトレヒト大学(オランダ)LL.M.取得(平和中島財団奨学生)。中京大学法学部教授などを経て、2022年4月から現職。主な研究テーマは、国際人権法における先住民族の権利、難民・庇護(ひご)希望者の権利。共編著『考えてみよう 先住民族と法』、 単著『先住民族と国際法 ―剥奪の歴史から権利の承認へ』。
https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20230727/pol/00m/010/004000c

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国際シンポジウム「先住民観光の挑戦」開催

2023-07-28 | 先住民族関連
カナダ観光局2023年7月27日 15時00分

カナダ先住民およびアイヌを代表するアーティストやリーダーたちの対話を通して、文化実践およびエンパワーメントの機会としての観光の可能性を考える
カナダ観光局(日本地区代表:半藤将代)は、北海道大学観光学高等研究センター、アイヌ民族文化財団、国立民族学博物館と共催で、2023年9月14日(木)、北海道大学(北海道札幌市)にて、先住民族の文化実践およびエンパワーメントの機会としての観光のあり方を考えるシンポジウムを開催します。
先住民族が独自の文化を安心して実践し、主体的に外部に発信していくことは、先住民族への理解と関心を促すと同時に、コミュニティとしての誇りや自信を深める原動力となります。本シンポジウムでは、北太平洋を囲む先住民族であるアイヌとカナダ西海岸先住民族が対話し、未来に向けた文化伝承と観光の関わりについて相互に学び合います。共生社会をつくるための有力な手段である先住民主体の観光の役割を考えることを目的とします。
当日は、世界の先住民観光を主導するカナダ先住民観光協会会長兼CEOキース・ヘンリー(Keith Henry)による基調講演『カナダ先住民観光の意義と未来』をはじめ、先住民文化伝承と観光の促進に貢献するカナダ西海岸の先住民アーティストや、北海道のアイヌ民族のアーティストの方々を招聘し、現在の取り組み事例を発表いたします。
<概要>
日時:2023年9月14日(木) 13時~17時
会場:北海道大学 人文・社会科学部の教室(共同講義室W103)
題名:先住民観光の挑戦
言語:日本語/英語 ※逐次通訳対応
主催:北海道大学観光学高等研究センター、アイヌ民族文化財団、国立民族学博物館、カナダ観光局
協力:日本カナダ学会、エア・カナダ
後援:カナダ大使館、北海道アイヌ協会
定員:200名 ※このシンポジウムにはどなたでもお申込みいただけます
費用:参加費無料
申込:以下のウェブサイトより事前申し込み
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSdhv9gagpW95-ZKiDJ95zkdYxr4VfP5iC_V_e7_1a8m5v7ZKg/viewform
<プログラム>
■13:00-13:10
<開会挨拶>
半藤将代(カナダ観光局)/ 村木美幸(アイヌ民族文化財団)
■13:10-14:10
<基調講演>
『カナダ先住民観光の意義と未来』
・キース・ヘンリー/Keith Henry(カナダ先住民観光協会会長兼CEO)
■14:15-15:00
<講演>
『カナダ西海岸の先住民観光の取り組み事例』
・ジスガング・ニカ・コリソン/Jisgang Nika Collison(ハイダ・グワイ)
・アンディ・エバーソン/Andy Everson(コモックス)
■15:05-15:50
<講演>
『アイヌ文化伝承と新たな取り組み事例』
・関根真紀(アイヌ工芸家/平取)
・藤戸康平(アイヌアート彫刻家/阿寒)
・野本正博(民族共生象徴空間運営本部副本部長/白老)
■16:00-17:00
<パネルディスカッション>
『先住民の文化実践およびエンパワーメントの機会としての観光のあり方』
「文化伝承」と「観光」をどう結びつけるか。自分たちの物語を分かち合う観光のかたちとは。未来の共生社会をつくる観光の力などについて対話を深めます。
・岸上伸啓(国立民族学博物館)※モデレーター
・ジム・ハート/Jim Hart(ハイダ・グワイ)
・クリスチャン・ホワイト/Christian White(ハイダ・グワイ)
・エイプリル・ホワイト/April White(ハイダ・グワイ)
・ジスガング・ニカ・コリソン/Jisgang Nika Collison(ハイダ・グワイ)
・アンディ・エバーソン/Andy Everson(コモックス)
・関根真紀(アイヌ工芸家/平取)
・藤戸康平(アイヌアート彫刻家/阿寒)
・野本正博(民族共生象徴空間運営本部副本部長/白老)
<注意事項>
・スケジュールは予告なく変更する場合がございます。
・プログラム進行の妨げや、登壇者、他の来場者の迷惑になると主催者が判断するような言動があった場合は、強制で退出頂く可能性がございます。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000003.000081807.html

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オーストラリアの先住民のルーツを持つ新進ダンス・アーティスト、初来日

2023-07-28 | 先住民族関連
日本とオーストラリアの先住民の文化芸術活動の対話に参加
公益財団法人セゾン文化財団2023年7月27日 11時00分
オーストラリアでの先住民への抑圧の歴史を紐解き、今日の問題として問い直す作品を創作するダンス・アーティスト、ナヨカ・ブンダ・ヒース(オーストラリア)を招へいします。アイヌの伝統歌を歌う「マレウレウ」のメンバーであり、国内外のフェスティバルで作品を発表するアーティストのマユンキキとともに東京、北海道に滞在し、それぞれの土地を巡りながら、日本とオーストラリアの先住民の文化芸術活動の創造的な対話を深めます。

日本とオーストラリアの先住民の文化交流を促すアーティスト・イン・レジデンス
セゾン・アーティスト・イン・レジデンスでは、フッツクレイ・コニュニティ・アーツとの交流事業の一環として、オーストラリア、メルボルンを拠点にコンテンポラリーダンスで活動するナヨカ・ブンダ・ヒースを招へいします。
本交流事業は日本とオーストラリアの先住民の文化芸術活動に関する理解や対話の場を創出する目的とし、両国の先住民の文化的リーダーやアーティストを招へいするアーティスト・イン・レジデンス事業です。
本年度はオーストラリアの新進気鋭のダンス・アーティスト、ナヨカ・ブンダ・ヒースが来日し、アイヌの伝統歌を歌う「マレウレウ」のメンバーであり、国内外のフェスティバルで作品を発表するアーティストのマユンキキとともに東京、北海道に同時に滞在し、それぞれの土地を巡ります。
東京では、森下スタジオでナヨカ・ブンダ・ヒースの創作のアイデアや活動の理解を深めるアーティスト・トークとワークショップを開催します。先住民の文化芸術活動に関する創造的な対話や挑戦にどうぞご期待くだい。
オーストラリアでの先住民への抑圧の歴史を紐解き、今日の問題として問い直す作品を創作
ナヨカ・ブンダ・ヒースはオーストラリアの先住民、Wakka Wakka、Nguigi(クイーンズランド)とBirrpai(ニュー・サウス・ウェールズ)のルーツを持ち、アボリジナル・センター・オブ・ザ・パフォーミング・アーツでディプロマを取得後、ビクトリア芸術大学でダンスを学びました。卒業後、オーストラリアを代表するダンスカンパニー、バンガラ・ダンス・シアターの研修生として青少年教育プログラムの指導に関わり、現在、先住民のダンスカンパニー、チャンキー・ムーブのコーディネーターを務めています。
自身の振付作品としては、2019年、オーストラリアでの政府当局によるアボリジニの若者の強制移住に関する家族の歴史を語るレクチャー・パフォーマンス、『Blood Quantum(血の含有率)』を発表。自身の母方の祖父母の幼少期の出来事を出発点に、3世代にわたる「盗まれた世代」のトラウマとその制度の影響を描く作品として注目を集めました。また、『Blood Quantum』に次ぐ、『Birrpai』(2021年)では植民地時代にアマチュアの写真家、トーマス・ディック(1877-1927)が捉えたBirrpaiの写真をもとに父方の先祖の歴史を取り上げ、メルボルンのグリーンルーム・アワードで、ダンス・ベスト・デュオ/アンサンブル賞を受賞しています。
事業概要:セゾン・アーティスト・イン・レジデンス フッツクレイ・コニュニティ・アーツ交流事業
* 招へいアーティスト:ナヨカ・ブンダ・ヒース Ngioka Bunda-Heath [オーストラリア]
* 同時滞在アーティスト:マユンキキ Mayunkiki[日本]
* 滞在期間:2023年8月15日(火)― 9月11日(月)
* 滞在場所:森下スタジオ(東京都江東区森下3-5-6)、天神山アートスタジオ(北海道札幌市豊平区平岸2条17丁目1-80)
* 主催:公益財団法人セゾン文化財団、助成:令和5年度文化庁「アーティスト・イン・レジデンス活動支援を通じた国際文化交流促進事業」
関連イベント情報
アーティスト・トーク「コンテンポラリーダンスを脱植民地化する試み」
* 日時:8月17日(木)19:00~20:30
* 場所:森下スタジオ(東京都江東区森下3-5-6)
* 概要:ナヨカ・ブンダ・ヒースの創作のアイデアや活動の理解を深めるアーティスト・トークを開催。ブンダ・ヒースの代表作『Blood Quantum』、『Birrpai』、『Bridge』を事例に、ブンダ・ヒースの創作のアイデアやプロセスを明らかにします。ゲストに同時滞在アーティストのマユンキキが登壇予定。
* 詳細は当財団のウェブサイトで発表いたします。https://www.saison.or.jp/air
ワークショップ「コンテンポラリーって何?:コンテンポラリーダンスのオープンワークショップ」
* 日時:8月28日(月)19:00~21:00
* 場所:森下スタジオ(東京都江東区森下3-5-6)
* 概要:ダンスの基礎的なワークとしてフロアワークやトラベリング、インプロヴィゼーションや、ダンサーに身体と心の自由を探求させる速いテンポのワークを実践するワークショップを開催。ダンスのトレーニングを受けているダンサーを対象。
* 詳細は当財団のウェブサイトで発表いたします。https://www.saison.or.jp/air
招へいアーティスト プロフィール
ナヨカ・ブンダ・ヒース/Ngioka Bunda-Heath
オーストラリアの先住民、Wakka Wakka、Nguigi(クイーンズランド)の母とBirrpai(ニュー・サウス・ウェールズ)の父を持つ。アボリジナル・センター・オブ・ザ・パフォーミング・アーツでディプロマを取得後、ビクトリア芸術大学でダンスを学び、学士号を取得。ダンスを専門に同大学を卒業した初の先住民の女性アーティスト。
卒業後、オーストラリアを代表するバンガラ・ダンス・シアターで青少年教育プログラム「Rekindling」の指導に関わり、現在、チャンキー・ムーブの「First Peoples Partnership」のコーディネーターを務めている。
自身の振付作品には、『Blood Quantum』(2019年)、『Birrpai』(2021年)、『Bridge』(2022年)、『Footprints』(2022年)などがある。
2021年、『Birrpai』でメルボルンのグリーンルーム・アワードのダンス・ベスト・デュオ/アンサンブル賞を受賞している。
同時滞在アーティスト プロフィール
マユンキキ/MAYUNKIKI
1982年生まれ。北海道出身・在住。アイヌの伝統歌を歌う「マレウレウ」「アペトゥンペ」のメンバー。2021年よりソロ活動開始。音楽分野だけでなく国内外のアートフェスティバルに参加。アイヌ語講師、札幌国際芸術祭(SIAF)2017バンドメンバー(企画チーム)、SIAF 2020ではアイヌ文化コーディネーターをつとめる。
2018年より、自身のルーツと美意識に纏わる興味・関心からアイヌの伝統的な文身「シヌイェ」の研究を開始。現代におけるアイヌの存在を、あくまで個人としての観点から探求し、表現している。
2020年には、第22回シドニー・ビエンナーレ「NIRIN」に参加。同年、写真家の池田宏と「シヌイェ アイヌ女性の入墨を巡るプロジェクト」(北海道・白老)、2021年「シンリッ アイヌ女性のルーツを探る出発展」(北海道・札幌、CAI03)、2022年「Siknure – Let me live」(イギリス・バーミンガム、Ikon gallery)を開催。
セゾン・アーティスト・イン・レジデンス
― 新しい出会いや対話、ネットワークの機会を創出する ー
公益財団法人セゾン文化財団は、堤清二氏(1927-2013)の私財によって設立された助成型財団です。1987年より日本の現代演劇・舞踊の振興、およびその国際交流の促進に寄与するため、助成活動を行っています。
セゾン・アーティスト・イン・レジデンスは2011年からセゾン文化財団が東京・江東区の森下スタジオを拠点に展開しているアーティスト・ン・レジデンス事業で、海外の芸術家や芸術団体等との双方向の国際文化交流の活性化を目的に実施しています。
これまでに海外から約70名のアーティストやアーツ・マネジャーを招へいし、国内のアーティストや関係者との新しい出会いや対話、ネットワークの機会を創出しています。滞在後に創作され作品はフェスティバル・ドートンヌ・ア・パリ(フランス)やクンステン・フェスティバル・デザール(ベルギー)などの海外有数のフェスティバルで発表されています。また、過去の滞在アーティストには2022年度の国際芸術祭「あいち2022」で作品を発表したトラジャル・ハレル(米国/ギリシャ)や横浜国際舞台芸術ミーティング2022で作品を発表したヤン・ジェン(中国)などがいます。
フッツクレイ・コニュニティ・アーツ交流事業
フッツクレイ・コニュニティ・アーツ交流事業は、オーストラリアのメルボルン郊外にあるコミュニティ・アーツ・センター(1974年開館)とセゾン文化財団が2021年にスタートした提携事業で、昨年度はメルボルンを代表する先住民文化のリーダーで、地元で唯一ストーリーテリングに特化している長老の一人、アンクル・ラリー・ウォルシュと、フッツクレイ・コミュニティアーツのシニア・プロデューサー、ダン・ミッチェルを招へいしました。
公益財団法人セゾン文化財団
所在地:〒104-0031 東京都中央区京橋3-12-7京橋山本ビル4階  
URL:https://www.saison.or.jp/
写真を含むプレスリリースのダウンロード先
https://www.saison.or.jp/2023_fca_ngioka_release

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厳かに伝統儀式、豊浦アイヌ協会 古式舞踊も披露「自然観感じ取って」

2023-07-28 | アイヌ民族関連
室蘭民報2023/07/26 21:00

アイヌ民族の古式舞踊を体験する子どもたち
 北海道豊浦アイヌ協会(宇治義之会長)の伝統儀式「カムイノミ・イチャルパ」が22日、豊浦町礼文華の町アイヌ文化情報発信施設・イコリであり、出席者は神々に祈りをささげ先祖を供養した。
 アイヌ文化の伝承を目的に、毎年行われている。この日は同協会会員や礼文華小学校の児童ら約80人が参列。厳かな雰囲気の中で、豊漁や生活の安泰を祈る「カムイノミ」、先祖供養の「イチャルパ」を作法にのっとり実施した。静内民族文化保存会のメンバーによる古式舞踊も披露され、子どもたちも一緒に参加した。
 儀式を終えた村井洋一町長は「アイヌ民族の歴史と文化を次の世代へ継承してほしい」、宇治会長は「私たちの持つ自然観を一部でも感じ取ってもらえれば」と願っていた。
https://hokkaido-nl.jp/article/30218

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【倉本 聰:富良野風話】洪水の季節

2023-07-28 | アイヌ民族関連
財界2023-07-27

洪水の季節である。
 地球温暖化による異常気象のせいか、昨今俄かに注目を集め出した線状降水帯なる新しい流行語が連日のようにテレビの画面を賑わし、改めて地球が水の惑星であったことを思い出させてくれる毎日である。
 テレビ各局のそうした報道を見ていて、イライラすることが山程ある。その一つが降水と氾濫の因果関係を報道がちっとも正確に伝えていないことである。
 わが家は山裾の谷間にあり、家の建つ崖下には沢が流れている。普段はかすかな水量の沢だが、山に雨が降ると、たちまち水量を増し、アッという間に急流となる。一度などは十数メートルの深さの谷の半分くらいまでふくれ上がった。この時は水流が何本もの巨木をなぎ倒し、上流から無数の石や岩を一晩中、雷鳴の如くゴロゴロと流して、どうなることかと蒼ざめた。
 その時の山に降った雨量は1時間にわずか60ミリ。それが北の峯という1つの山から数本の沢となって下界に駆け下り、空知川という一級河川に一挙に流れこむわけであるから空知川はたちまちふくれ上がり、田畑・住宅地を飲みこんで、やがては石狩川に合流するのである。石狩川が氾濫を起こすのは当然である。
 しかも、わが家の下を流れる通称、二線沢などは全体の流れからみれば微々たるもので、十勝山系から流れこむベベルイ川、布礼別川ほか、名のついた河川からの水の量はゾッとする程の巨大な量で、それが一斉に下流を襲うのである。
 山から走りこむ水流の道は、1本の草や木を引っこ抜いてみればよく判る。たとえば、それをジャガ芋にたとえれば根はいくつもに枝分かれし、更にその先が枝分かれし、更に更にその先が枝分かれして、その先に小さな小芋がついている。この小芋がいわば水源林であると、わが富良野自然塾では説明するのだが、植物の根の形は地中に拡がる水の流れに酷似している。だから山の中のどの部分に豪雨が降ったかということは、下流を走る一級河川の水量をどこでいつ突然ふくれ上がらせるかに直接関係するのだが、テレビの報道は下流の洪水を伝えるだけで上流の降雨のことを一向伝えない。
 今一つの大きな問題は下流の都市開発の問題である。例えば東京の新興地の、水の出た地名をよく調べると、元々の地名にサンズイのついていた場所が実に多い。古人は元々水の出る土地にサンズイを冠して警告したものと僕は考える。しかし無責任な町名変更とか、売れれば良いという不動産屋の思惑の中で、今や旧名にサンズイがついていたかどうかなどは、売る者も買う物も恐らく殆んど気にしないのではあるまいか。
 アイヌ語では大水が出た時、暴れる川をベツ。暴れない川をナイと呼んだ。ついでに言うなら飲める水をワッカ。飲めない水をペと呼んだという。稚内(ワッカナイ)とは、飲める水が暴れず常に流れている場所の意である。
https://www.zaikai.jp/articles/detail/3015

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「もう時間がない」消滅寸前の満洲シャーマンのいまを追ったロードムービー

2023-07-28 | 先住民族関連
フォーブス2023.07.27

新疆ウイグル自治区イリ・カザフ(伊犁哈薩克)自治州チャプチャル・シベ(察布査爾錫伯)自治県に住むシベ族のサマン
北東アジアにはシャーマンという不思議な存在がいる。
ここでいう北東アジアとは、日本列島の北方に広がる中国東北地方や極東ロシア、シベリア、モンゴル、朝鮮半島などだ。これらの地域に古来住んでいた諸民族に共通するのがシャーマンの文化である。
中国ではこれを「薩満(サマン)」と呼ぶ。自然崇拝や祖先崇拝をベースとしたアニミズム的な世界観のなかで、民族や一族の平安のため、憑依や脱魂をともなう儀式を執り行うことで、天の神と人をつなぐ宗教的な存在である。
なかでも中国の少数民族のひとつ、清朝を興した満洲族のサマン文化は長い伝統と格式を有していたが、20世紀初頭の清朝滅亡から100数年を経たいま、消滅寸前の事態を迎えている。
背景には、中華人民共和国の建国や文化大革命、さらにその後に行われた少数民族に対する政策もあり、社会の現代化やグローバル化の時代を迎えたいま、古来受け継がれてきた信仰や儀式に加え、満洲語や満洲文字といった民族のアイデンティティに関わる文化の体系を後世に伝え、維持することが困難になっているからだ。
■「天空のサマン」が撮影された背景
そのような状況のなかで、現在の満洲族のサマン文化の姿を記録に留めようとした人物がいる。映像作家でミュージシャンでもある金大偉(キン・タイイ)さんだ。
金さんは中国遼寧省撫順市の生まれ。父は満洲族、母は残留孤児だった日本人で、1979年11月、13歳のときに家族と日本に移り住んだ。都内の美術大学を卒業後、在京テレビ局で情報番組などのディレクターを務める。その後フリーとなり、美術活動とともに、中国雲南省の少数民族ナシ族の象形文字「トンパ」をテーマにした音楽作品や、詩人の石牟礼道子のドキュメンタリー、アイヌをテーマにした映画などを制作してきた。
そんな彼が、先ごろ「天空のサマン」(2023年)というドキュメンタリー映画を発表した。
この作品は、ひとことで言えば、満洲族の血を引く彼が主に中国東北地方各地に住む満洲族の村を訪ね、現存するサマンや村人たちに会って話を聞き、いまや失われつつある満洲語の口語や民謡、神歌などともに、数年に一度というサマンの儀式を映像に収めたロードムービーだ。
「天空のサマン」という作品の特徴としては、きわめて音楽的であることだ。実は、彼は2015年にも「ロスト マンチュリア サマン」という同テーマの作品を発表しており、今回の作品はその完結編に当たる。
何が撮られ、どんなことが語られているかについては、作品を観ていただくしかないが、筆者にとって金さんは古い友人であり、この作品が撮られるに至った経緯を少なからず知る立場にある。
作品を理解するには、現地事情をはじめとした背景情報が必要とされると思うので、「前説」をさせていただくことにしたい。
まず撮影場所についてだが、作品には中国東北地方の満洲族ゆかりの地や彼らの暮らす村など13カ所、そして新疆ウイグル自治区イリ・カザフ(伊犁哈薩克)自治州が登場する。日本人にはもちろん、中国の人でもほとんど知らない辺境の地が多いので、重要な場所をいくつか選んで簡単に説明したい。
まず映像にしばしば登場する吉林省延辺朝鮮族自治州にある山は、満洲族生誕の地とされる長白山だ。北朝鮮国境にまたがり、天池と呼ばれるカルデラ湖がある。この美しい湖は民族の発祥神話の舞台なのである。
また中国遼寧省撫順市郊外にある永陵とヘトゥアラ城は、清朝の前身である後金の初代皇帝ヌルハチの墓で、後者は彼が都城としていた。そして、ここは満洲語では「愛新覚羅」と呼ばれる金さんの一族が長く暮らしていた土地でもある。2004年にユネスコの世界遺産に登録されているが、作品の監督である金さんによれば、現在の姿は「テーマパークのような世界」だという。
黒龍江省チチハル市富裕県三家子村には、中国国内でほぼ唯一といっていい村人に満洲語を教える学校がある。村には若い満洲語の教師がいて、地元の子供たちに満洲語を教えているが、その継続には多くの困難があることが作中では伝えられる。中国社会で生きるためには、民族の言葉よりも漢語の能力が必要とされるからである。
映像に収められた貴重なサマンの儀式
この作品のひとつのハイライトとなるのが、2012年に金さんが訪ねた新疆ウイグル自治区イリ・カザフ(伊犁哈薩克)自治州チャプチャル・シベ(察布査爾錫伯)自治県である。ここはカザフスタン国境に近い辺域だ。
シベ族は満洲族の一支族だが、乾隆帝の治世の1764年に清国の西域にある新疆地区守備を命じられ、軍隊と合わせて数千人の家族が移住した。シベ族は満洲語の一方言であるシベ語を話し、満洲文字を使用しているという。
金さんはシベ族のサマンや満洲語で歌う歌手などに会っている。シベ族のサマン神歌は、東北の満州族のものと共通点があるなど、収穫も多かった。「私にとって不思議かつ新鮮な体験だった。同時にうれしく思った」と金さんは作中で語っている。
一方、当地の人口19万人のうちシベ語を話すのは2万人ほどだった。彼は「ネイティブな満洲語はまもなく失われるだろう。もう時間はない」と思うに至ったと述べている。
2018年には、金さんはほぼ唯一のネイティブな満洲語の話者とされる何世環さんに会いに、ロシア国境に近い黒龍江省孫呉県四季村を再訪している。彼女が話すのは満洲語の方言ではあるが、「これほど流暢に話す人はいない」と金さんは言う。その意味で「人間国宝」のような人物だそうだ。
彼女が歌う民謡は「祖母が歌ってくれた子守歌に似ていた」とも金さんは言う。ただ彼女は90歳を超えており、「これで(お会いできるのは)最後かもしれない」とも言っている。
この作品の最終的な舞台となるのが、2017年11月に訪ねた黒龍江省寧安市依藍崗村だ。ここでは5年に1度のサマンの儀式が行われるとのことで、金さんは現地に呼ばれることになった。
彼がこの地を訪ねるのは2回目だが、村人たちから「もうこうした儀式を執り行うのは最後だろう」という思いを告げられ、記録してほしいと伝えられたそうだ。
作品では3日間かけて執り行われたサマンの儀式の一部始終を撮影している。さまざまな祈祷やダンス、演奏や歌、供物となる豚の生贄のシーンなど、この作品でしか観ることのできないドラマティックな宗教世界が繰り広げられる。
さて、この作品の成立に大きく寄与しているのが、東北各地に住む民間の満洲学者たちである。彼らは口々に満洲族とその文化消滅の危機を訴える。その1人である施立学さんは、清朝時代に書かれた25万部の満洲語の公文書の翻訳は民族の課題であり、このままではその実現は困難であると語っている。
満洲学者の人たちは、金さんに東北各地の満洲族の住む村やサマンたちの所在を教え、現地でコーディネイトをしてくれたという。
金さんは「文献などで書かれたものの多くは、改革開放後の自由化で満洲族たちが自らのアイデンティティを取り戻し始めた1980年代から1990年代のものが多く、今日の状況は当時の恵まれた時代とは違うため、実際に現地に行ってみなければわからないことばかりだった」と話す。そのため、2010年代以降に起きた満洲族をはじめ中国の少数民族を取り巻く社会の変異を感じざるを得なかったという。
サマン文化の最後の姿の映像
それにしても、なぜ「天空のサマン」のような作品が撮られることになったのか。
金さんは、中高生の時代はロック少年で、文化祭ではステージに立ってボーカルを担当していたという。文化大革命が終わってわずか数年という時期に中国から来日したばかりの少年が、すぐに日本人生徒に馴染んでバンド活動をしていたことは驚きだが、両親ともに画家という芸術一家に生まれた金さんにとっては自然のことだったのだろう。学生の頃の彼は自分の出自や民族について、あまり考えたりしなかったらしい。
転機は2007年だった。その年の夏、彼は出身地の中国遼寧省撫順市を訪れた。数年前から自分が満洲族の血を引く人間であることを意識するようになり、故郷を訪ねて満洲文化の痕跡を探したが、何も見つからなくてショックを受けたという。「気づくのが遅すぎだ」と彼は話す。
その翌年から毎年のように満洲各地を訪ねた。前述した満洲学者らの情報提供や支援があり、そこに満洲語の話者やサマンがいると聞くと、現地をくまなく訪ねることにした。彼によれば「自分の民族的アイデンティティに関わる使命という面もあるが、目に見えない先祖の力に守られて、果たさなければならない天命のようなものがあった」と言う。
こうした10数年のフィールドワークの旅を通じて、彼は「やるべきことはやった。よきにしろ、悪しきにしろ、私は満洲サマン文化の最後の姿の映像を撮ることになった」と筆者のインタビューに答えている。そして「ひとつの民族が信仰や言葉を失うとき、それは民族のアイデンティティを捨てることにほかならない」とも語っている。
互いに20代の頃に知り合った金さんと筆者の共通の話題は満洲だった。筆者は当時から北東アジアにある日本の近代史の舞台を訪ね、現在の姿を知りたいという思いから各地を訪ねていたからだ。
さらに金さんは残留孤児2世という意味では、筆者が親しくしている「ガチ中華」の味坊集団オーナーの梁宝璋さんと同じ境遇でもある。2人は筆者にとって満洲とのつながりを感じさせてくれる友人だ。
そんな縁から、筆者は2016年と2018年の夏、金さんの紹介でサマンの儀式が行われている黒龍江省寧安市の依藍崗村をはじめ、この作品に登場するいくつかの村や博物館、切り絵作家やサマンなどの人物を訪ねている。
そして、サマンと呼ばれる人たちも、普段は儀式を執り行う映像で観た躍動感はなく、寡黙な農民の1人であることを知った。
金さんは、「天空のサマン」というドキュメンタリー映画を監督することで、自分のルーツである民族とその文化が消滅していく最後の姿を見届け、記録するという歴史的な役割を果たすことになったが、その想像を超えた重責を、私たちはこの作品を観ることで目撃することになる。
https://forbesjapan.com/articles/detail/64790

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23年上半期アニメランキング 3位『【推しの子】』、2位『ゴールデンカムイ』、1位は?

2023-07-28 | アイヌ民族関連
ITメディアビジネス7/27(木) 9:00配信
 映画やドラマ、アニメのレビューサービス「Filmarks(フィルマークス)」を運営するつみき(東京都目黒区)は「2023年上半期アニメランキング」を発表した。ランキングの1位は『スキップとローファー』(★4.29)だった。
【画像】23年上半期アニメランキング1~10位を見る
 ランキングでは、同サービス内の★スコアを参照して順位付けを行っている。★スコアはアニメ鑑賞後に、各ユーザーが作品を★の数(5.0点満点)で評価した。
 『スキップとローファー』は、高松美咲さんによるコミックを原作とするアニメ。田舎で育った主人公が高校進学を機に上京し、首席入学した東京の高偏差値高校でのスクールライフと慣れない都会生活に奮闘する物語だ。
 鑑賞したユーザーからは「夢見る高校生活をここぞとばかりに描いてくれて、どこか胸が温まり、どこかうらやましい」「主人公の考え方が素敵で、自分の中でも大事にしたい考えになった」といったコメントが寄せられた。
 続く2位は、毎シリーズ高い評価を獲得している『ゴールデンカムイ 第4期』(★4.26)。明治末期の北海道を舞台とする同作には、主人公の元陸軍兵士・杉元佐一とアイヌの少女・アシリパを中心とした登場人物が描く物語はもちろん、狩猟、グルメ、歴史など多彩な魅力が詰め込まれている。
 3位は、新しい切り口で芸能界を描いた『【推しの子】』(★4.22)。アニメの第1話を劇場で先行上映するなど、放送前から大きな話題を集めた。放送時期は未定だが、2期の制作も決定している。
 4位以降は『天国大魔境』(★4.22)、『ツルネ -つながりの一射-』(★4.20)、『ヴィンランド・サガ シーズン2』(★4.20)、『文豪ストレイドッグス 第4期』(★4.13)、『鬼滅の刃 刀鍛冶の里編』(★4.12)、『Dr.STONE NEW WORLD 第1クール』(★4.12)、『僕の心のヤバイやつ 第1期』(★4.09)と続いた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b10e1784d885c93e7f009264d00bb2a6eb3bdfaa

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北海道の地元事業者が挑む「アドベンチャーツーリズム」、世界に売り込む準備と課題、見据える未来を聞いてきた

2023-07-28 | アイヌ民族関連
トラベルボイス2023年07月27日「アクティビティ」「自然」「異文化体験」の3つの要素のうち、2つ以上を組み合わせた旅行形態として定義されるアドベンチャートラベル(AT)。北海道にはそのコンテンツが豊富に揃う。北海道アクティビティのスペシャリスト「北海道宝島旅行社」、2023年3月に開業した北海道ボールパークFビレッジにエクスペリエンスセンターを構える「スペシャライズド・ジャパン」は、いずれも2023年9月に開催される「アドベンチャートラベル・ワールドサミット北海道・日本(ATWS2023)」を契機に、北海道の特徴を盛り込んだATを世界に売り込む準備を進めている。
北海道の価値を観光で高める、北海道宝島旅行社
北海道宝島旅行社は、北海道に特化したタビナカ事業者。「宝の島、北海道の価値をみんなでカタチに」を理念に、北海道らしい体験コンテンツの造成・販売を通じて、観光地域づくりに取り組んでいる。
その事業は主に3つ。国内向けには1300件以上の体験プログラムをOTAプラットフォームとして販売しており、現在のところ道内約350の事業者が参画している。
2つ目の事業がインバウンド個人旅行者向けのテーラーメイドツアーの企画・造成・催行。顧客のニーズを受け取り、アクティビティから宿泊、移動、ガイドの手配を行い、着地型のパッケージ旅行をサポートする。マーケットとしては、東南アジア、ハワイ、米国本土、オーストラリアなどからの受注が多いという。
3つ目が観光地域づくり。地域の観光コンテンツづくりや言語対応などの受け入れ環境の整備を支援している。同社観光地域づくり事業部の雨池さやかさんは「地域の農業や漁業の素材を生かして、持続可能な地域づくりを進めたいという観点から、観光に注目しているところも多い」と話す。その背景には、人口減少への危機感や消費者の顔を直接知りたいという生産者側のニーズがあるという。
ATWSで地域の観光素材を表舞台に
北海道宝島旅行社は、北海道に根ざしたタビナカ事業者という強みを生かし、2023年9月に開催されるATWS2023では、世界から集まる参加者向けのプレ・サミット・アドベンチャー(PSA)で8コースを担当。大雪山ハイキング、洞爺湖有珠山トレッキング、知床サイクリング、箱庭・大沼カヌー、離島ハイキング、女性のためのSDGs文化体験など多彩なATを提供する。これまでインバウンド向けテーラーメイドツアーでの経験と実績を活かしたものだ。
雨池さんは「有名な観光地でなくても、素晴らしい観光資源を持っている地域は多く、そこで頑張っている方々も多い。その地域をATWSの機会に表舞台に出して、海外にアピールしていきたいと思っています」と話す。
ATは一般的に滞在日数が長く、消費金額も大きいことから、観光の高付加価値化を可能にする旅行形態と認識されている。ATが定着・浸透することで、北海道の、日本の観光が変わることへの期待は大きい。「大切なのはATWS後のこと」と雨池さん。インバウンド向けに展開しているテーラーメイドのATが、道内の国内旅行にも広がれば、観光産業の発展や観光地域づくりの深化につながると見ている。
その国内での変化の芽は、コロナ禍を経て、少しずつ見え始めている。「以前はアトラクション的な商品が人気でしたが、現在では、人や体験にお金を使うようになってきていると感じています」と明かす。特定のガイドにリピーターが付くという傾向も見え始めたという。
「稼げるガイド」で観光の高付加価値化を
ATによる高付加価値化で重要になってくるのが、そのガイドの存在だ。雨池さんも「弊社の事業はガイドさんの力なしには成り立ちません」と、その重要性を強調する。そのガイドの力とは、ツアーの引率だけでなく、その場所、そのコト、そのモノの背景にあるストーリーを語れることだという。
ニュージーランドで2年、北海道で4年、山岳ガイドを務める尾櫃友香さんは「参加者のニーズは本当に幅広いので、自分の専門だけでなく、いろいろな情報をアップデートしていく必要があると思います」と話す。
尾櫃さんによると、日本人旅行者は風景や野生動物に関心を寄せる傾向がある一方、外国人旅行者は、旅慣れた人が多いため、たとえば、この木の年齢は? この石の種類は? この地形の成り立ちは? など、一歩踏み込んだ質問が多いという。そこで、「周氷河地形や玄武岩の成り立ちの話をすると、北海道らしさを感じて感動されるようです」と明かす。
尾櫃さんは、ツアーの前段階として地元とのコミュニケーションや下見も大切にしている。「たとえば、アイヌ文化の微妙な感覚を翻訳する場合でも、事前の情報収集は大切」という考えだ。また、ストーリーテラーだけでなく、「なるべく、ツアー参加者と地元の人たちをつなげる役割もしていきたい」と話す。
一方で、ATを普及させていくためには、そうした質の高いガイドを拡充していくことが求められている。雨池さんは「ガイドの収益性を改善し、いわゆる『稼げるガイド』を育成していくことが必要になってきます」と話す。稼げるガイド、商品単価の引き上げ、ガイド技術の向上、旅行者の満足度アップ。この好循環が観光の高付加価値化を生み出す。北海道も、その課題を認識し、従来の「北海道アウトドアガイド制度」を土台に、ATを見据えた新しいガイド認定制度の創設に動き出している。
また、雨池さんは、課題として「北海道にはブランド力はあるが、それを加工する力がない」ことも挙げた。一つ一つの素材の素晴らしさは国内外で認められているが、「それを伝える仕組みが弱い気がします」と話し、それはガイドの質にもつながる話だと続けた。
北海道の自転車体験をブランディング、スペシャライズド
自転車の世界的ブランド「スペシャライズド(Specialized)」は2023年3月、北海道ボールパークFビレッジの開業に合わせて「北海道スペシャライズド・エクスペリエンス・センター」をオープンした。自転車の販売ではなく、ロードバイクからマウンテンバイクまで自転車体験の楽しさを伝える施設として、世界で6番目、アジアでは初のエクスペリエンス・センターになる。常時50台以上のバイクを揃え、すべて試乗車としてレンタルすることができる。
日本でも、コロナ禍を経て、移動手段としてだけでなく、サステナブルで健康的なタビナカ体験の一つとして、自転車の魅力が再認識されているところだ。北海道出身のシニアデジタルコマースマルネージャーの谷口幸生さんは「世界中の人たちに、北海道での自転車体験のポテンシャルを伝えていきたい」と話す。
北海道のパウダースノーは今や世界中のスキーヤーやスノーボーダーに憧れの的。谷口さんは「同じようなブランディングが自転車でも可能だと思っています。雄大な景色の中で、気持ちよく走れる体験は北海道の強み」と強調する。
北海道でのサイクリングの課題となる冬に向けては、エスコンフィールド3塁側に隣接する場所にマウンテンバイク用の「パンプトラック」を新たに設置した。パンプトラックとは、アメリカ発祥の凹凸のあるコースで遊ぶアクティビティ。谷口さんは、「冬はパンフトラックで汗をかいて、エスコンフィールド『TOWER11』の温泉サウナに入って、『そらとしばbyよなよなエール』でクラフトビールを楽しむ、そんな過ごし方も提案していきたい」と意欲を示す。
Fビレッジがある北広島市は、サイクルツーリズムにも力を入れているという。スペシャライズドも北広島市と連携協定を結び、「ツール・ド・キタヒロ」などのサイクルイベントを共同開催している。
また、北広島市には「エルフィンロード」というサイクリングルートが整備されていることから、スペシャライズドとしても、体験プログラムとして積極的に活用していきたい考えだ。
オープンして間もないことから、現在はプロ野球観戦で訪れた人たちが立ち寄るケースが多く、「昼は家族でサイクリングを楽しみ、夜はナイターでファイターズを応援するといった人たちが目立つ」という。
ATWS2023トップパートナーとして世界に発信
スペシャライズド・ジャパンは、ATWS2023のトップパートナーにもなっている。期間中、参加者向けのサイクリングツアーも企画。会場となる札幌コンベンションセンターに特設テントを設置し、そこで試乗体験を提供するほか、北広島市のエルフィンロードは札幌市の札幌コンベンションセンターまでつながっていることから、3時間ほどのツアーも企画しているところだ。
「世界中の旅行関係者の人たちに、北海道でのサイクリングの楽しさを知ってもらい、サイクリングを絡めた新しい北海道パッケージを商品化していただければ」と谷口さん。スペシャライズドの世界的ブランド力とATWSが開催される9月の気候は、「北海道のサイクルツーリズムを世界に広める絶好の機会」と期待を寄せた。
トラベルジャーナリスト 山田友樹
https://www.travelvoice.jp/20230727-153859

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自治領か、植民地のままか 自問するプエルトリコ:過去から続く米国の今

2023-07-28 | 先住民族関連
ナショナルジオグラフィック2023.07.28
この記事は雑誌ナショナル ジオグラフィック日本版2023年8月号に掲載された特集です。定期購読者の方のみすべてお読みいただけます。
自治領か、植民地か? プエルトリコは歴史を問い直し、未来を案じる
 朽ちかけた戦車が残るフラメンコ・ビーチ。プエルトリコにある、この砂浜は、世界で十指に入るほど素晴らしいといわれている。私はプエルトリコ人として、そうした場所を写真に撮ることで、あることを伝えたいと考えてきた。美しさと楽しさに満ちた観光地にも、複雑な歴史があるのだと。そして、それを理解することは、来訪者にとっても、地元の住民にとっても大切なことなのだと。

ロイサの町で行われた文化イベントで、祖先をたたえるために女装した、アーティストのカリエル・アルヘニス・ディアス・マイソネット。この町はアフリカ人が初めてプエルトリコに連れてこられた16世紀に開かれた。多くのプエルトリコ人は近年、肌の色にまつわる偏見を改め、アフリカや先住民の伝統を積極的に受け入れるようになっている。(PHOTOGRAPH BY CHRISTOPHER GREGORY RIVERA)
首都であるサンフアンの学校に通っていた頃、自分たちの歴史に関する“もっともらしい話”をたくさん聞かされた。プエルトリコはコロンブスに“発見”され、先住民のタイノ族は一掃され、米国は“偶然”この地を手に入れたとか。プエルトリコ人は1917年に米国市民権を手にし、51年の住民投票によって独自の憲法を制定して以来、幸せに暮らしてきたとか、そんな話だ。しかし現実には、不正義がたくさん横行していた。その理由を理解できるようになったのは、自分たちの歴史をより深く学び始めてからだった。
次ページ:植民地主義と対立によって形作られてきたプエルトリコ
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「自由」と呼べるようなもの 馬と生きる黒人たち:過去から続く米国の今

2023-07-28 | 先住民族関連
ナショナルジオグラフィック2023.07.28
この記事は雑誌ナショナル ジオグラフィック日本版2023年8月号に掲載された特集です。定期購読者の方のみすべてお読みいただけます。
奴隷から解放された黒人たちは馬上で自由を感じた
 馬に乗る黒人を初めて目にしたのは6歳頃だったか。現在24歳の私はノースカロライナ州ダラム郊外で育ったが、テキサス州ダラスにある母の実家を車でよく訪ねていた。あるとき車の後部座席でぼんやりしていたら、意外なものが目に飛び込んできて、首が180度ねじれるぐらい振り返った。それが、黒人のカウボーイだった。カウボーイといえば、祖父たちと見た映画のように、馬に乗った白人が先住民と戦うのがお決まりだと思っていた。
 5年ほど前に写真を撮り始めたとき、そのお決まりをひっくり返したらおもしろそうだと思った。米国文化の狭い先入観を押し広げ、そこに私たち黒人を置いたらどうなるのか。そんなふうに考えることはいつだって大切なことだ。

マラナ・ルイスは5歳のときに初めて馬に乗った。家族の勧めで、ロデオの種目であるバレル・レースの教室に入り、これまでに愛馬スターと一緒に24回優勝している。この写真は2020年、彼女が9歳のときに撮影したもの。(PHOTOGRAPH BY KENNEDI CARTER)
1900年代初頭、南部諸州の牧畜がさかんな地域では、黒人たちが祭りやロデオを開催していた。写真はテキサス州ボーナム近くで1911年に開かれた黒人のステート・フェアで、愛馬を披露する牛飼いたち。4日間の期間中はパレードやロデオなどが行われ、競技会では最大50ドルの賞金が出た。(ERWIN E. SMITH COLLECTION OF THE LIBRARY OF CONGRESS ON DEPOSIT AT AMON CARTER MUSEUM OF AMERICAN ART, FORT WORTH, TEXAS)
 米国には黒人カウボーイの豊かな歴史があるが、自分の作品では、カウボーイではなく、「乗馬者」という包含的な表現を使うことにしたい。乗馬経験のない私は、取材ではずっと地上から乗馬者たちを観察して、撮影の許可をもらっていた。けれども、ルイジアナ州ニューオーリンズ郊外で調教師のサイラス・プラマーを訪ねたとき、ついに自分も馬にまたがることになった。馬上は快適で、すぐに慣れたかって? まさか。落ちるのではないかと気が気でなかった。ニューオーリンズは祖父の生まれ故郷で、小作人だった彼の家族は車を持っていなかったから、馬やラバで移動していただろう。そんな祖先たちとつながったようで、うれしくなった。
デッドウッド・ディックことナット・ラブは、1854年にテネシー州で奴隷の子として生まれた。南北戦争後に西部に移住し、20年間牛追いとして働いた。サウスダコタ州デッドウッドの競技会で、投げ縄と騎射で圧勝したことから、この愛称がついた。(COURTESY DENVER PUBLIC LIBRARY, WESTERN HISTORY COLLECTION)
白馬のトリガーは、大学生のビンシャ・トゥレインが13歳のときに初めて手に入れた馬だ。彼女は今、ノースカロライナ州シラー・シティにある、祖父が始めた家族経営の牧場を手伝いながら、黒人女性を中心とする乗馬クラブも主宰している。(PHOTOGRAPH BY KENNEDI CARTER)
次ページ:「自由」ということ
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元NHK自然番組ディレクターが明かす「なぜ僕は会社をやめて『猟師』になる道を選んだのか」

2023-07-28 | アイヌ民族関連
ポストセブン2023/07/27 12:15
北海道の猟期は10月から翌年3月まで。スキーやスノーシューを履いて野生動物を追う(撮影:大川原敬明)
(NEWSポストセブン)
 数多くのテレビコンテンツの中でも、自然や野生動物に焦点をあてたNHKのドキュメンタリー番組は、そのクオリティの高さに定評がある。長期間にわたりテレビカメラを回し続けて「決定的瞬間」を撮影し、知られざる大自然の真の姿を明らかにしたり、それらの映像を活用した教養番組が生まれたりすることもある。そうした自然番組を制作していたディレクターの一人が今夏退社し、北海道で「猟師」として生きる道を選んだという。いったい何が彼を突き動かしたのか──。
 新刊『獲る 食べる 生きる 狩猟と先住民から学ぶ“いのち”の巡り』より抜粋・再構成。
 * * *
 足元に横たわる巨大な黒い塊を前に、呆然と立ち尽くす。これは本当に、僕が獲ったものなんだろうか──。
 現実感はない。喜びも湧いてこない。それでも、ついさっき、大声で吼えながら斜面を駆け降りていったヒグマはピクリとも動かない。息も完全に止まっている。
 間違いない。仕留めたんだ。そう思った瞬間、極度の緊張から解放され、思わずその場にへたり込んだ。
 切ない。涙が溢れそうになる。まずい。これはやってはならないことだ。
 心の中に蘇る、遠い日の記憶。低い声が言う。
「泣くな。獲ったからには、それはもはや、皆に喜びをもたらすもの。行きすぎた悲しみは、自分の身を捧げてくれた獲物に対し、失礼だ」
 その通り。僕は、ヒグマを獲りたくて獲ったんだ。しかも、生まれて初めて。泣くな。喜べ──。
 これが、僕が生まれて初めて、ヒグマを仕留めた時の思い出だ。公共放送のテレビ局で、自然番組のディレクターをしていた僕は、徐々に狩猟にのめり込み、職を辞して猟師になることにした。
 ここに、その顛末を記すことにしたい。 
自然番組ディレクターという仕事
 異常発生したバッタの大群のような人混み。押しつぶされそうになりながら満員電車に体をこじ入れ、渋谷のオフィスに通う日々が続く。
 地下鉄がカーブを曲がる時の、金切り声に似た軋みが脳を絞り上げる。思わず耳を塞ぎたくなるが、身動きは一切できない。窓の外に見えるのは、数十センチ先を猛然と流れてゆく暗いトンネルの壁だけ。むせ返るような人熱に、額がじっとりと汗ばむ。
 僕のカバンの角が当たっているのか、密着している隣の乗客が不愉快そうに肩を揺すり、ギロリと一瞥をくれる。申し訳ない気持ちになりながらも、内心では、僕だけの落ち度ではないのにと思う。彼ら自身もこの状況を作り上げている一因子であるはずだ。同様に僕も、足を思い切り踏まれた日には、同じ目付きで他の乗客を睨みつけてしまっている。
 身も心も雁字搦めになっている自分の姿から目を逸らす。抗うのではなく、慣れなくてはいけないのだと、自らを諫める。
 ようやく駅に着いて地上に出ると、目の前には乱立したビルが徒党を組むように立ちはだかる。壁面には、尋常ではない数の巨大デジタルサイネージが寄生し、目に痛い光と僕には不要な情報のシャワーを浴びせてくる。
 背後の駅は続々と人間を吐き出す。その波に飲まれた僕は、息をつく暇もなくスクランブル交差点に放り出され、センター街に飲み込まれてゆく。カラスがつついたポリ袋から溢れた生ゴミに、羽目を外し過ぎた誰かの嘔吐物。全てを見なかったことにして、刺激臭が鼻をつく路地を足早に通り抜ける。
 職員証をタイムレコーダーにかざして出勤時間を打刻する頃には、既に気息奄々となっている──。
 僕は自然番組のディレクターとしてテレビ局で働いていた。入局から何年もかけて、遂に配属された憧れの部署。日常生活にストレスと違和感を抱えながらも、仕事へのやりがいが僕の心を支えていた。視聴者に見てほしいと思う生きものがいて、一筋縄ではいかないものの、企画さえ通せれば世界中どこにだって行けた。
 とは言え、野生生物の生態を撮影するのは本当に大変だった。行動が殆ど読めない上に、撮りたい瞬間にカメラが回っている必要がある。人間相手のインタビューならば、「すみません、もう一回説明してもらえませんか」などとお願いできるが、ライオンに「もう一度シマウマを襲ってください」と頼むことは不可能だ。更に、現地に行ってみたら、そもそも撮影対象の生きものが全く見当たらない、といった事態もザラだ。企画書通りに物事が進んだためしなど、一度たりともない。
刺激的だが違和感を覚える日々
 それでもディレクターには、視聴者にとって面白く、十分観るに値する番組を作る責務がある。成果のないままに一日が終わり、肩を落として宿に帰る。壁にかけたカレンダーの日付をバツ印で消し、少なくなる一方のロケの残り日数を数える。撮影期間が終わった後のスケジュールは、編集、ナレーション録り、テロップ入れ、オンエアと、既に細かく固められている。そして、放送に穴を開けることは許されない。
 自然番組のディレクターという職業については、羨ましがられることも多い。確かに、行きたい場所に行き、会いたい動物に会い、給料を貰ってはいる。傍から見ると、いかにも恵まれた仕事だろう。でも実際は、多大なプレッシャーと胃痛に悩まされ、このまま消えてしまいたいと思い悩む日々の連続だ。
 そうした中、たまにではあるものの、決定的なシーンが撮影できることもある。艱難辛苦を乗り越え、努力が実を結んだ瞬間。全ての苦労が報われ、喜びが爆発する。毎回、取り上げた生きものに入れ込み、愛着のある番組が完成する。しかし、放送が終わればそこで区切りが付く。そして、また一から新しいテーマを探し、企画を練る。僕は、自分の知識と経験を広く浅く、言わば水平に拡張させていった。
 刺激的ではあるものの、違和感を覚えることもあった。もっと何か、一つの物事を追求し、究めてゆくような人生を送りたい、と考えてしまうのだ。
 ある日、そんな僕に転機が訪れた。会社の上司から、北海道での勤務を打診されたのだ。元々、定期的に地方転勤がある職場で、かねがね北海道で働いてみたいとは思っていた。そして、北海道でなら、ずっとやってみたかった狩猟ができるかもしれない。僕は二つ返事でその申し出に飛びついたのだった。
【プロフィール】
黒田未来雄(くろだ・みきお)/1972年、東京生まれ。東京外国語大学卒。1994年、三菱商事に入社。1999年、NHKに転職。ディレクターとして「ダーウィンが来た!」などの自然番組を制作。北米先住民の世界観に魅了され、現地に通う中で狩猟体験を重ねる。2016年、北海道への転勤をきっかけに自らも狩猟を始める。2023年に早期退職。狩猟体験、講演会や授業、執筆などを通じ、狩猟採集生活の魅力を伝えている。https://huntermikio.com
https://news.goo.ne.jp/article/postseven/trend/postseven-1889893.html

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