フォーブス2023.07.27

新疆ウイグル自治区イリ・カザフ(伊犁哈薩克)自治州チャプチャル・シベ(察布査爾錫伯)自治県に住むシベ族のサマン
北東アジアにはシャーマンという不思議な存在がいる。
ここでいう北東アジアとは、日本列島の北方に広がる中国東北地方や極東ロシア、シベリア、モンゴル、朝鮮半島などだ。これらの地域に古来住んでいた諸民族に共通するのがシャーマンの文化である。
中国ではこれを「薩満(サマン)」と呼ぶ。自然崇拝や祖先崇拝をベースとしたアニミズム的な世界観のなかで、民族や一族の平安のため、憑依や脱魂をともなう儀式を執り行うことで、天の神と人をつなぐ宗教的な存在である。
なかでも中国の少数民族のひとつ、清朝を興した満洲族のサマン文化は長い伝統と格式を有していたが、20世紀初頭の清朝滅亡から100数年を経たいま、消滅寸前の事態を迎えている。
背景には、中華人民共和国の建国や文化大革命、さらにその後に行われた少数民族に対する政策もあり、社会の現代化やグローバル化の時代を迎えたいま、古来受け継がれてきた信仰や儀式に加え、満洲語や満洲文字といった民族のアイデンティティに関わる文化の体系を後世に伝え、維持することが困難になっているからだ。
■「天空のサマン」が撮影された背景
そのような状況のなかで、現在の満洲族のサマン文化の姿を記録に留めようとした人物がいる。映像作家でミュージシャンでもある金大偉(キン・タイイ)さんだ。
金さんは中国遼寧省撫順市の生まれ。父は満洲族、母は残留孤児だった日本人で、1979年11月、13歳のときに家族と日本に移り住んだ。都内の美術大学を卒業後、在京テレビ局で情報番組などのディレクターを務める。その後フリーとなり、美術活動とともに、中国雲南省の少数民族ナシ族の象形文字「トンパ」をテーマにした音楽作品や、詩人の石牟礼道子のドキュメンタリー、アイヌをテーマにした映画などを制作してきた。
そんな彼が、先ごろ「天空のサマン」(2023年)というドキュメンタリー映画を発表した。
この作品は、ひとことで言えば、満洲族の血を引く彼が主に中国東北地方各地に住む満洲族の村を訪ね、現存するサマンや村人たちに会って話を聞き、いまや失われつつある満洲語の口語や民謡、神歌などともに、数年に一度というサマンの儀式を映像に収めたロードムービーだ。
「天空のサマン」という作品の特徴としては、きわめて音楽的であることだ。実は、彼は2015年にも「ロスト マンチュリア サマン」という同テーマの作品を発表しており、今回の作品はその完結編に当たる。
何が撮られ、どんなことが語られているかについては、作品を観ていただくしかないが、筆者にとって金さんは古い友人であり、この作品が撮られるに至った経緯を少なからず知る立場にある。
作品を理解するには、現地事情をはじめとした背景情報が必要とされると思うので、「前説」をさせていただくことにしたい。
まず撮影場所についてだが、作品には中国東北地方の満洲族ゆかりの地や彼らの暮らす村など13カ所、そして新疆ウイグル自治区イリ・カザフ(伊犁哈薩克)自治州が登場する。日本人にはもちろん、中国の人でもほとんど知らない辺境の地が多いので、重要な場所をいくつか選んで簡単に説明したい。
まず映像にしばしば登場する吉林省延辺朝鮮族自治州にある山は、満洲族生誕の地とされる長白山だ。北朝鮮国境にまたがり、天池と呼ばれるカルデラ湖がある。この美しい湖は民族の発祥神話の舞台なのである。
また中国遼寧省撫順市郊外にある永陵とヘトゥアラ城は、清朝の前身である後金の初代皇帝ヌルハチの墓で、後者は彼が都城としていた。そして、ここは満洲語では「愛新覚羅」と呼ばれる金さんの一族が長く暮らしていた土地でもある。2004年にユネスコの世界遺産に登録されているが、作品の監督である金さんによれば、現在の姿は「テーマパークのような世界」だという。
黒龍江省チチハル市富裕県三家子村には、中国国内でほぼ唯一といっていい村人に満洲語を教える学校がある。村には若い満洲語の教師がいて、地元の子供たちに満洲語を教えているが、その継続には多くの困難があることが作中では伝えられる。中国社会で生きるためには、民族の言葉よりも漢語の能力が必要とされるからである。
映像に収められた貴重なサマンの儀式
この作品のひとつのハイライトとなるのが、2012年に金さんが訪ねた新疆ウイグル自治区イリ・カザフ(伊犁哈薩克)自治州チャプチャル・シベ(察布査爾錫伯)自治県である。ここはカザフスタン国境に近い辺域だ。
シベ族は満洲族の一支族だが、乾隆帝の治世の1764年に清国の西域にある新疆地区守備を命じられ、軍隊と合わせて数千人の家族が移住した。シベ族は満洲語の一方言であるシベ語を話し、満洲文字を使用しているという。
金さんはシベ族のサマンや満洲語で歌う歌手などに会っている。シベ族のサマン神歌は、東北の満州族のものと共通点があるなど、収穫も多かった。「私にとって不思議かつ新鮮な体験だった。同時にうれしく思った」と金さんは作中で語っている。
一方、当地の人口19万人のうちシベ語を話すのは2万人ほどだった。彼は「ネイティブな満洲語はまもなく失われるだろう。もう時間はない」と思うに至ったと述べている。
2018年には、金さんはほぼ唯一のネイティブな満洲語の話者とされる何世環さんに会いに、ロシア国境に近い黒龍江省孫呉県四季村を再訪している。彼女が話すのは満洲語の方言ではあるが、「これほど流暢に話す人はいない」と金さんは言う。その意味で「人間国宝」のような人物だそうだ。
彼女が歌う民謡は「祖母が歌ってくれた子守歌に似ていた」とも金さんは言う。ただ彼女は90歳を超えており、「これで(お会いできるのは)最後かもしれない」とも言っている。
この作品の最終的な舞台となるのが、2017年11月に訪ねた黒龍江省寧安市依藍崗村だ。ここでは5年に1度のサマンの儀式が行われるとのことで、金さんは現地に呼ばれることになった。
彼がこの地を訪ねるのは2回目だが、村人たちから「もうこうした儀式を執り行うのは最後だろう」という思いを告げられ、記録してほしいと伝えられたそうだ。
作品では3日間かけて執り行われたサマンの儀式の一部始終を撮影している。さまざまな祈祷やダンス、演奏や歌、供物となる豚の生贄のシーンなど、この作品でしか観ることのできないドラマティックな宗教世界が繰り広げられる。
さて、この作品の成立に大きく寄与しているのが、東北各地に住む民間の満洲学者たちである。彼らは口々に満洲族とその文化消滅の危機を訴える。その1人である施立学さんは、清朝時代に書かれた25万部の満洲語の公文書の翻訳は民族の課題であり、このままではその実現は困難であると語っている。
満洲学者の人たちは、金さんに東北各地の満洲族の住む村やサマンたちの所在を教え、現地でコーディネイトをしてくれたという。
金さんは「文献などで書かれたものの多くは、改革開放後の自由化で満洲族たちが自らのアイデンティティを取り戻し始めた1980年代から1990年代のものが多く、今日の状況は当時の恵まれた時代とは違うため、実際に現地に行ってみなければわからないことばかりだった」と話す。そのため、2010年代以降に起きた満洲族をはじめ中国の少数民族を取り巻く社会の変異を感じざるを得なかったという。
サマン文化の最後の姿の映像
それにしても、なぜ「天空のサマン」のような作品が撮られることになったのか。
金さんは、中高生の時代はロック少年で、文化祭ではステージに立ってボーカルを担当していたという。文化大革命が終わってわずか数年という時期に中国から来日したばかりの少年が、すぐに日本人生徒に馴染んでバンド活動をしていたことは驚きだが、両親ともに画家という芸術一家に生まれた金さんにとっては自然のことだったのだろう。学生の頃の彼は自分の出自や民族について、あまり考えたりしなかったらしい。
転機は2007年だった。その年の夏、彼は出身地の中国遼寧省撫順市を訪れた。数年前から自分が満洲族の血を引く人間であることを意識するようになり、故郷を訪ねて満洲文化の痕跡を探したが、何も見つからなくてショックを受けたという。「気づくのが遅すぎだ」と彼は話す。
その翌年から毎年のように満洲各地を訪ねた。前述した満洲学者らの情報提供や支援があり、そこに満洲語の話者やサマンがいると聞くと、現地をくまなく訪ねることにした。彼によれば「自分の民族的アイデンティティに関わる使命という面もあるが、目に見えない先祖の力に守られて、果たさなければならない天命のようなものがあった」と言う。
こうした10数年のフィールドワークの旅を通じて、彼は「やるべきことはやった。よきにしろ、悪しきにしろ、私は満洲サマン文化の最後の姿の映像を撮ることになった」と筆者のインタビューに答えている。そして「ひとつの民族が信仰や言葉を失うとき、それは民族のアイデンティティを捨てることにほかならない」とも語っている。
互いに20代の頃に知り合った金さんと筆者の共通の話題は満洲だった。筆者は当時から北東アジアにある日本の近代史の舞台を訪ね、現在の姿を知りたいという思いから各地を訪ねていたからだ。
さらに金さんは残留孤児2世という意味では、筆者が親しくしている「ガチ中華」の味坊集団オーナーの梁宝璋さんと同じ境遇でもある。2人は筆者にとって満洲とのつながりを感じさせてくれる友人だ。
そんな縁から、筆者は2016年と2018年の夏、金さんの紹介でサマンの儀式が行われている黒龍江省寧安市の依藍崗村をはじめ、この作品に登場するいくつかの村や博物館、切り絵作家やサマンなどの人物を訪ねている。
そして、サマンと呼ばれる人たちも、普段は儀式を執り行う映像で観た躍動感はなく、寡黙な農民の1人であることを知った。
金さんは、「天空のサマン」というドキュメンタリー映画を監督することで、自分のルーツである民族とその文化が消滅していく最後の姿を見届け、記録するという歴史的な役割を果たすことになったが、その想像を超えた重責を、私たちはこの作品を観ることで目撃することになる。
https://forbesjapan.com/articles/detail/64790