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先住民族関連ニュース

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アイヌ協会、伝統儀式「ペッカムイノミ」 サケの恵みに感謝【白老】

2020-09-09 | アイヌ民族関連
室蘭民報 2020.09.08
ウヨロ川河口で行われたペッカムイノミ
 白老アイヌ協会(山丸和幸理事長)のサケ漁の恵みに感謝する儀礼「ペッカムイノミ」が7日、ウヨロ川河口で行われ、関係者がサケの豊漁を祈った。
 ペッカムイノミ(新しいサケを迎える儀式)は、サケ漁の前に、アイヌ民族が漁の安全と豊漁を祈って行う伝統儀礼。旧アイヌ民族博物館では毎年実施してきたが、同協会としては2008年(平成20年)以来2回目の開催。
 儀式には16人が参加。新井田幹夫さんが祭主を務めた。会場には、ヌサ(祭壇)にトマリオルンカムイ(船着き場の神)、チワシコロカムイ(波立ちの神)、ペテトクンカムイ(水源の神)、ペップトゥンカムイ(河口の神)、ケマコシネカムイ(キツネの神)の5神が祭られ、それぞれの神に海の平穏やサケの豊漁などを祈っていた。
 山丸理事長は「これからも協会が中心となって儀式を行い、白老のアイヌ文化を守っていきたい」とあいさつした。来年からはペッカムイノミの後に、今年は新型コロナウイルスの影響で中止になったチェプ祭が行われる予定。
 ※「チワシコロカムイ」の「シ」と「ロ」は小文字
http://www.hokkaido-nl.jp/article/18791

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北海道との交流拡大で一致 駐日ドイツ大使が本社来訪

2020-09-09 | アイヌ民族関連
北海道新聞 09/09 03:08 更新
 イーナ・レーペル駐日ドイツ大使は8日、札幌市中央区の北海道新聞社を訪れ、広瀬兼三社長と会談し、新型コロナウイルスの感染が収束して日独両国の水際対策が緩和されたら、北海道とドイツの交流拡大に努めることで一致した。
 大使は2019年9月に就任し、今回は在札幌ドイツ名誉領事の叙任式に出席するため初めて来道した。
 会談では、日本の感染防止策について「罰金などの強制力がない状態で、市民は抑制的な行動ができている」と評価した上で「文化交流を再開し、道内でドイツへの関心を高めたい」と早期の感染収束への期待感を語った。
 広瀬社長は、ミュンヘン市との姉妹提携を記念して札幌市内で毎年冬に「クリスマス市」が開かれていることに触れ、「交流を通じて沈滞ムードを盛り上げたい」と話した。
 大使は8日、札幌市の町田隆敏副市長とも会談した。9日に胆振管内白老町のアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」を見学し、東京に戻る。(岩崎あんり)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/458241


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<釧根花実めぐり>12 コウライテンナンショウ 赤い実 森に晩秋の彩り

2020-09-09 | アイヌ民族関連
北海道新聞 09/08 16:00
 コウライテンナンショウは根の部分などに毒がある。アイヌ民族は毒の部分を取り除いて食用にした。
 まだら模様の茎の先に小さな花が集まった肉穂花序(にくすいかじょ)ができ、それを仏像の光背(こうはい)に似ている仏炎苞(ぶつえんほう)という葉が取り囲む。仏炎苞は緑色に白い筋が入った模様がつき、ヘビが頭を持ち上げたように見えることから、マムシグサとも呼ばれる。
 釧路、根室管内全域の森の中などに分布し、10月上旬から11月上旬ごろにかけて、トウモロコシのような形の赤い果実をつける。冬を迎える前の森に、最後の彩りを添える。=おわり=
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/458122

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グアムの美しい自然が消え、住民の命が脅かされるとき─今、グアムに起きていること

2020-09-09 | 先住民族関連
クーリエジャパン 9/8(火) 18:00配信

日本でもリゾート地として人気のグアム。だがそこには豊かな自然があるだけでなく、アンダーセン空軍基地をはじめとする米軍の関連施設が土地の多くを占めている。近年、国際関係におけるグアムの重要性が増し、米軍による島の開発が進む一方で、その環境と人々の暮らしに脅威が迫っている──。
「それがいつだったか、正確に指摘するのは難しいです……大きな策略が進行していることに、いつ気がつき始めたのかを」。ジュリアン・アグオンはそう言い、少し思案してからこう説明した。
「私にとってそれが明確になったのは、アメリカと日本が、何千人もの海兵隊員を沖縄からグアムに移転することで合意した2005年でした。これはただ発表されただけでした。このようなことはそうやって進められます。ただ上から投げつけられるだけなんです。私はすぐに法学部への進学を決めました。法律が、私の民族に対する武器として使われていたからです」
今では弁護士であり、法学の非常勤講師となったアグオンは、太平洋地域を重点的に扱う唯一の人権専門法律事務所「ブルー・オーシャン・ロー」の設立者でもある。太平洋西部に位置するマリアナ諸島の先住民族チャモロ人の一人として、彼は島の古い慣習を引継ぎ、自然界への崇敬を抱いている。
自然と文化の重要地に「射撃訓練場」を建設
10年にわたってアグオンの敵であり続けているのは、アメリカ国防総省の権力だ。国防総省は80億ドルをかけて、5000人の海兵隊員を2025年までに沖縄からグアムに移転するという計画を立てていた。アグオンはこれに抗議した。彼は国家環境政策法にもとづき、2010年に訴訟を起こしたグループの一員だ。
アメリカ海軍に対し、この計画が環境に及ぼす影響について追加のアセスメントを実施させることで、ブルー・オーシャン・ローは計画を数年間遅らせることに成功した。
しかし、グアムに拠点をおく建設会社が、自然保護区といくつかの歴史的・文化的に重要な墓地に、実弾射撃訓練場の複合施設を建設するという7800万ドルの契約を得た。この建設は今年初めに開始された。
この太平洋版ダビデとゴリアテの戦いでは、ゴリアテが優位に立っているようにみえるのだ。
アメリカ国民なのに投票権がないグアムの人々
「この状況に関してとても残念なのは、私たちは、物事が決定されるワシントンD.C.から遠く離れているということです」とアグオンは静かに言った。
人口16万人(そのうち先住民のチャモロ人は37%だけ)、212平方マイルの島グアムは、アメリカ合衆国の最西端の地だ。
「アメリカの1日が始まるところ」というのがグアムの非公式の標語だが、これは寒々しい誤った表現だとアグオンは言う。グアムは自治権のない領土だ。グアムの住民はアメリカ国民であるが、国政選挙での投票権がなく、議員を政府に送ることができない。
グアムと米軍の複雑な関係
グアムは500年間スペインの植民地だったが、1898年にアメリカが奪取した。その後、第二次世界大戦中の日本による過酷な占領を経て、アメリカが奪還した。
アメリカ国防総省は現在、戦後に占有したチャモロ人の先祖伝来の土地を含む、島の30%を所有している。しかし、グアムと軍との関係は複雑で相互依存的なものだ。軍による支出は島の経済における一番の産業であり、軍への入隊者の人口比率が他のどの州よりも高いのがグアムなのだ。
「グアムには、米軍の存在がもたらす影響や結果に対処してきた長い歴史があります」とアグオンは言う。
こうした米軍の存在のために、近年グアムは、アメリカと中国、北朝鮮とのエスカレートする地政学的緊張の渦中にある。2017年、ドナルド・トランプが北朝鮮を「炎と怒りを浴びることになる」と脅したとき、北朝鮮はグアムに対するミサイル攻撃を検討するとした。
「自分たちがミサイル攻撃の的になっていると知るとぞっとします。これは戦争ゲームなんです」とアグオンは言う。
「私たちは、自分がこのゲームのプレーヤーではなく観客であることを知っています。でも危険にさらされているのは、私たちの命であり、私たちの子供の命なのです」
米軍にとって「都合のいい」場所
太平洋における中国の影響力が急激に強まるなか、グアムは世界最大の海洋におけるアメリカの不動産として、今まで以上に重要な部分とみなされるようになった。
グアムが米軍の負担から解放されることは当分ない。沖縄における米軍基地は、もう長い間日本で評判が悪い。とりわけ、米軍関係者によるレイプ、暴行、ひき逃げといった一連の犯罪が、人々の憤りを招いている。
一方、グアムは米軍が「自分たちの望むことが何でもできるうえに、追い出される恐れなしに大規模な投資ができる」場所であると、アンダーセン空軍基地についての報告のなかでデニス・ラーセン少将は述べている。
米軍は、グアムへの移転は、島に住む人々との協議と協力のもとでおこなわれていると主張している。
「グアムのリーダーたちが情報にもとづいた決断ができるよう、彼らと透明かつ事実にもとづいた議論がしたいと、自分としては思っています」とジョン・メノーニ海軍準将は2019年に述べた。
絶滅危惧種の住まう森が「射撃訓練場」に
8月6日、ブルー・オーシャン・ローは国際組織の「代表なき国家民族機構」とともに、国連の先住民族の権利に関する特別報告者にグアム初の申し立てを提出した。この申し立てにおいて、彼らはグアムの先住民族チャモロ人の人権が、アメリカの植民地化と軍事化の下で侵害されていると主張した。
「グアムはアメリカ政府と軍部によって長年にわたって述べられてきたような、『沈むことのない航空母艦』でも、『やりの先端』でもない。…グアムは…豊かで意義のある伝統をもち、サステナビリティ、地域の環境に対する配慮と感謝、そして相互関係についての強い自覚をもって暮らす人々の、先祖伝来の故郷である──そしてこれらの伝統は、現在脅威にさらされている」
この訴えは、射撃訓練場の建設を続けるアメリカの対グアム政策が環境に与える重大な影響について、きわめて詳細に述べている。
米軍はリティディアンとして知られる、島の文化的・環境的にもっとも重要な場所のひとつを支配している。リティディアンは先住民のチャモロ人がそこから移動させられた1963年以来、アメリカの支配下にある。この地域は少なくとも4つの先祖伝来の村とその埋葬場所、そしてチャモロ人の共同体に欠かせない治療師たちが薬草を探す場所が含まれている。
リティディアンの新しい射撃訓練場は古い石灰岩の原生林の真ん中に位置する。この森は、絶滅危惧種のエイトスポット・バタフライやグアム・レイルなど、いくつかの特有種の生息地だ。また、グアムでしか見られない種を含む、珍しい原産植物の自生地でもある。
軍は少なくとも1000エーカーの森を伐採する予定だが、これは現存する森の8%にあたる。
「サンゴが化石化し、これらの木々がその上に育つには、何百万年もの時間がかかりました」と話すのは、グアム出身の自然保護運動家でアイオワ州立大学の博士論文提出志願者であるアン・マリー・ガウルだ。
「建設工事や侵略種、人間による開発のせいで、私たちがこの森を失いつつあるという事実は、とても悲しいものです」
口先だけの軽減政策
リティディアン岬の周辺の海はウミガメと鯨の生息地だが、彼らは射撃訓練と水中音波探知機の活動による、音の影響を受けるかもしれない。地元の猟師たちは、彼らが昔から利用してきた水域から締め出されることになる。
「他のあらゆる開発プロジェクトと同様に、(このプロジェクトは)周囲の環境に影響を与えます」とマリアナ統合司令部は声明で述べた。
「しかしながら、国防総省がとった軽減措置により、グアム海兵隊基地の兵舎を造成する必要とのバランスをとりつつ、環境への影響は削減され、可能な限り相殺されるでしょう」
国防総省の軽減政策は、実際のところ漠然としか守られない。国防総省が射撃訓練場の建設地をパガットからリティディアンの他の場所に移したとき、訓練場は以前の軽減計画の一部として立てられたフェンスを侵食することになった。
「(グアムにおける)国防総省の過去の言動は、不信の種をたくさん撒いてきました」とガウルは話す。「約束を守らないことから、現地の住民の意見をきかずに自分の好きなようにやるといったことに至るまで──こうした行動から生まれる人々の不信感は、他の多くの連邦機関にまで広がっているのです」
https://news.yahoo.co.jp/articles/650b61ddf80b76e15576edd48c0862f065be18ca

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トミー ヒルフィガー、ピープルズ プレイス プログラムを発表

2020-09-09 | アイヌ民族関連
PR TIMES  9/8(火)
トミー ヒルフィガーは、ファッション業界とクリエイティブ産業において
人種的マイノリティの人々に活躍する機会を創出することを約束します

2020年5月31日、アメリカ人デザイナーのトミー・ヒルフィガーは、Black Lives Matterムーブメントをサポートするために大きな変革を求める提言をしました。「今起こっていることをこのままにしてはいけない。行動が必要です」
現状についてヒアリングし、議論を重ねた結果、トミー ヒルフィガー ブランドのこのミッションにおける具体的なのステップとして、ファッション業界とクリエイティブ産業において、マイノリティの人々の活躍をサポートすることを目的とする3つのミッションによって構成されるプログラムに対し、年間500万ドル(約5億3500万円)の資金支援を決定いたしました。
2020年7月、トミー ヒルフィガーは3つのミッションからなる、People's Place Program(ピープルズ プレイス プログラム)を立ち上げ、年間500万ドル(約5億3500万円)以上の資金支援を今後3年間継続することを約束しました。ファッション業界とクリエイティブ産業における黒人、先住民族、その他の人種的マイノリティの代表を増やすことを目指します。このプログラムは、協業、ポジションへの登用、業界での指導を中心に、長期的かつ普遍的な活動を通じて、目的を達成することを目指しています。
Partnerships & Representation (パートナーシップとコミュニティ):
•トミー ヒルフィガーは、多様性に富んだ人材と協業することに力を入れます。特に人種的マイノリティの活躍の場を増やすという目的を主眼とした活動に焦点を当て、ファッション業界でマイノリティの代表を増やすことをミッションとする組織や、クリエイティブ 団体と提携します。
Career Support & Industry Access (キャリアサポートと業界へのアクセス):
•ファッションおよびクリエイティブ産業においてマイノリティを代表する人材をサポートするために、ブランドはその知識とリソースを活用して、情報や原材料、専門家の助言、業界等に関する情報を提供することにより、キャリア向上の機会を増やします。
Industry Leadership (業界のリーダーシップ):
•マイノリティからの人材を多角的に増やすために、トミー ヒルフィガーは、ファッション業界全体におけるダイバーシティ、公平性、多様性の受け入れに関する分析にブランド独自に取り組むと同時に、社内でも具体的なアクションプランを作成し、それをファッション業界に幅広く共有していきます。
5月の終わり、ブラック ライブス マター ムーブメントの中、トミー・ヒルフィガーは彼自身と彼の名前を冠したトミー ヒルフィガーブランドとして、行動を起こす呼びかけを発信しました。マイノリティコミュニティをサポートするために、ブランドがどんな役割を果たすべきかを考えようと、社内及びファッション業界にてより多くの人の声に耳を傾け、学ぶという体質への変革を促したのです。この取り組みをさらに続けることで、業界全体の変化を推進するというトミー・ヒルフィガーの大きな理念が実現され、社会的にも環境的にも持続可能にするという企業の目的が強化され、無駄にするものを無くし、すべてを受け入れるファッションを生み出すことができるのです。
「米国および世界中のブラックコミュニティで起こっていることは、私たちが生きる社会では許されないことです」とトミー・ヒルフィガーは言います。 「それが私たちの業界でも、公然と、そして体系的に存在し続けているという事実も受け入れられません。私たちは、もっと早く多様化を達成するべきでした。もっと早く認めるべきでした。ただ今、私たちはこの状況を変えることを決意し、コミットしたのです。私たちは、自らの意思で決めたことを、恐れることなく、揺らぐことなく実現します。 ピープルズ プレイス プログラムを通じて、機会を創出し、正しいことのために立ち向かいます」
このプログラム名は、1969年にヒルフィガーの故郷ニューヨーク/エルマイラでオープンしたトミー ヒルフィガーの最初の店の名前、ピープルズ プレイスにちなんで名付けられました。 当時18歳のヒルフィガーは、さまざまな分野の人々が集まり、アート、音楽、ファッション、ポップカルチャーを楽しむためのスペースとして、ピープルズ プレイスを作りました。 1960年代のカウンターカルチャーのムーブメントに影響を受けたこの店では、人びとがたくさんの意見を交わし、それまでにはなかった真の自己表現を体験し、そして社会常識にも挑みました。同様の精神が流れているピープルズ プレイス プログラムだからこそ、これから多くの人びとに影響を与えていくことでしょう。
「企業としては、まだ十分な成果を上げてはいません」とトミー ヒルフィガー グローバルおよびPVHヨーロッパのCEO、マルタイン・ハグマンは言っています。 「しかし、すでに私たちは現状を変える決意をしています。私たちは、ファッション業界のマイノリティの人々が、自由に声を発することができ、意見を尊重され、平等に権利を享受していると感じられるように、すでに行動を起こしています。 ピープルズ プレイスの旅は、社内のガバナンスチームから始まり、そこではこのプログラムが目標に向かって進むよう、確認と報告が定期的に行われています。これは固い決意に裏付けられた、ピープルズ プレイス プログラムとしてのまさに第一歩であり、その道のりは決して短いものではありません」
トミー ヒルフィガー内に組織されている、このピープルズ プレイス プログラムの成果を監督するガバナンスチームでは、任命されたシニア リーダーシップのメンバーが、内部および外部でのプログラムの成果達成を加速するための指揮をし、進捗状況と影響について定期的に報告することにより、その透明性にも重点を置いていす。ピープルズ プレイス プログラムチームは現在、その使命を実現させ、ファッション業界全体への影響を最大化できる業界団体やパートナーとの話し合いも進めています。
PVH Corp.とその傘下の全ブランドは人種差別に反対しています。 PVHは、TOMMY HILFIGER、CALVIN KLEIN、IZOD、Van Heusen、ARROW、Warner’s、Olga、True&CoそしてGeoffrey Beeneのリソースとプラットフォームを使用し、人種的不平等を無くす活動に協力しています。 PVH財団は、法的弁護、訴訟、教育を通じて人種的な平等を支援するNAACP(全米黒人地位向上協会)のLegal Defense and Education Fundと、経済的エンパワーメント、平等、社会の公正のために設立された、歴史ある公民権組織National Urban League(全米都市同盟)のそれぞれに10万ドル(約1,070万円)を寄付しました。さらに6月に、PVH財団は、世界中の従業員からの慈善寄付の総額とさらにその同額を、人種間の平等を支援する組織に寄付しました。
PVHファミリーの一員であるトミー ヒルフィガーは、従業員のブランドへの帰属意識を高め、より知識のある、偏見の少ない組織づくりを目指した社内アクションをただちに実行に移します。社内のマイノリティコミュニティの代表制度の改善にむけて、差別、不当、不平等、人種差別に取り組むための出発点として包括的な行動計画を立ち上げました。包括的行動計画により、企業は消費者の多様性を真剣に考える習慣をつけるための具体的なアクションに繋がります。そのステップは以下の通りです。
Listen (聴く):
•すべての従業員が自分の意見を述べる機会と、他者の意見に耳を傾ける機会をさらに設ける
•あらゆるレベルのリーダーと採用マネージャーが変革実現の提唱者や協力者になるべく、彼らにツールとリソースを提供することで、全体的に蔓延している人種差別主義、特権、偏見をより深く理解する
Learn (学ぶ):
•すべての従業員に、無意識の偏見を無くすためのトレーニングを継続的に受講することを義務付ける
•すべての従業員がアクセスできる、インクルージョン&ダイバーシティ専用のデジタルリソースチャネルを開設する
•従業員向けに、人種間の平等に関する教育と情報提供を行う行事を開始する
Act(行動):
•ビジネスリソースグループ(BRG)を拡大し、各国のオフィスにおけるマイノリティの意見を大きく取り上げることに特化した活動を地域の特性にあわせておこなう
•採用対象をより広範囲に広げ、組織のすべてのレベルでマイノリティからの人材を増やすといった、新しい採用方針と採用方法を推し進めることで、より多様で才能のある人材を確保する
【URL】https://japan.tommy.com/
【ハッシュタグ】
#TommyHilfiger #TommyJeans #TOGETHER
@TommyHilfiger @TommyHilfigerJP @TommyJeans
【ブランド名クレジット】
トミー△ヒルフィガー
【問い合わせ先クレジット】
トミー△ヒルフィガー△カスタマーサービス 0120-266-484
企業プレスリリース詳細へ (2020/09/08-17:46)
https://www.jiji.com/jc/article?k=000000136.000010635&g=prt

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「無名な人々」は存在するのか。大下裕司評 大阪人権博物館(リバティおおさか)「35年展」

2020-09-09 | アイヌ民族関連
美術手帖 9/8(火) 19:02
証言の部屋
「リバティおおさか」という愛称で親しまれる大阪人権博物館は、1985年に大阪人権歴史資料館として開館した。国内外における人権問題を総合的に取り上げてきた博物館法にもとづく登録博物館である。被差別問題だけでなく、在日コリアン、ウチナーンチュ、アイヌ、公害被害者、ハンセン病患者、薬害被害者のほか、LGBTQやいじめ問題などを紹介してきた。その開館から35年の節目の展覧会として、そして現施設での最後の展覧会として、「35年展」という非常にシンプルなタイトルで、大阪人権博物館のこれまでの活動を紹介する企画展が開催された。
 特別展示室のガラスケースには、1985年の開館時の様子や、節目を祝ってきた写真や資料、この35年間に実施された企画展のポスター、リーフレット、刊行されたカタログなどが陳列されている。大阪人権博物館としての活動の厚みと一貫性がまずは資料によって示される。現在までの活動のパネル展示が終わると、続いて洛中洛外図屏風、大坂町絵図といった近世から近代までの資料、楊洲周延《帝国議会貴族院之図》(1890)や歌川国利《憲法発布式之図》(1889)といった明治期の「開化絵」が並ぶ。また、アイヌ民族の着物のそばには、2018年に札幌芸術の森美術館にて回顧展が開催された藤戸竹喜の小品も展示されていた。
 そして本展は、全国と解放全国大会のポスターで締めくくられている。この最後の2点以外に、直接的な運動の資料は展示されていない。展示の「テーマ」は、あくまで博物館のあゆみであり、まず85年から現在までの博物館の活動がパネル展示を中心になされ、35年間に行われた展示にちなんだ作品や資料の一部が紹介されるという、静かなものであった。
 この小規模な一室で開催されていた「35年展」の内容は、そのまま常設展示のコーナーに重なっている。常設展示は、「いのち・輝き」「共に生きる・社会をつくる」「夢・未来」と、大まかに3つのセクションに分かれる。各セクションにて、館がこれまで取り上げてきたような人権についての展示が、パネルだけでなく資料や作品とともに構成されている。とくに2番目のセクションでは、ボロボロになった「
荊冠旗 ( けいかんき )
」(*1)が目を引くいっぽうで、在日コリアン、ウチナーンチュ、アイヌについてのコーナーでは、彼ら、彼女らの現在の姿についても多くの資料や映像で学ぶことができる。
 常設展示の最後には「証言の部屋」という映像ライブラリーが置かれ、1本40分にもおよぶ様々な当事者の語りを聞くことが可能であった。この常設展について付記すべき重要なことは、決して誰かを糾弾し、追い落とそうとしているものでも、非難しているものでもないということである。そういったメッセージを掲げるのではなく、淡々と資料や作品が陳列されている本展は、入場者数や売り上げ、エンターテインメントといった新自由主義的なことと距離をきちんと置いて
躱 ( かわ ) し、鑑賞することのうちに、何が重要であるかを知らせるものだった。
 美術館や博物館に求められる、「市民が納得する展示内容」が実際に存在するとして、それはいったいなんであり、何を実現と呼べるのだろう。また、展示という状態あるいは展覧会という形式が、何かを伝達することが可能なものであるとしたとき、「展示内容が分かりにくい」ことはどのようなことを示しているのだろうか。この「35年展」の構造は、ただ展示空間を通るように見るだけでは、陳列されている作品一つひとつの背景は掴みにくく、そのため作品ごとの関係性はより断片的に感じられてしまう。35年という具体的な数字と、作品を結びつけるような解説もなければ、はっきりとした主題も示されていない。
 しかし、音がせずとも足音であることを、あるいは声にならずとも声であるのを知るようにして、その不在を読み取る方法がこの施設内に静やかに用意されている。この展覧会の持つ構造は、とても複雑な形で博物館の常設展の構成に重なっている。1度目として見た企画展の「35年展」の後で、常設展のうちに、繰り返される「35年」のフレーズを見つけ出すことはとても自然な体験だった。個別のケースが成立する諸要素を切り出して、その複雑な構文の存在を読み解くことでようやく触れることのできる経験こそが、「35年展」で一番の展示内容だったに違いない。そうしてようやく「置かれたもの」に気がつくことができるのだろう。
「この交替的な動きは、各文の複雑さだけではなく、錯綜する語りの全ネットワークが絶えず読者に要請する、読むこと〔reading〕――あるいはむしろ、繰り返し読むこと〔re-reading〕――の動きに似ている」(*2)ように、それを可能にしているのは、私たちが(唯一)繰り返す(ことのできる)鑑賞(という関わり方)そのものだ。そのうえで、様々な展覧会に際して声高に示されるテーマとは、ひとつの虚構でもあるだろう。しかしながらそうしたテーマの存在自体が、「虚構とはいえ、静態的なものではない」(*3)ことを、声なき声が同時に教えてくれている。その語源通りに、置かれている。
 閉館後の2020年6月19日に出された声明(*4)には、「本和解の成立にともなって、リバティおおさかに関しては7月には、事務所の大阪市港区への移転、収蔵物の大阪市の施設への移動、そして建物の解体工事が始ま」るとある。大阪人権博物館が所蔵する約3万点の史料のなかには、砂澤ビッキの彫刻や、ユージン・スミスとアイリーン・スミスの《水俣》(1971–75)シリーズのオリジナルプリントなども含まれる。先日は丸木位里・丸木俊《原爆の図「高張提灯」》(1986)が、武蔵野美術大学美術館に移管された。そうした「作品」には、その記名性ゆえに、その次・その後の場所があるだろう。
 だが、「35年展」と並行して特集展示として開催されていた、薬害エイズの被害者である岩崎孝祥(1973-93)の絵は、あるいは常設展示の最後に設けられた「証言の部屋」における、当事者たちへのインタビューによる膨大な映像アーカイブは、再びどこで、どのように展-示されるだろうか。ベンヤミンについての有名なフレーズを引くまでもなく、むしろ、「無名な人々」とは誰であるのかを考えることで参与できることがある。彼にも彼女にも、当然ながら私たちにも名前が在る。
 2020年5月31日をもって、大阪人権博物館は現在の場所での活動を終えることになった。この場所はもともと、地元の被差別の人たちが小学校用地ために資金を集めて取得し、市に寄付した土地である。最終日前日の30日には、報道などで閉館を知って来館した人々でにぎわっていた。現在、2022年の再開に向け動いているようである。内庭のような空間に、ひっそりと丸木位里の筆による「大阪人権歴史資料館」の館銘板が置かれていた。
*1──荊冠旗は、全国創立の中心メンバーのひとり、西光万吉がデザインした水平運動のシンボルである。
*2──ポール・ド・マン『読むことのアレゴリー ――ルソー、ニーチェ、リルケ、プルーストにおける比喩的言語』岩波書店、2012、77p
*3──同上、179p
*4──「リバティおおさか裁判に関する和解についての共同声明」、http://www.liberty.or.jp/cp_pf/index2015.html
(参照2020年8月20日)
文=大下裕司
https://news.yahoo.co.jp/articles/42829f53e5a7c7352b993fdb7940004b08614ad7

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屈斜路湖を外から!中から!

2020-09-09 | アイヌ民族関連
NHK 2020年09月08日 (火)
こんにちは!!
最近、期間限定のアイスを見つけると
「もう少し経ったらなくなってしまうから
今のうちに食べなきゃっ!」という心理になり、
ついつい買ってしまいます(笑)
アイスの話はさておき…
先日、札幌局で
屈斜路湖の魅力をアピールしてきました!
「おはよう北海道土曜プラス」の
右から赤松俊理アナウンサー、
私、堀若菜キャスター。
そして「ひるまえナマら!北海道」でも!
佐藤千佳キャスターと
ソーシャルディスタンス写真(#^^#)
2つの番組でプレゼンしてきました☆
改めて私が訪ねた屈斜路湖、
ご紹介させていただきます。
まず、屈斜路湖とはどこだー!
という方のために地図を( `―´)ノ
釧路市中心部から約1時間半です!
最初に私が向かったのはこの美しい雲海。
一発で見ることができたんです(/・ω・)/
本当に見られてよかった!!
奇跡の絶景でした。
次に向かったのは「砂湯」という場所。
なんと湖畔から温泉が湧き出るんです!!
近くのボート乗り場でスコップを借りられます。
私も自分好みの足湯を作りました!!
屈斜路湖の景色を見ながら癒されました★
実は湖も湖畔に近いところは水が温かかったです。
30cmほど奥に入ると冷たくなりました。
季節やその日の気温でも温度が違うそうです。
どこの水が熱くて冷たいのか…
ぜひみなさんもやってみてください!(^^)!
そのあとは屈斜路湖の
アクティビティを満喫しましたよ~!
屈斜路湖から釧路川を下っていくカヌーです!!
とても雄大な景色!気持ちよかったです!
木の下スレスレを通ったり…
ヤマセミの姿を見られたり!!
水の中もとってもきれいで
川の底までしっかり見えました!
楽しすぎて、カヌーガイドの祖父江健一さんに
終わってほしくなかったと
言ってしまいました(笑)
最後はこの地域のアイヌの人たちにとって
大切に食べられてきたものをいただきました。
それは…
アイヌ語でパリモモという魚です!!
食用としてあまり馴染みのない魚ですよね!
なんとお刺身でいただきました。
お皿の柄が見えるくらい薄く切ることで
小骨が気にならず
美味しく食べられるんだそうです。
このさばき方は、
アイヌの方々の昔からの技術です。
この地域のエゾウグイは、
屈斜路湖のきれいな水で育った
こけや藻を食べているため美味しいそうです!
臭みもなく、あっさりした甘みがあり
美味しかったです!

アト゜イさんもおっしゃっていましたが、
出会う方みなさんが
屈斜路湖の自然の恵みに感謝していて
自然と一緒に暮らしている様子が
とても印象的でした。
放送内容を少し変えて
11日(金)午前11時48分~
「ひるナマ!タンチョウ」で
もう一度屈斜路湖の魅力お届けします。
ぜひご覧ください(#^.^#)
https://www.nhk.or.jp/kushiro-blog/1200/435458.html

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